「映画『日の名残り』 は何でカズオ・イシグロの原作といろいろ違うの?」問題にノーベル賞級の大胆さで迫る!
凄いタイトルだね…
「ノーベル賞」を使うとこ間違ってるやろ。
あはは。それぐらいの自負があるってことだよ。
この『日の名残り(The Remain of the Day)』という作品は実に素晴らしい。実に僕の好みだ。なのに世間で正しく評価されていないことが残念でならない。
そういうわけで、この際、原作と映画の両方をきちんと解説しておこうと思ったんだよね。
じゃあまた「究極のネタバレ」ってやつだね…
徹底解説するから、そうなるね。
ベストは小説も映画も観てから本記事を読むといいんだろうけど、こっちが先でも特に問題はないと思う。たとえオチや仕掛けを知ったとしても、それを上回る作品としての完成度があるからね。カズオ・イシグロの小説、そしてマーチャント&アイヴォリーの映画は、名作絵画や重厚な交響曲みたいなもんだ。計算し尽くされた芸術って、予備知識があった方が何倍も楽しめるでしょ?
せやな。
いちおう作品へのリンクを貼っておこうか。
未読・未見の人は、ぜひどうぞ。
次に中身を紹介しよう。
物語は、主人公が自動車旅行をしてる1956年の「現在」の6日間と、旅をしながら回想する1920年代から1930年代にかけての「過去」の回想シーンによって構成されている。そこは小説も映画も一緒だ。
だけど、主要登場人物の一部と、物語の冒頭と結末が全く違う内容に変更されている…
物語の冒頭と結末が…?
筋書きが書き替えられただけじゃない。
主人公が自動車旅行で使う車、つまり、物語のもうひとりの主役ともいえる存在が変更されたんだ。
原作での「フォード」から、「ダイムラー」にね。
アメリカ車からドイツ車に?
ノーベル賞作品をそこまで変えちゃうって勇気あるよね…
映画化は小説発表の4年後、1993年のことだ。ノーベル賞をとる24年も前のこと。だからここまで大胆な改変ができたんだろう。
でもね、この改変は非常に理にかなったものなんだ。
正直言って原作のままの設定では映画化は厳しかったと思う。
なんでや?
カズオ・イシグロの原作は、ジョークが「キツ過ぎる」んだ。
まるでヒロシ・クロガネじゃないかって思うくらいのブラックジョークなんだよ…
そういやあの二人、顔もちょっと似とる…
ヒロシ・クロガネ
また脱線!
ちゃっちゃと話を進めようよ!
巷では、カズオ・イシグロの格調高い文体がなんちゃらかんちゃら…って言われてるし、主人公の老執事のジョークは全然面白くなくて滑りまくるんじゃなかったの?
全然ヒロシ・クロガネと違うじゃんか!
ヒロシ・クロガネの文体は軽妙洒脱だし、ジョークは超ウケるぞ!
そんなことないよ。主人公のジョークは物語の中では滑ってるんだけど、読者にとっては超ハイレベルなジョークになってるんだ。「格調高い文体」もギャグなんだよ。
ていうか、『日の名残り』という作品自体が全てジョークなんだよ。全編がパロディとブラックユーモアで埋め尽くされているんだ。
もうヒロシ・クロガネもびっくりだよ。
あの物語をそのままの意味で受けとっちゃいけない。ジョークがあまりにも強烈過ぎたんで、映画では薄められたんだ。活字では誤魔化せるけれども、映像化してしまったら露骨になっちゃうからね。
なんだか、また込み入ったハナシになりそう…
わくわくするね。
まずは小説版のあらすじから。
終戦から約10年が経った「1956年の夏」のこと。執事であるスティーブンスは、新しい主人ファラディ氏の勧めで、ブリテン島西岸の地コーンウォール州へと自動車旅行に出かける。前の主人ダーリントン卿の死後、親族が誰も卿の館ダーリントン・ホールを受け継ごうとしなかったので、召使いごと買い取ったアメリカ人の富豪ファラディ氏。しかしこの時、ダーリントン・ホールは深刻なスタッフ不足を抱えていた。ダーリントン卿亡き後、熟練スタッフたちが辞めていき、往時の六分の一、わずか四名しか残っていなかったのだ。人手不足に悩むスティーブンスのもとに、かつて女中頭として働いていたベン夫人から手紙が届く。そこには、結婚生活の悩みとともに、昔を懐かしむ言葉が書かれていた。ベン夫人の職場復帰の意思を確認したいと考えたスティーブンスは、コーンウォールに住む彼女に会うため、ファラディ氏の勧めに従い旅に出る。しかし彼には、もうひとつ確かめたいことがあったのだ。それは、彼女が「あの時」自分に対してどんな思いを抱いていたのかということを…
