ノーベル文学賞作家カズオ・イシグロの『日の名残り』の謎を解き明かす・第5回「Never End」
<登場人物>
小説版『日の名残り』主要登場人物
執事長スティーブンス(主人公)
女中頭ミス・ケントン(結婚後はベン夫人)
館の主人ダーリントン卿(英国の大物貴族)
新しい主人ファラディ氏(アメリカ人の富豪)
映画版はファラディ氏がルーイス氏に変更
おいおい、カツオ・イソグロ君とやら…
まったくもって君って奴は、音楽ってものをちっともわかっていないようだね…
チャカ・カーンよりもカーリー・サイモン派だって?
チャカ・カーンのほうが歌唱力も上だし、ボディもソウルもダイナマイト級だろう…
ふっ…
いいのか、そんなことを言って…
カーリー・サイモンは、アメリカ出版大手サイモン&シュスター社の創業者ご令嬢だぞ。
お前がアメリカで本を出せないようにすることなんて、朝飯前のこと…
え…!?
い、いや…あの...その…
カーリー・サイモンの歌唱には素朴な良さがあるって言いたかったんだよね…
なんていうか…
一本調子なところが逆に胸を締め付けられるっていうか…
やだね、オトナって…
もまえら何のハナシをしとるんや!
アメリカで出版?あほかオッサン!日本でも無名なくせに何ゆうとんねん!
ワイの命が懸かっとるっちゅうのに…
もう、ええかげんにせえ!
ちなみに、なんでワイがこうなっとるか知らん人はコレ嫁!
くだらない話はもうお終いだ。
今まで描き散らかしたゴミを全て消去して、さっさと家に帰るんだ。
しかしなぜ…?
いったい誰が、何の意図で…?
残念ながら、それは言えない…
私たち諜報部員はクライアントの情報を明かすことは禁じられているのだ…
まあ、火薬で財を成したフランス系の名前をもつ「D社」とだけ言っておこうか…
筒抜けじゃんか、こいつ…
ホントにスパイかよ…
だからカズオ・イシグロは登場人物の名前を入れ替えたのか…
本来、アメリカ上院議員につけるはずだった「デュポン」という名をフランス人貴族に…
そしてフランス人貴族につけるはずだった「ルーイス」を、アメリカ上院議員に…
きっと何らかの身の危険を感じて…
ふふふ…
ようやく事態がわかってきたようだな…
冥途の土産に教えてやる。
物語の中でアメリカ人ルーイスがフランス人デュポンを追いかけていたのは、そういうことなのだ。
二人っきりで「商談」をする必要があったわけだよ…
火薬のな。
ええ!
じゃあ映画版のルーイス議員の「熱意と正義感あふれる」演説は!?
子供だな。物事のうわべしか見えてない…
アメリカ人というのは「ええかっこしい」なんだ。
ああやって正義のヒーローづらして、裏では世界を破壊し混乱させる。
だからクリストファー・リーヴがキャスティングされたのだよ…
リーヴはアメリカを象徴する正義のヒーロー・スーパーマンだからな…
なんという皮肉のきいたキャスティング!
Christopher D'Olier Reeve(1952-2004)
リーブは「正義のヒーロー・スーパーマン」のイメージが大きくなりすぎることを嫌っていた。あまりにも世間が「リーブ=スーパーマン」という目で見ていることに危機感を覚えていたんだ。俳優として、そしてひとりの人間として…
だから彼は定期的に「汚れ役」を演じるようにしていた。好青年クラーク・ケントと正反対の人物を演じようとしていたんだね。
その代表作が『Monsignor(邦題:バチカンの嵐)』(1982)だ。
クリストファー・リーブが神父様…
これはどんな映画なの…?
