体って、自動車学校の教官みたいだ。

過去のnoteを見直しても、私はとにかく歩いている時に大切な事に気づくらしい。

昨日も、歩いている時に、ずっと腑に落ちなかったことの謎が解けた。

私は昔から、学校や会社の様な、ある程度の人数から構成される組織の中で、要領よく立ち回ることが本当に苦手だった。

社会に出たばかりの頃は、何年か世間で揉まれれば、嫌でも要領が良くなるんだろうと思っていたけれど、10年近く経った実際の結果としては、表面的にその場をやり過ごすことが辛うじてできる程度にしかならなかった。(しかもウルトラマンのようにタイマー付きで。)

社会の中で「潤滑油」とされるコミュニケーションの多くが、どうしても私には無意味なものにしか思えず、そしてその無意味なことをするのにとても抵抗があった。心の中で、時間の無駄だと感じている自分に、なんて薄情な人間なんだと自己嫌悪に陥ることも何度もあった。

一方で、ごく限られた相手とのコミュニケーションを楽しいと感じることはあった。自分を偽らずに話ができて、心が触れる感覚を持てる時は、言葉にできない充実感と幸せを感じられる。


処世術として、仕事に支障が出ない範囲でコミュニケーションを取っていく中で、一つ本当に困っていたことがあった。

それは、話そうと思うと上手く声が出なかったり、異常に言葉に詰まってしまう相手がいること。

会社の中で立場がすごく上だったり、個人的に苦手だったりという場合もあるけれど、特に何かされたわけでもなく、相手のことをほとんど知らない段階であってもそういうことが起きていて、自分でも理由が分からなかった。

さっきまで普通に出ていた声が、急に喉が狭くなるような感覚になって話すのが苦しく、言葉も不明瞭になる。一時期は、とにかくお腹から声を出すことを話すたびにいちいち意識していたくらい、悩みの種だった。

でも考えてみると、そうなってしまう相手のことが後々分かる中で、一つの共通点があったのだ。

それは、私の能力をいつも低く見積もってくること。

仕事の話をする中で、例えばレベル3のことを聞いているのに、私がレベル1しか分かっていないテイで返してくる。もちろん、相手の理解度は話さないと分からないものだから、最初の反応としてなら分かるけれど、どれだけ時間が経ってもその調子で、しばらくすると私もそれを見越して話をするようになり、おまけに声も出づらいからすごく疲れてしまう。

そうでない人とは、気持ち良く一回で伝わる話が、側から見たら私が全然分かっていない人(相手が、すごく分かっている風に話すので)の様な会話がだらだらと続いてしまう。


ちょっと最初に戻って、昨日歩きながら気づいた大切な事、それは、コミュニケーションはエネルギー(という表現が適切か分からないけれど。)の「交換」なんだということ。

ものを買う時に、自分が商品を手に入れたら、代わりにお金を支払うみたいに、入ったら出ていく、出ていったら入る、が基本的には必ずセットで、コミニュケーションでも起こっている。

だから自分が話せばそれが何かしらの形で相手に入るし、その時の相手のリアクションは自分に入ってくる。

私の体の反応は、その相手との「交換」を、拒否していたんだと思う。


唐突だけれど、海のミルクと言われる栄養たっぷりの牡蠣。大好きな人もいれば、酷く当たった経験のある人の中には全く受け付けない人もいる。

それは、体が命を守る為の自然な反応。

おそらく私の体は、私の価値を認めなかったり低く見積もる人のエネルギーを自分の中に入れない為に、交換のきっかけになる、声を出すことをなるべくしない様にしていたのだと思う。


そう考えたら、私は今までも体に助けられた事がたくさんあったことに気づく。

私の世渡りレベルは前述の通りなので、仕事で日常的にかなりストレスを抱えていた。それが積もり積もると、だんだんと体が動かなくなってくる。

検査しても身体的な問題はないはずなのに、ベッドからどうしても起き上がれない。

その時は、心に加えて体も辛いなんて、と嘆いていたけど、私の体は、私の心が完全に壊れてしまわない様に、守ってくれていたのだ。


体って、自動車学校の教官みたいだ。

基本的には心が思う様にさせてくれるけど、ちょっと危険なことをすると、注意してくれたり、渋い顔をしたりする。(これが私でいう所の喉が狭くなる感じだったのだろう。)

そして、本当に危険な時は助手席に備えつけられたブレーキを思いっきり踏んで、まさに体を張って守ってくれる。

なんて心強いんだろう。

そして、なんてありがたいんだろう。


エネルギーの「交換」と書いたけれど、強い意志を持てば、心で“受け取らない”ということは、ある程度できるようになるのだと思う。

送りつけ商法で勝手に送られたものは、買わなくていい。


これまで私を何度も何度も助けてきた、私の体。

改めて感謝するとともに、これからはあまり教官をヒヤヒヤさせないように、心の自衛力も高めていきたい。








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