旅の道すがら、スティーブンスは、ダーリントン卿がまだ健在で、ミス・ケントンと共に屋敷を切り盛りしていた過去の日々を思い出していた。スティーブンスが心から敬愛する主人・ダーリントン卿は、欧州が再び第一次世界大戦のような惨禍を見ることがないように、ベルサイユ条約の過酷な制裁で疲弊していたドイツを救おうと奔走していた。ダーリントン・ホールには欧州の有力者が訪れるようになり、秘密裡に国際的な会合が繰り返されるようになる。しかし卿の純粋な願いは、欧州に平和をもたらすどころか、ナチス・ドイツの対イギリス工作に利用されていたのだ…
コーンウォールでベン夫人と再会したスティーブンスは、別れ際に彼女から「重要な言葉」を聞き出す。翌日の夕方、とある町の桟橋で、スティーブンスは過去の日々に思いを馳せていた。そこで偶然知り合った老人に、現実を受け入れ、過去を振り返らず、開き直って生きることを勧められ、人生に活路を見出す。そして新しい主人の期待に応えられるよう、アメリカ式のジョークを練習しようと決意する。
次に登場人物を紹介しよう。
メインキャラクターは、この4人。
執事長スティーブンス(主人公)
女中頭ミス・ケントン(結婚後はベン夫人)
館の主人ダーリントン卿(英国の大物貴族)
新しい主人ファラディ氏(アメリカ人の富豪)
そして、この他に脇役として、
副執事長スティーブンス・シニア(主人公の実父)
レジナルド・カーディナル(ジャーナリスト)
デュポン氏(フランスの大物政治家)
ルイス氏(アメリカ上院議員)
桟橋の老人(60代後半の太った男)
の5人が重要な役割を演じる。
ふむふむ。
せやけど、ドイツの将来と欧州の安定を模索する秘密会議やというのに、なんでソ連代表が登場せえへんのや?
ドイツ、フランス、イタリア、アメリカ、バチカンは参加しとるっちゅうのにロシア人が出て来んのは不自然やろ?
国際会議での「ソ連の不在」がポイントなんだ。
ソ連やロシア人たちはダーリントン・ハウスではなく、主人公の旅先で大活躍するんだよね。
村民が政治に熱心な奇妙な村での「品格問答」とか…
へ?
まあそこらへんは後でゆっくり説明するね。
次に、こちら映画版のメイン4人の顔ぶれを見て頂戴な。
執事長スティーブンス(主人公)
女中頭ミス・ケントン(結婚後はベン夫人)
館の主人ダーリントン卿(英国の大物貴族)
新しい主人ルイス氏(元米国上院議員の富豪)
え…?
原作では脇役だったルイス議員が、映画版ではメインキャラに昇格したの…?
ファラディはん、どこ行ったん!?
ファラディの存在は消された。
ええ!?なんで!?
それは…
彼のモデルがこの人物だったから…
じぇ、じぇ、じぇ、JFK!?
そう…
JFKこと、ジョン・F・ケネディ大統領(1917-1963)。
ミドルネームとファミリーネーム「フィッツジェラルド・ケネディ」を縮めて「ファラディ」という名が作られた。
マジか!?
『日の名残り』の登場人物は、すべて歴史上の人物のパロディになっている。聖書時代の有名人から、1980年代くらいの有名人までのね。そして出番が多いキャラには複数の歴史人物が投影されている。
だけど唯一、ファラディ氏だけが「ほぼ」JFK単独の投影なんだよね。そしてこの作品では、JFKへのジョークが最も厳しいものとなっているんだ。
ホントに…?
この物語って感動ストーリーだと思ってたから、なんだか意外…
さっきも言ったろう。この物語は全編がジョークとブラックユーモアから出来ているんだよって。それが「ふざけてる」くらい真面目な語り口調で綴られているから面白いんだ。
『相棒』の右京さんがあの真面目な顔と口調で一時間延々とジョークを言い続けるみたいな感じかな。
そうとう寒いけど、それがかえってオモロイかも…
とびきり上等なコメディ作品なんだよね、『日の名残り』ってやつは。
ただ、ファラディ氏だけは「やりすぎ」た。あれをそのまま映像化したら、かなり嫌味で下品になっていたと思う。カズオ・イシグロもそこはわかっていたんじゃないかな?。だから改変に応じたんだと思う。
さっきチラッと読み返してみたけど、確かにそうかもしれんな…
ずるい!