第二次世界大戦中、財政難のバチカンを救った「ある神父」の物語だ。
このアメリカ出身のイケメン神父は「商才」に長けていた。マフィアと手を結び、ブラック・ビジネスを始めたんだ。彼はマフィアの金をバチカンで「ロンダリング」してあげた。その金は枢軸国側の闇市場にどんどん流れ、多くの武器弾薬が買われる。そして彼の祖国アメリカの若者を殺す道具となった…
彼はバチカンの危機を救った功績で、教皇の側近にまで登り詰める。「死の商人」という顔を仮面で隠したまま…
これって…
ちなみにこの「神父」には、モデルとなった人物がいる。
改宗ユダヤ人のベルナルディーノ・ノガーラだ。
ノガーラは財政難に苦しむバチカンの財政管理者に任命され、手段を択ばぬ「錬金術」で、みごと財政再建を成功させた。ムッソリーニやマフィアと手を組み、バチカン幹部の親族を大企業の経営陣に送り込み、インサイダー情報を駆使して「メイク・マネー」に勤しんだ。ノガーラは絶対に損をしなかった。損をかぶるのはいつも、何も知らないイタリア国民だったのだ…
おい…、コレええんか…?
どんどんヤバい話になっとるんとちゃう?
これ以上書いたらヤバいから、もっと知りたい人はヨソに行ってくれ。
いや、この話は重要なんだ。
『日の名残り』には「バチカンの物語」も隠されている。イエスの使徒や弟子たちと、彼らがローマに築いたバチカンのことがね。
ええ!?
主人公スティーブンスが「執事の協会」について延々と語る場面がある。人数がどうのこうのとか、選考基準がどうのこうのとか、協会がエリート主義・秘密主義で体質が古いとか批判するんだったね。ちなみに名前はヘイズ協会。モヤがかかってるんだね(笑)
これは「使徒と枢機卿」の暗喩になっている。
「ミスター・ネイバー」なんて執事まで登場するんだけど、これは「ミスター隣人」つまりイエスのことだもんね。
ついでに言うと「執事の協会」は国連常任理事国の暗喩でもある。「執事の協会」を批判することで、宗教と国際政治を同時に批判していたんだよ…
こ、これはワイらの見解とちゃうで。
あくまでカズオ・イシグロが伝えたかったことを推理しとるんや…
映画『バチカンの嵐』で「クリストファー・リーブ」が演じたアメリカ人神父の名は「フラハティ神父」…
小説『日の名残り』のアメリカ人の新主人の名は「ファラディ氏」…
そして映画『日の名残り』でアメリカ人の新主人を演じたのは「クリストファー・リーブ」…
なんだろう、この奇妙な一致は?
なにか意図があるようにしか思えない…
偶然という一言で片付けられることなんだろうか…?
もうそこまでにしておけ。
お前の身のためだ。
世界の「本当の姿」を描くというのは常に困難がつきまとうのだよ…
なぜなら私のクライアントのような方々にとって、そんなことはどうでもいいことなのだ。わざわざ世間に真実など知らせる必要はないのだよ。また世間もそんな「過酷な現実」など見たいとも思っていない。
そうして世界の大多数を占める愚民どもは、相も変わらず、大資本が牛耳るメディアの情報操作に自ら進んで踊らされ続けるというわけだ…
うわはははは…
そ、そんなこと喋ってダイジョブか!?
お前ホンマはカズキやろ…
カズキ?
さっきから人のこと「カズオ」だとか「カズキ」だとか呼びやがって…
私の名はカツオ。カツオ・イソグロだ。
チャンネル諸島の008とは、この俺様のこと。よく覚えておけ。わかったか?
ハ、ハイ…
ちょっとヘアスタイルがえーなりしとるなーって思ったさかい…
わけわかめ。
お前たちのバカ話に付き合ってる暇はない。
最後にひとつ教えてやろう。D社の創業者の話だ。彼の名は…そうだな、EIDとでもしておこうか…
Éleuthère Irénée du Pont(1771-1834)
EIDの父は、フランスの優秀な政治経済学者だった。その才能を買われ、ルイ16世によって貴族の称号を与えられ、そのブレーンにまでなった。
ちなみに『日の名残り』の米国人「ルーイス」とは、この「ルイ(Louis)」の英語読みだ。
お前たちの読み通り、フランス人とアメリカ人の登場人物の名前が入れ替わっていたようだな…
そしてEIDには最高のエリート教育が施された。当時世界一の化学者だったラボアジェのもとで最新の化学を学び、爆発物のプロフェッショナルとなったんだ。
しかし18世紀末、フランスに大事件が起きた…
1789年から始まった、フランス革命…
EIDはマズいんじゃない?
