『我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか』(第217話 深読みINCEPTION⑲)
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2019年9月20日 朝
スナックふかよみ
さっきから「犬犬」言ってるけど、『インセプション』の犬は何処にいるの?
その前にゴーギャンの絵が先だ。
ほとんどの人は気付いていないようだけど、あの絵にはトンデモナイ秘密が隠されている…
トンデモナイ秘密?
「インセプションの犬」にもかかわる重要なことなので、まずはこちらから話しておこうか…
ところで、この絵を見て、どんなことを最初に感じた?
D'où venons-nous? Que sommes-nous? Où allons-nous?
Paul Gauguin
えーと…
かなりの横長で、絵巻みたいにストーリー仕立てになっているように感じました…
右から左へ時間が進む感じに…
そうそう。右から左へ、誕生から死よね。
確かに、この絵の中には「流れる時間」がある。
だけどそれは「右から左」ではない。
え?
この絵の中の時間の流れは…
「奥→右→中央右→左→中央左」だ。
奥? そして最後が中央左?
この絵は、それぞれが独立した「5つのパート」から成り立っている。
これら「異なる時間を描いた5つのパート」がまとまって「1つの作品」になっているんだよね。
そんなの初耳よ。いったいどういうことなの?
みんな大好き絵画ミステリーじゃ!
有名絵画に隠された秘密を解き明かす深読み探偵!
ハリウッドで映画化決定か!
『ダ・ヴィンチ・コード』じゃないんですから…
あまり脱線しないでください。
これはあくまで『インセプション』の謎に迫るための深読みなんです。
そうじゃった。めんごめんご。
それでは名探偵さんのお手並み拝見と行こうかしら…
マネでもなくモネでもない、ゴーギャンの絵に隠された秘密…
我々はどこから来たのか…
我々はどこへ行くのか…
そして、我々は何者か…
ふふふふふ…
では最初に「奥のパート」から見ていこう。
えっ!?あの犬も「奥」なんですか?
そうだよ。
何のためにゴーギャンは「川」を描いたと思っているんだい?
たとえ位置的には「右」でも、川の向こう岸は全部「奥」のゾーンだ。
なるほど…
さて、「奥のパート」には、何が描かれているだろうか?
濃いブルーの服を着た女性が胸に手を当てていて…
肩を寄せ合った二人組が背を向けるように歩いていて…
離れたところにいる犬が景色全体を眺めています…
胸に手を当てた女性も、肩を寄せ合って歩いてる二人組も、何だか不安そう…
特に二人組の周囲は不安ムード満載の黒い闇に包まれてるし…
だね。
だけどもう1つ「登場キャラ」を忘れている。
え? 他にもいた?
胸に手を当てた女性の目の前に「鳥」がいるよね…
印象的な翼をもつ「鳥」が、至近距離で女性に対峙している…
は? あの鳥も意味あるの?
天才画家は意味のないものなど描かない。
あの鳥は、とても重要だ。
そんな重要な存在には見えないけど…
楽園だから派手な鳥でも描いとけ、みたいな…
あの鳥は…
鳥貴族…
と、鳥貴族?
焼鳥ってこと?
食べるなんて、そんな畏れ多いことを…
あの鳥は、とーっても貴なる族なのです。
貴なる族? なにそれ?
天使のことだよ。
しかも、神の代理人を務める、位の高い大天使。
大天使?
ゴーギャンは、あの「派手な鳥」と「胸に手を当てる乙女」で…
「天使ガブリエルと処女マリア」を描いたんだよ…
はっ?
ま、また受胎告知ですか!?