オイラにも教えてよ!
じゃあ物語の中でのJFKネタをピックアップするね。
<好色>
ファラディは、主人公の執事スティーブンスにこんなことを言う。
「君がそんな女たらしとは、ついぞ気がつかなかったよ」と、ファラディ様はつづけられました。「気を若く保つ秘訣かな? …」
カズオ・イシグロ; 土屋政雄『日の名残り』早川書房. Kindle 版より
うわ。
JFKの女好きは有名やな。
彼は難病治療のために、とんでもない量の薬物を投与してたんだ。そしてその副作用とされる症状も顕著だった。
年をとってもふさふさな髪や、いつも日焼けしたような肌など「若々しい外見」…
そして、際限のない「異常性欲」は、その影響ともされている。
でも病気治療の前からそうだったという説もあるんだけどね。
どっちやねん。
さて、JFKはただの好色じゃなかった。相手を選ばなかったんだね。
さまざまな女性たちをホワイトハウスに連れ込んだ。しかもそこには人妻も多数含まれていた。夫婦そろってホワイトハウスに招待した上で、その奥さんだけこっそり他の部屋に連れ込んで「不適切な関係」をしてたこともあるらしい。
それが『日の名残り』にも出て来る。
ある時、ウェークフィールド夫妻がダーリントン・ハウスに招待された。ファラディはウェークフィールド夫人を鬱陶しく思っているので、執事スティーブンスにこんなことを言う。
<人妻の連れ込み>
「あの女を遠ざけておく方法はないかな、スティーブンス? そうだ、君がモーガンさんの厩に連れてって、あの藁の中でたっぷりもてなしてやるってのはどうだい? 君の好みのタイプかもしれないぜ」
カズオ・イシグロ; 土屋政雄『日の名残り』早川書房 Kindle版より
厩…?馬小屋のこと?
ひどい(笑)
まあ、さすがにJFKが女性を厩に連れ込んでいたかどうかは知らないけど、この物語上「厩」であることには大きな意味が隠されている。
厩っちゅうたらアイツしかおらんやろ…
聖徳太子?
なんでやねん!
しかし実際JFKはいろんな女とホワイトハウスでチョメチョメしとったらしいな。嫁はんのジャクリーンは激怒して、旦那の誕生日パーティーを欠席しよった。JFKはそうゆう女たちを招待しとった上に、一番のお気に入りマリリン・モンローに「ハッピーバースデー」まで歌わせたんやで…
豪傑というか非道というか…
爽やかなイメージがあったから、びっくりだな…
爽やか? とんでもない。
ケネディ家の血は凄いんだよ。JFKのお父さんなんて、もっとすごい(笑)
ちなみに小説のルイス議員はJFKのお父さんジョセフ・P・ケネディがモデルなんだ。
Joseph Patrick "Joe" Kennedy, Sr.(1888-1969)
超のつくほど現実主義者で、自己顕示欲の塊みたいな人だったらしい。ドナルド・トランプとかイタリアのベルルスコーニに近いのかな。だから小説と映画では、国際会議におけるルイス議員の描写が全然違うんだね。小説ではかなり下品な人物として描かれているけど、映画だとスマートな感じだ。
これはモデルが違う人物に変わったからなんだよね…
どゆこと?
これも後でゆっくり解説しよう。でもまずはJFKを終わらせなきゃ。
さて、JFKといえば、これも重要だよね。
<キューバ危機>
「今朝がた、カラスみたいな大声を出していたのは、あれは君じゃなかろうね、スティーブンス?」
その朝、ジプシーが二人、いつもの屑鉄回収にきておりましたから、ファラディ様がその二人のことを言っておられるのはすぐにわかりまた…
(中略)
しばらく考えて、私はこう申し上げました。
「カラスというより、ツバメではございますまいか。それ、渡りの習性がございますから」
カズオ・イシグロ; 土屋政雄『日の名残り』早川書房Kindle版より
わかるかな?
オイラ子供だから、そもそもキューバ危機がわからない…
ソ連がキューバに核ミサイルをこっそり輸送して配備したんや。
そんでアメリカは最新鋭のU2偵察機でキューバのミサイル基地撮影に成功し、それを国連会議の場で世界中に暴いた。
そりゃあもう大騒ぎやったで。すわ核戦争勃発!てな。ギャグやのうて、ホンマに寸前やったそうや。
じゃあ「屑鉄」ってのが「核ミサイル」ってこと…?