だってお父さんが王様のブレーンなんでしょ?
しかし革命派にとってEID父子は重要な存在だった。経済や火薬のプロである父子は、革命の遂行を目指す共和国政府には欠かせない存在だ。
だから忠誠を誓わせるため、革命派はEID父子に対し、ルイ16世とマリー・アントワネットをその手で処刑せよと命じた…
え、縁起でもないハナシすな!
それを拒否した父子は牢獄に入れられた。EIDは牢を出て、海を渡りアメリカへ…
EIDはアメリカで使われてる火薬を見て、その質の悪さに驚いた。そして工場を作り、火薬の生産を始めたんだ。EIDの死後、D社は大成長を遂げる。
南北戦争時、北軍で使われた全火薬の4割はD社のものだったそうだ…
こうして連邦政府内で大きな影響力をもったD社は、米国の軍事力を支える存在となっていった…
そして二度の世界大戦でも…
まあ、そういうことだな…
悪いことは言わん。これ以上余計な詮索をしないことだ。
あんたがネタを振っとるんやろ…
もう仕舞いにしよ。な?
ねえねえ、おかえもん。ちょっといい?
前回「死の商人」説で証拠が4つあったけど、最後の1つがまだ未解説だったよね…
(4)「八月九月は五週間ほど不在になる」と告げること
ってやつ。
なに蒸し返しとんのや、このボケ!
せっかくカツオはんがいい具合で〆てくれたっちゅうのに!
ごめん…
カツオ君、せっかくだから説明してあげてもいいだろうか?
まあ、いいだろう。
手短にな。
はい…
『日の名残り』における「現在」は1956年。
この年の夏、欧米や中東地域は極めて緊迫した事態に陥っていた…
エジプト大統領に就任したナセルによる…スエズ運河の国有化やな…
7月26日のことや…
それで世界は大騒ぎになりましたとさ。チャンチャン。はい、終わり。もう帰ろ。な?
イスラエルに肩入れするアメリカがエジプトへの武器弾薬輸出を渋りだしたことで、エジプトは共産陣営のチェコスロバキアからの武器輸入を決定。これに激怒した米・英・仏は報復行動に出る。エジプトへの経済制裁だ。
自国経済の命綱とも言えるスエズ運河を失った英仏は、エジプトへの侵攻を画策する。しかしそれを決行した場合「帝国主義の復活」と国際世論の猛反発が予想された。
そこで注目したのがイスラエルの存在だ。
当時イスラエル政府も、エジプト領であるシナイ半島を狙っていた。そこで英仏はイスラエルを前面に押し出して戦争を行うことを計画する。
イスラエルの国防長官シモン・ペレスはパリとロンドンを訪れ、侵攻作戦の計画や武器弾薬の調達、そして英仏ユダヤ系金融機関との協議を重ね、戦争の準備を始めた。
Shimon Peres(1923-2016)
1994年にノーベル平和賞もらったオッサンやんけ…
ラビン首相とPLOのアラファト議長と共同で…
そうだね…
さて、エジプト侵攻のためのシモン・ペレスのパリ・ロンドン訪問、これが8月9月のことなんだ。
ダーリントン・ホールの新しい主人が「しばらく不在になる」と言っていた時期とぴったり重なる…
つまり…
アメリカ人の新主人は、そのために英国にやって来たというわけなんだね…
遠い国で起こる戦争の臭いを嗅ぎつけ、あの館を拠点に活動しようとしてたんだ…
そう…
ダーリントン・ホールは、いわゆる「事故物件」だ。元ナチス協力者の館だからね。ダーリントン卿の親族も、他の英国人たちもあの館を忌み嫌った。そこにアメリカ人が目を付けた。小説版のファラディ氏、映画版のルーイス氏。二人とも「事故物件」とわかった上で、わざと館を購入したんだ。
なんで?
