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大人になって高校の授業を受けてみたら懐かしさと悔しさと嬉しさがそこにあった

2020年7月の終わり、私は4月から学んできたオンライン授業の日本史全28講を全て修了することができました。3ヶ月間少しずつ受講して最後の授業を終えた時は小さな達成感を胸に抱いていました。

私は現在、スタディサプリという大学受験用のオンライン学習サービスで高校の授業を受けています。
いわゆる、社会人学生と呼ばれる存在です。
大学受験?あ、いやそれは受けないです、すみません。

「学生を卒業して大人になっても学校の授業を受けるとか変態かよ」と思われる方もいるかもしれない。...確かに。

だけどもし良かったら私の話を聞いてみてください。夏の暑い日に、少しだけ高校時代を振り返ってみても悪くないはず。うん、少しだけ。


きっかけは英語の授業を受けたいなって

昨年2019年の冬からオンライン学習で高校の授業を受け始めてみました。

きっかけは単純で英語を勉強し直したいなと思ったからです。過去にオンライン英会話をやっていたことがあったけれど半年も続かず、講師の人と英語で話すのが億劫で自分の英語力の無さを痛感するのが恥ずかしく、自分がいたたまれなかったです。な、情けねぇ...。

なんだそれ、と思われるかもしれない。
ですよね、でも英語は学びたいんですよ、憧れるんです。

そこで授業を聞くだけの完璧受け身の学習方法はないかとなんとも情けない消極的な理由で何かないかと探した訳です。英会話教室は仕事をしながら通うのは大変でお金も結構掛かるからパス、YouTube英語動画よりかはもう少し頑張りたい。

時間も、お金もそこそこで、でも学びたいというわがままな自分にマッチするものはないかと探して発見したのが、オンラインで授業を受けられるスタディサプリのサービスでした。

好きな時間に録画された授業を観ることができる。おお、これならいけるぞ。私はスタディサプリのサービス詳細のページを見ながら少しワクワクする自分を感じていました。

当初は「まぁ、英語だけ学べればいいや」と思っていたけれどサービス詳細のページを見てみるとなんと数学や理科、政治経済や世界史など沢山の授業があるではないですか。


え、まじで。世界史受けたい。
私、歴史大好きなんです。


そう思って、気が付くと無料お試しのボタンを押していた。
学生を卒業してn年。数年ぶりの自称「高校生」をスタートした瞬間です。


チョークの音で私の意識はあの埃っぽい教室に飛んだ

アプリを開いて初めて英語の授業を受けた時です。
画面の中で英語の先生が黒板の前に立っていました。

うっわ...黒板だ、懐かしい。

先生が授業の進め方や「英語とは何か」を話している。

...学校の先生って独特な話し方するよね。
必ず語尾が上がる人とか、話し方のトーンの強弱が強い人とか。
学校にいるときはあまり気にしないが、いざ学校以外の世界に出て一般ピーポーの大人と接してみると「先生ってみんな個性的すぎない?」と感じずにはいられない。

そんなことを思いながら、チョークが黒板に当たって擦れながら文字に変わっていく音を聴いて懐かしい記憶が蘇ってきました。
この擦れる音、懐かしいなぁ。


現役の学生さんからすれば聴き飽きたチョークの音かもしれない。だけど大人になると全く聴かなくなる音ナンバーワンと言っていいほど普段の生活では聴かない音です。カッカッカッと黒板に擦れてチョークが削られる音。それを遮るかのように「ここの単語はですね〜」という先生の声。


すべてが懐かしい感覚。
たった数十秒で私の意識は母校のあの埃っぽい教室にタイムスリップしました。顔が少し、にやける。


「学校が教えてくれない」のではなく、私が上手く受け取れていなかっただけかもしれない

英語の授業の他にも政治経済や日本史などの授業を受講していきました。
高校生だった当時は話半分もしくはほぼ聞いていなかった科目達です。だって当時は先生が何を言ってるのか全然分からなかったから。需要?供給?インフレ??なんだそれ。