せやろな。
そんで「カラス」が「U2偵察機」で…
「二人のジプシー」が「チェ・ゲバラとフィデル・カストロ」や…
スペイン語しゃべるから「ジプシー」ってことやろな。
だろうね。
そして「渡り」は「ソ連から海を渡って運ばれて来た」ことと、そのミサイルが「中距離弾道」ってことだろう。
ちなみに国連会議の場でソ連を追及した米国国連大使アドレー・スティーブンソンが、この物語の主人公スティーブンス父子の名前の由来であり、モデルのひとりでもある。
スティーブンソンは、共和党のアイゼンハワーと大統領選挙で戦い、民主党内では台頭しつつあった若手のホープJFKと指名を争った。そして最後はJFKに敗れるんだけど、理知的で雄弁なスティーブンソンはJFKのブレーンとして迎えられ、ケネディ政権下での国連大使として活躍する。
Adlai Ewing Stevenson II(1900-1965)
この茹でたての卵みたいな頭のオジサンが主人公のモデル!?
まさにその「ゆで卵みたいな頭」がキーワードなんだよね。そこらへんはまた後で…いや、次回以降にゆっくり解説しよう。
じ、次回以降!?
今回だけで終わらないような予感はしてたけど、やっぱり複数回のシリーズになるのか!
原作の重要人物ファラディ氏が映画版で消えた謎の「さわり」だけで今回は終わりそうだ。ずいぶん長くなってしまったからね。
さて、『日の名残り』で使われるJFKネタを続けよう。
実はJFKの大統領就任演説も物語の中に登場するんだよ。
主人公の父が語る、偉大なる執事のあるべき姿。インドでの逸話だね。
<就任演説>
ある日の午後、晩餐の準備に手落ちがないことを確かめに食堂に行ったところ、なんと、食卓の下に虎が一頭寝そべっていたそうです。それを見つけた執事はそっと食堂から出て、注意深くドアを閉め、平然とした足取りで、主人が数人の客をもてなしている居間に向かいました。そして軽い咳払いで主人の注意を引き、こう耳打ちしたというのです。
「お騒がせしてまことに申し訳ございませんが、御主人様、食堂に虎が一頭迷い込んだようでございます。十二番経の使用をご許可願えましょうか」
カズオ・イシグロ; 土屋政雄『日の名残り』早川書房Kindle版
なんでこれが就任演説なの…?
JFKは世界が注目する大統領就任演説で、「虎」の危険性について言及したんだよ。この動画だと4分40秒から「虎」の話が始まる。
JFKは、こんなことを語ってるね。
これから新たに自由主義世界への仲間入りをする国々には、以下のことを誓おう。植民地支配という体制が終わり、それに代わってもっと過酷な鉄の専制が始まるという事態には、決してなることはないのです。この我々の見解が、これらの国々の人々の間で、常に支持されるわけではないことは承知している。ただ、彼らが自らの自由を強く求めること、そして、虎にまたがって権力を握ろうとする者は結局虎に喰われるという昔からの教訓を忘れないことを願っています。
ジョン・F・ケネディ大統領就任演説(1961年1月20日ワシントンDCにて:全文はこちら)
「虎」っちゅうのは、冷戦下のアジア戦略でアメリカと争っていたソ連や中国のことや。
ケネディの演説では「虎の上にまたがる」やったけど、イシグロの小説では「虎が食卓の下にもぐる」や。上下入れ替わったんか(笑)
ちなみに物語前半で出て来るこの「虎」が、ラストシーンの「差し出される使用済みハンカチ」に掛かっているんだ。別の文脈でね。
別の文脈?
シェイクスピア『ヘンリー六世』からの引用なんだよ。
『日の名残り』の物語は「ダブルミーニング」どころの騒ぎじゃないんだ。複数の物語が幾重にも重ねられている。こんな短い小説なのに、すっごく複雑な構造になっているんだ。
だからあらゆる登場人物や逸話や小物が、全部パロディのネタになっているんだよね。この小説には、パロディ以外の部分なんて無いんだよ。まことにケシカラン、この作品は(笑)
「ケシカラン」とか言いながら、おかえもん、めっちゃ嬉しそう…
こうゆうの僕は「よだれ」が出るほど大好きだから。
知ってる。
ところで執事のセリフに出て来る「十二番経」って何?