そう。
毎度お馴染みの、フラ・アンジェリコの『受胎告知』夜バージョン。
『Annunciation』
Fra' Angelico
ということは…
暗闇の中を落ちこんだ表情でトボトボ歩いている二人組は…
見ての通りだよ。
あれは何処からどう見ても、楽園を追放された「アダムとイヴ」だね。
なんてことなの…
エデンの園の門番がアダムの肩に置いた手まで再現されてるじゃん…
おそらくゴーギャンの中で、タヒチでの生活は「失楽園」と重なっていたんだと思うよ。
『受胎告知』で小さく描かれているあの部分を、ここまでフィーチャーするくらいだから。
ゴーギャンが書いた随想集『ノアノア』に、そんなことが書かれてた気がするわ。
堕落した現代文明から逃れて楽園へ来たのに、結局、堕落から逃れることは出来なかった…
そして残るは…
離れたところから景色全体を俯瞰している、あの犬…
もう説明は要らないだろう。
「DOG」は「GOD」だからね…
あれ?
神の斜め下にいる聖霊って…
あの白い鳩がマリアの胎内に入り、赤子のイエスとして生まれる。
そして犬の斜め下にも赤ちゃん…
これは「右のパート」に、つながっている予感が…
その通り。これは簡単だよね。
キリストの降誕…
ではなぜ3人のうち1人だけが、顔を背けているのかわかるかな?
理由はわかりませんが、おそらく…
元ネタの絵が、そうなっているからだと…
その通り。
ゴーギャンは「奥パート」の続きとして、この絵を「右パート」に持ってきた。
ヘラルト・ファン・ホントホルストの名作『羊飼いの礼拝』だ。
『Adoration of the Shepherds』
Gerard van Honthorst
3人の羊飼いの構図、そのまんまじゃん…
そして「羊飼い」は英語で「shepherd(シェパード)」…
あの黒い犬がシェパードっぽいのは、きっとそのせい(笑)
なんと… そんなところまでダジャレに…
次は「中央右のパート」だ。
ゴーギャンは何を描いているだろうか?
これは…
禁じられた知恵の実を手に取るイブ?
『Adam and Eve』
Jacob Jordaens
それは最後のネタに関係する。
え?
「受胎告知」「キリストの降誕」ときたら、次にくる重要なイベントは何だろう?
岸辺にいるひとりの男が上から何かを呼び込み…
水の中にいるもうひとりの男が、頭から水を被っているんだよ?
あっ!これだ!
『The Baptism in the Jordan』
Michael Angelo Immenraet
その通り。
「中央右のパート」は、洗礼者ヨハネによるイエスの洗礼を描いたものだね。
水辺にこれだけ人が描かれているのに、水を浴びているのは、あそこにいるひとりだけ…
明らかにゴーギャンは、明確な意図をもって、そう描いている…
なぜそこに気がつかなかったのかしら…
この絵は本当に細部まで計算されているんだよね。
さて次は「左のパート」だ。何が描かれているかな?
えーと…
身体を傾けて座っている若い娘と…
耳を塞ぎ、身体をこわばらせ、何かに怯えているような人物…
だけどあれだけ重苦しいムードなのに、なぜか若い娘は平然としています…
そして、重苦しい人の足元に一羽のガチョウ…
以上ね。
いや。もうひとりいる。
え?
身体を傾けた若い娘と、黒ずんだ人物の間に、もうひとり…
こ、怖いこと言わないでよ。心霊写真じゃないんだから…
誰もいないってば…
いえ。「それ」は確かにそこに居ます…
「それ」?
も、もしかしてIT(イット)?
見えたら終わりってやつじゃないの!?
うふふ。ホント怖がりなんだから…
「あなたの知らない世界」とか、怖くて見れなかったクチでしょ?
う、うん…
新倉イワオと冝保愛子の顔が映るだけで悲鳴上げてテレビ消してた…
そうそう(笑)
しかしあの絵の中のどこに「それ」が写っているんですか?
ヒロノブさんが「それ」と言ったのは、そういう意味じゃない…
あの二人の間にいる「それ」は…
「人」でもあり「物質」でもあるんだよ…
物質?
基本的には硬いものなんだけど、時には液体状のものを指すこともある…
何それ?形状記憶合金?
ターミネーター2?
うふふ。落ち着いて(笑)
若い子に向かって指差しながら怒鳴りつけてるオジサンが「見える」でしょ?