みんなが思い出したくもない館なんでしょ?
英国人にとっては、そうかもしれない…
自分たちが開戦直前までは「ヒトラー率いるナチス・ドイツに宥和的」だったことを思い出させるからね…
多くの英国人たちはそんな過去を忘れたいがために、戦後、ダーリントン卿に「罪」をなすりつけた。「ナチス協力者」という罪を…
だから、あの館を忘れたかった。実際あやうく取り壊しになるところだったんだ。
でも「ある人たち」にとっては、そうじゃないんだ。
「ある人たち」にとっては「忘れてはいけない」場所、「記憶しなければならない」場所なんだよ…
それを知っていたから、あのアメリカ人はあの館を買った。「ある人たち」に近付くために…
ワイのため…いや読者のために手短で頼むで、手短で!
映画版だと、それがよくわかるようになっている。
冒頭のオークションシーンだ。
ウェザビー子爵の肖像画、だな…
ルーイス氏の本当の目的は「絵」ではない。
え!?
彼の本当の目的は「絵」ではなく「競り相手」だったんだ…
あの老人に近付くことが、彼の「仕事」だった…
なんだか見たことあるお爺ちゃんだな…
どこで見たんだろ?
レナード・コーエンやろ、どう見ても…
そうそう!
ハレルヤのお爺ちゃんだ!
レナード・コーエンは、ユダヤ系のカナダ・ケベック人だ。
旧約聖書をモチーフにした歌を多く作ったことで知られる。
映画でこんな「そっくりさん」を使うってことは、間違いなく「ユダヤ」を想起させるためとしか思えない。
ルーイス氏はこの老人に近付くために、館を買い、絵を競り落とした。「館へ絵を観に来ませんか?」って誘いやすくなるからね。
きっとこの老人は、英国在住のユダヤ人富豪なんだろう。ユダヤ人ネットワーク内で大きな影響力をもつ…
・・・・・
英仏とイスラエル政府の動きを調査するため、そしてイスラエルに対し武器弾薬を売るため、ダーリントン・ホールは前線基地となった。
だから様々な「工作」が必要になったんだ。館に重要人物を招いて諜報活動するためにね。だけどスティーブンスが邪魔だった。卿に追随し、ユダヤ人の同胞を裏切ったという過去もあり、まだ完全には信頼できないから。そこで彼を数日間「追い出す」ことが必要だったんだ。スティーブンスを試す目的を兼ねて…
試す?
そう。
アメリカの新主人は、スティーブンスを試すような発言ばかりを繰り返していた。
そして彼のコーンウォールまでの旅路も、まるで「試練」のようだった。
まるで彼が「思想チェック」や「適性検査」を受けているかのごとく…
・・・・・
ーー続くーー
おいおい…
まだ続くんか?
マジでNEVER ENDやな…
ではこの私がお別れに一曲歌ってやろう。
そこにあるピアノをちょっと借りるぞ。
歌詞の深さを、よくかみしめるがいい…
安室奈美恵『NEVER END』
『日の名残り』
原題:The Remains of the Day
(1993年、米・英)
監督:ジェームズ・アイヴォリー
脚本:ルース・プラワー・ジャブバーラ、ハロルド・ピンター(クレジット無し)
原作 カズオ・イシグロ
製作 マイク・ニコルズ、ジョン・キャリー、イスマイール・マーチャント
出演: アンソニー・ホプキンス、エマ・トンプソン、クリストファー・リーブ、ジェームズ・フォックス、ヒュー・グラントほか
『バチカンの嵐』
原題:MONSIGNOR(1982・米)
監督:フランク・ペリー
脚本:エイブラハム・ポロンスキー
音楽:ジョン・ウィリアムズ
原作:ジャック=アラン・レジェ
出演:クリストファー・リーヴ、ジュヌヴィエーヴ・ビジョルド、フェルナンド・レイ、ジェイソン・ミラー、ジョー・コーテス、アドルフォ・チェリ、トーマス・ミリアン、レオナルド・チミノ、ロバート・J・プロスキー、ジョー・スピネルほか
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