「十二番経」っちゅうのは、一般的に競技や狩猟で使われるライフルのことや。
ドラマでは貴族の御屋敷に、よくライフルが置いてあるやろ。
あ~、そうか!
ちなみに『日の名残り』では、直接名前は出て来ないけど、ロスチャイルド家が隠れた存在として非常に大きな意味をもっている。わざとその存在が伏せられているんだけどね。
ロスチャイルド家が!?
てか…
ロスチャイルドって何?
知らんのか!
世界の政治と経済を陰で牛耳っとると、まことしやかに噂されるユダヤ系一族や!
それが何でこの文脈で登場するの?
さっきのライフルの画像を検索してたら、麻生さんとロスチャイルド家が仲良しだって書いてあったから…
ガセネタやろ。知らんけど。
それに『日の名残り』って、ユダヤ人の物語でもあるんだよね。
実際に登場するユダヤ人は女中の二人だけなんだけど、実は他にもユダヤ人がいるんだ。
そんなキャラおったか?
主人公スティーブンスとお父さんはユダヤ人なんだよ。
ハァ!?
あと、ミス・ケントンもユダヤ人なんだ。
なんですとお!?
そしてもちろん結婚相手のベン氏もね。
『日の名残り』って「ユダヤ人にほとんど触れずにユダヤ人のことを語っている」作品なんだ。
へ?
この小説って、主人公が旅する6日間の日記形式になっているんだけど、なぜか「5日目」だけ無いんだよ。
そういや「4日目」の次が「6日目」やったな…
これはユダヤの安息日「金曜日」を指しているんだよね。
そしてタイトルにもなっているように、この物語では「夕暮れ時」がキーワードになっている。これもユダヤの暦から来ているんだ。日没から一日が始まるからね。
言われてみれば確かにそうだ!
そして主人公スティーブンスには、さっきのスティーブンソン以外にも重要な歴史人物が投影されている。
それが、ベンジャミン・ディズレーリ。作家でもあり、ユダヤ系にもかかわらず初めてイギリスの首相になった人物だ。
Benjamin Disraeli(1804-1881)
当時ユダヤ人は議員にすらなれなかった。ロスチャイルドは選挙で当選したんだけど、ユダヤ人だったため国会に登院できなかったんだ。ディズレーリは少年時代に改宗していたんで議員になることができ、ついには首相にまで登り詰めた。そしてヴィクトリア女王の寵愛を受ける。ディズレーリの部屋には女王から手摘みの花が贈られ、ディズレーリはお返しに女王へ「おセンチ恋愛小説」を書いて贈る…
どっかで聞いたハナシやな。
ついでに言っておくと…
主人公スティーブンスは「同性愛者」の可能性も高い。
げげげェ!
もうわけわからん!
『日の名残り』って物語は、主人公スティーブンスが自身の秘密を必死に隠す姿を滑稽に描いたものなんだ。彼がクソ真面目で自信過剰なだけに、そのおかしさが倍増してるんだよね。
しかもナチス・ドイツに利用されているのはダーリントン卿だけじゃなかった。実はスティーブンスの執事としての「プロ意識」も利用されていたんだ。彼の仕事への強い美意識が、知らないところでナチス・ドイツの対英工作に使われていたなんて、ホント滑稽だよね。あれだけプロ意識だの品格だの語っているわけだから。
まあそれはさておき、スティーブンスはミス・ケントンからの手紙に焦ってしまった。もしや彼女は「秘密」を知っているのではないか…ってね。だから確かめに行くことにしたんだ。
お互いが言えなかった過去の恋心を確かめに行くんじゃなかったのか!?
そんなわけないでしょ(笑)
そんな安っぽい中年向けラノベ小説みたいなもので、ノーベル文学賞を取れると思う?
だからカズオ・イシグロは劇中で「おセンチな恋愛小説」問答をしたんだよ。
ミス・ケントンが「おセンチな恋愛小説」を読むスティーブンスを馬鹿にして、スティーブンスが「おセンチな恋愛小説も、読み方によっては有用だ」って食って掛かるのは、『日の名残り』自体のことを言ってるんだ。
「違う読み方してくださいね」っていう作者のメッセージなんだね(笑)
マジかァ!?
ついでに言うと、アメリカ人の新しい主人は、おそらく全てを知っている。スティーブンスの秘密の全てをね。小説版でも映画版でも、そこは一緒なんだ。
だから新主人はスティーブンスをいろいろ試すんだよね。決してふざけているわけじゃない。ちゃんと考えているんだ。このまま館で雇っておいていいかどうかを…
どうゆう意味?