おじさん?説教好きな中年男性の霊なの?
偉い人にはペコペコするくせに、若い女の子には高圧的に出るタイプの?
そういうオジサンの地縛霊?
だから落ち着いてって(笑)
そのオジサンには立派な本名があるんだけど、なぜか「石」とか「岩」とかニックネームで呼ばれてるの…
お岩さん?
そしてそのニックネームは、石油とかガソリンのことも指す…
ほら、もう見えるでしょ?
黒ずんだ人の背後から身を乗り出すようにして、若い子に迫ってるオジサンが…
ああっ!ペトロだ!
ペトロ?
レオナルド・ダ・ヴィンチの『最後の晩餐』ですよ!
まあ…
なんと…
平然とした表情で身体を傾けている若い娘は、イエスに最も愛されていた弟子ヨハネ…
その隣にいて、見るからにドス黒く描かれている人物は、裏切り者のユダ…
そして、その両者の間に描かれているのは…
激しく興奮しながら「裏切るのは誰だ!?」と問い詰めているペトロ…
信じられない…
白いガチョウは?
あれはユダが持っていた「白い袋」だね。
あの袋にはイエスを売った代金が入っていた。
ガチョウは「富・財産」の象徴。「金の卵を産む」と言うでしょ?
なるほど…
富と引き換えに、とんでもない役割を任されることになってしまったんだもんね…
イエス直々の指名なのに、後世ボロクソに言われ続ける、世界一損な役回り…
ちなみに…
『我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか』には、人間が「12人」描かれているの…
『最後の晩餐』に描かれた使徒たちの数と一緒ね…
『The Last Supper』
Leonardo da Vinci
つまり、あの青い像は…
ゴーギャンはあの像を「the Beyond」つまり「超越者」と呼んでいた…
人間の姿をしているけど、人間を超越した存在…
ということで、最後に「中央左のパート」を見てみよう。
何が描かれているだろうか?
地面より高いところに立つ「超越者」の像…
座って果実を頬張る子供…
その周りには、二匹の猫と、黒っぽい山羊…
そして再び、中央に立つ「果実をつかむ男」です。
あの像「超越者」は…
つまりイエス・キリストのことよね?
もちろん。
「最後の晩餐」の次に、「超越者」が両手を広げて「地面より高いところに立つ」といえば、もうわかるよね?
しかもゴーギャンは、わざわざ太く描いた地平線を、「超越者」の「手のひら」に重ねている…
ゴルゴダの丘…
イエスの十字架刑…
『Crucifixion』
Andrea Mantegna
地べたに座り込んで果実を頬張っている子は、イエスの十字架の下に座り込んでる、あのローマ兵のことね…
くじ引きをしてイエスの着ていた服を手に入れたローマ兵…
座り込む子の横にいる黒っぽい山羊と、二匹の白い猫は…
ローマ兵の横にいる焦げ茶の馬と、二頭の白い馬です…
そして、楽園の果実をつかんでいる男は?
罪人ディスマス…
イエスに「あなたは今、私と楽園にいます」と言われた男…
だから果実をつかむのが女じゃなくて男だったのね…
普通ならイブが投影された裸体の女を描くはずなのに…
その通り。
そして『我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか』を描いた後、ゴーギャンは自ら命を絶とうとした…
幸い未遂で終わるんだけど、この絵はゴーギャンにとって、ある種の「総括」の意味合いが込められていたんだと思う…
総括?
影響を受けた偉大なる先人たちの作品をモチーフに使うことで、画家としての総括を行い…
十字架に掛けられながら「楽園にいる」と言われた罪人ディスマスを中央に描くことによって、罪深き西洋人としての自分を総括した…
なるほど…
うむ。見事な「絵解き」じゃ。あっぱれ。
ありがとうございます。
うふふ。
だけど肝心なのは、ここからじゃなくて?
この絵と『インセプション』の関係を読み解かないと…
わかってます。本番はここからですから。
それでは始めましょうか…
つづく
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