「社会科」と呼ばれる科目グループはその名の通り、大人になって働き始めてから実感する科目です。高校生の時には理解出来なかった内容がなんとびっくり、大人になった自分では驚くほどすんなり理解出来る様になっていたのです。

歳を重ねて成長した自分を誇らしくなる一方で、「おいおいマジか。高校生で既にこんなことを学んでいたってこと?」と動画の授業内容に驚きました。

...もっときちんと授業を受けていれば良かった。
衝動的にそう思った。

高校生でこれを理解出来ていればもっと合理的に、効率良く人生を生きてこれたかもしれないぞ?ちょっと悔しい。

そこでふと思いました。
「学校は教えてくれない」というフレーズをよく聞くがこれって本当なのだろうか?

みんなが言ってるから「そうなんだろうな」と何も考えずに同意していたけれど、もしかしたらそう言ってるだけかもしれないし、もしくは教えてもらっていても受け手である自分がその知識を受け取る為の器が小さすぎただけなのかもしれない。

少なくとも高校生の時の私は、先生が「これは知っておけよ!」というボールを上手くキャッチ出来ていなかったのです。

そう考えると「先生、あの時はごめんね」と心の中で謝りたくなりました。
学校って、結構頑張って教えようとしてたかも。


迷わないために、自分を守るために学ぶ

SNSでは「これって本当なの?」と思われる過激な発言やデマが多く見られるようになっています。
その発信に一喜一憂するのに疲れるのですが、そもそも自分自身が情報を正しく処理したり吟味できる受け皿を持っていれば「う〜ん、これはデマだね」「これはないな〜」と瞬時に判断できます。

学ぶことに意味があるのかなと思うことも正直あります。その上で私が学ぶことへの意味があるとすれば「無駄な感情使わなくてよくなるから」。これが理由になります。

自分に知識があれば「でもこれは〇〇だから問題ないよ」「これは△△だから正しい、だからこうしておこう」と焦ることなく冷静に考えられるからです。いちいち「どうしよう!」と焦らなくても良い。
これだけで凄く過ごしやすい世界になるんです。

そうだ、本来知識とは自分を高める為、そして守る為にあるんだ。
高校の授業を受けて今更気付くなんてなんとも笑える話です。


時間が経って、経験を積んでから理解できる尊さがある


私が思い知った「学校の授業は意外と凄かったんだな」という感情は恐らく多くの現役の学生には理解できないかもしれません。過去の自分に「ここは大事な内容だから勉強しておきなよ」と言っても多分無理です。

何故なら私は実体験を交えたからこそ「大切だ」と感じたからです。
自分で事業を始めてお金を稼いでみて「経済」という科目の存在を実感出来たように、
初めて投票に行って「政治」を実感して
外国の地に足を踏み入れて「世界史」を実感して
外国人と話していて「英語」を実感できるのです。


高校の授業では想像以上に多くの世界のキッカケをくれていました。だけどあの埃っぽい教室の中で学ぶ世界は、どうも狭く小さく見えてしまっていたのです。

これを青春といえば青春かもしれないけれど、ほろ苦いなぁと思ってしまう大人になりました。

時間が経って、生きて経験していったからこそ、理解できる自分になれた。この感覚はとても尊く思えます。


いまの自分の限界と、未来の自分への期待

私が高校生の時、いまと同じ思考を持っていたらどんなに有意義だっただろうかと少し嘆きたくなります。
だけど当時はその思考が無かったからこそ図書館に通いつめた自分が居て、多分あれは自分の知識が無いこと、今いる世界が小さくて抜け出したいという葛藤でもありました。簡単に言えば生き急いでいた。それが私でもありました。