早い話、新しい主人はアメリカの諜報員なんだよ。そのために館を購入したんだね。原作のファラディ氏も、映画のルイス氏もだ。
だからスティーブンスに旅行を勧めたんだ。
重要な「仕事」の準備をするために、ちょっと彼が邪魔だったんだよ。
だって小説でも映画でも、新しい主人は「私もしばらく館を離れるから」っていってたよ…
誰がそれを確かめた?
主人公の旅行中、ずっと館が空っぽだったことを描いた描写はあった?
アメリカ人の新主人が、本当にずっと館を離れていたことを証明できる?
そう言われると、確かに…
初歩的なトリックだよね。
さて、JFKからずいぶん脱線してしまった。話を戻そう。
脱線というか、これって本線じゃ…
まあ、それを頭の片隅に置いておいてくれたまえ。
この物語は、そういう仕組みになっているということを。
さあ、『日の名残り』におけるJFKネタのクライマックスに行くよ。
映画で原作の設定が書き換えられた原因の半分は、ここだと僕は考えている。
でもJFKをモデルにしたら、これを織り込みたくはなるよね。
<射殺&陰謀論>
父の話によれば、数分後、主人と客の耳に三発の銃声が聞こえてきました。やがてお茶を注ぎ足しに現われた執事に、主人は「不都合はないか」と尋ねたそうです。「はい、ご主人様、なんの支障もございません」と、執事は答えました。「夕食はいつもの時刻でございます。そのときまでには、最近の出来事の痕跡もあらかた消えていると存じますので、どうぞ、ご心配なきように願います」
カズオ・イシグロ; 土屋 政雄『日の名残り』早川書房Kindle版
三発の銃声…
テキサス州ダラスでのJFK暗殺も「三発」の銃弾やった…
そして「単独犯」とされたオズワルドの射殺…
それを己の手を汚さず、まるで「日常茶飯事」のように指示する闇の実力者たち…
まさに陰謀論で描かれる光景そのものや…
ここまで紹介した全てのJFKネタを、JFK似の俳優を使って再現したら、ちょっと引いちゃうよね。
だから映画版ではJFK色を薄めたんだと思う。ファラディ氏をルイス氏に変え、物語の構成上必要な「虎ネタ」以外はカットしたんだ。
なんで虎ネタだけ必要なんや?
原作で「虎」に対応しとった「差し出される使用済みハンカチ」は、映画に出て来んやろ…
てか映画版には、そもそも桟橋の老人がおらんやんけ!
あんな重要なメッセージを主人公に語る人物がカットされるって、いったいどうゆうこっちゃねん!?
「虎」の逸話には、また違う意味があるんだよ。
そして映画版で「桟橋の老人」がいなくなったことも仕方ない。映画ではオチが「アメリカから来た新主人」に変わったからね。
小説ではラストで語られるメッセージの比重が「大英帝国の落日」にあって、ちょっと自虐的諦観で終わるんだけど、映画ではそれが「大英帝国の後継者アメリカ」への戦慄で終わるんだ。
そうなのか!?
いろいろ衝撃的なこと聞き過ぎて、頭が苦しい!パンクしそうだ!
主人公のユダヤ人説やら同性愛者説、そして新主人のスパイ説まで…
いったい、どうなっちゃってんだよ!
こんなこと暴いてて、おかえもんは何がしたいんだよ!
人生頑張ってんだよ。一生懸命って素敵そうじゃん。無難な労苦じゃ楽しくないでしょ?
せやな。やっぱマニュアル通りに映画観ても「つマラん」し。
そんでもってダーリントン・マンション、マンション!
英国ファッション、ファッションや!
なんだよマンションって…
ダーリントン「ハウス」でしょ…
次回で、そこらへんをじっくり解説しよう。
マンション?
『日の名残り』の真相だよ。
ではまた。
ーー続くーー
『日の名残り(The Remains of the Day)』
監督:ジェームズ・アイヴォリー
脚本:ルース・プラワー・ジャブバーラ、ハロルド・ピンター(クレジット無し)
原作 カズオ・イシグロ
製作 マイク・ニコルズ、ジョン・キャリー、イスマイール・マーチャント
出演: アンソニー・ホプキンス、エマ・トンプソン、クリストファー・リーブ、ジェームズ・フォックス、ヒュー・グラントほか