でも分かる。
私がいま感じているほんの少しの悔しさは恐らくまた10年後に同じように授業を受けても感じるでしょう。
昔観たアニメを大人になってから観ると抱く感想が違うように、10年、また10年と感じ方が変わっていく気がしました。
これがいまの自分の限界であり、未来の自分への期待でもあります。

学生時代の方が良かったとか、過去に戻りたいとか、私自身はそんな願望はありません。寧ろ戻りたくないとさえ思っている少数派かもしれないです。
私は私という人間が歳を重ねて培ってきた感性を大切にしたいと思っているので、例えどんなに苦しい時期があったとしてもそれを受け入れようとする努力はしたいのです。

自分の未熟さを許せなくても自分自身で否定をしてしまってはいけない。
過去の自分はその時その時の最善の選択をしたはずなんです。そう考えないと何だか少し寂しい。

「何事も若ければ若いほど良い」という言葉を聞くと少しチクリとします。確かに若さは素晴らしく魅力です。
だけど歳を重ねていくからこそ、尊くなる感情や思考や体験があります。
若さだけではなく、老いもそれなりに楽しまないと人生楽しくないではないですか。そうじゃないと...ちょっと困るなぁ〜。

そういった意味も込めて私は「学生時代の方が良かった」とかは思わないのです。「今の方が良い」といつでも幸せ指数の最高記録を更新していきたい。


少し成長した自分に出会えた

授業を受けて感じたことの一つに「学んだものをどう思考して活用するのかを私たち大人が子どもに見せなければならない」ということでした。

人間、基本は怠けたい生き物なので「役に立たないのに何故学ばなくてはいけないのだ」と感じてしまいます。分かる。超分かる。

でもだからこそ「やっぱ学びって大切だよな」と実感できた大人はそれを子どもに見せないといけない。「これを考える時にこの科目の考え方を使うんだよ」「これは勉強しておいた方が良いよ」と。

この意識付けは先生だけでは無理です。多分。
若者が蔑ろにされつつ昨今では少しでも未来が明るくなるように一般ピーポーの私達も行動せねばならないのだと感じています。
私も世間では若者の部類になるんですけど...まぁ、うん、いいや。

もし「へぇ〜高校の授業面白そうだな」と思える人が居たらなんでも良いから是非教科書を読み返したり、どこかのオンライン授業を受けるなりしてみてほしいです。今ならオンライン学習などのサービスが豊富で通勤時間にラジオ感覚でも受けられます。すごい時代になったものです。ありがてえ。

人生100年時代、通勤中の10分少し耳を傾けてみるのも悪くないですよ。友達にほんのちょっとだけドヤ顔できます。


ほんの少し素晴らしい世界に近づけるはず

チョークが黒板に当たって擦れる音を聴けば、誰でもあの懐かしい勉強机に肘を突いて「お尻痛くなってきたな〜」とボヤきたくなるあの椅子に、あの教室の中の自分にタイムスリップ出来る。

あの頃に比べたら自分は成長出来ているかな、なんて思いつつ授業中先生の言う言葉に耳を傾けてみる。そうすると当時よりも少しだけ「あぁ、なるほどね」と思える自分が居たら自分で拍手を送ってみてほしい。

単純に「おもしろいね」とか「楽しいね」と感じるだけでも良い。
そう感じられる感情でさえ学びになります。

そして周りの子どもに「ここ面白いよ」とか「ここ役に立ったよ」とポロッと呟いてみてほしい。口煩い大人だなと思われるかもしれないし、思われないかもしれない。まずはそんなもんで良いと思います。

その言葉に気づいた子どもでも、もしかしたら大人でも「そうなんだ」と思ってくれたら面白い世界のスタートになるかもしれません。
そうしたらほんの少し新しい道が見えてくるかもしれないし、
ほんの少し生きやすい方法が分かってくるかもしれません。
本来知識とは己を助けるためにあるのです。


そんな世界になったらほんの少し素晴らしい世界に近づけると思っています。



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