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2023年J1第14節横浜FC-川崎フロンターレ「Circle of Life」

選手生命は人生のうちで長いものではない。ある者は1年足らずでその世界から離れ違う道を歩む。ある者は何十年もプレーをするが、それでもやがれその世界から離れていく。ある者は、その世界に水をやり、薪をくべ、また芽が出るのを見守っている。そうして、サッカーの世界はグルグルと回り続けている。

交差する16

この試合、両チームの16番に注目が集まった。横浜の16は川崎から移籍してきた長谷川である。成長の機会が欲しいと当時J2だった横浜に移籍し、今年J1にチームを昇格させた。あえて素直な感想を口にすると川崎ではレギュラーとまではいかなくても大半の試合に出場し、2017年は自身のゴールで川崎のJ1優勝を決めた選手。川崎から離れる際も、イベントが行われるなど多くのファンがいて、その選手がなぜ自らこの選択を選んだのだと思っていたが、試合にコンスタントに出場しているのを見るとやはり長い時間プレーしたかったのだろうというのと、時間だけではなく中心選手として確固たるポジションを築きたかったのだろうと思う。古巣・川崎戦として燃えていた。

そして、川崎の瀬古。2019年に横浜の特別指定選手になると、2020年はJ1リーグの開幕戦でチームのファーストゴールを決めた選手。戦術理解度が高く、当時は瀬古スタンプラリーともいわれるほど複数のポジションを任されていた。2021年苦しいシーズンではチームキャプテンとなり、沈みゆく船を岸までたどり着かせるべく最後の最後まで奮闘した。彼がいなければもっと早い段階で横浜は降格が決まっていた。苦しい戦いの中で見えた一筋の希望だった。降格が決まると多くのオファーの中から川崎を選択。王者のクラブに飛び込むも、2022年は川崎の選手層の前に出場機会を伸ばすことができなかった。今年は徐々にポジションをつかみ始めたところで横浜との戦いが待っていた。

彼らがもしそれぞれ移籍しなかったら、それぞれがどんな結果になっていたのかは今となっては知る由もないが、その位長谷川・瀬古と両チームの中心になっていた選手が結果的にトレードする形で2022年に移籍をしてキャリアを変えた。
2022年に川崎と横浜とを移籍をしたお互いの背番号16同士の戦いはこの試合の物語に彩りを添えた。

前半44分、山下が低い位置からドリブルを仕掛け、倒されたがパスは長谷川に渡る。前掛かりになり戻りきれていない川崎守備陣を尻目に、前線にいた伊藤翔へ。伊藤はさらに自身を追い越して川崎のディフェンスラインを突破した井上へ。ヘディングでコントロールは出来なかったが、落ちてきたボールに体を倒しながら左足でシュートを放つと川崎ゴールに転がっていた。横浜が1-0と先制。横浜が川崎に先制点を挙げること自体20年ぶりである。
このゴールの前にも、左足で放ったミドルシュートがポストを叩くシーンもあり、川崎にいたから上手かったのではなく、長谷川はやはり上手かった。

一方の瀬古も、前半から果敢にシュートを放つのは、プロサッカー選手の最初の2年を過ごした横浜を振り切ろうとしていたと感じた。中盤でビシバシ縦パスを入れたと思いきや、身体を寄せつつボールを奪おうとするあの瀬古だった。それでも彼の活躍は後半23分まで待たなければならなかった。
川崎の攻撃は対戦するたびに苦杯を嘗めさせられてきたような鋭い攻撃が見られない。右サイドの川崎・家長は窮屈で、ボールを受けるのはいつも足元。林が身体を寄せつつも、振り切られない様に一定の距離を保ちほぼマンマークの形で自由を奪ったのが横浜が前半大きく崩れなかった原因だろうか。

背番号7

1-0で前半を折り返した横浜。初対戦で0-6と大敗を喫してから、川崎は大宮と並ぶ苦手の部類だった。その川崎も2004年までJ2に所属しており、最初から強かった訳ではなかった。それでもその川崎との対戦では、蛇に睨まれた蛙のように手も足も出なかった。そんな臆病だった記憶を鮮やかに塗り替えていった。

それが山下のゴールである。後半3分、山根のロングボールを追いかけて加速すると、並走する川崎・車屋を追い抜きそのまま独走してゴールも陥れた。横浜が川崎相手に2点リードなど、これまで考えられなかったことだろう。

車屋も十分に速い選手だと思っていたが、それをヨーイドンで追い抜く山下の足の速さ。こうしたプレーは4-2-3-1では絶対に見られなかっただろう。何せ俊足ドリブラーが揃った編成なのに足元でつなぐサッカーを強いたら力も発揮できない。システムを変えて、そのメリットを最大限に生かしたスペースを狙うプレーは効果的だった。

横浜の背番号7は山下、川崎の背番号7は車屋。ちなみに、川崎・鬼木監督の現役時代に川崎で背負っていた背番号も7。横浜がJ2に入会してから川崎が2005年にJ1昇格するまで、ずっと見てきた川崎の背番号7は鬼木監督だった。彼はどんな思いでこの2失点目を眺めていたのだろうか。

右サイド「山根」

このゲームで、横浜と川崎で圧倒的に違っていたのは右サイドの山根の貢献度だろう。横浜の山根はタフでサイドを粘り強く戦い、山下へのアシストを記録。林がシュートを決めていたら2つめのアシストとなるようなクロスも供給していた。

川崎・山根はどうか。日本代表の右サイドバックだったが、前にいた家長との連携は今一つ機能せず、家長が林に抑えられたり、川崎の前線の動き出しが少ないと家長もノッキングを起こして前進することができなくなった。
立ち位置を変えて横浜に揺さぶりをかけたが、そこは長谷川がきっちりとケアして侵入を許さなかった。

横浜はチーム全体がカウンター志向に切り替え、さらにこの日は主戦だった小川航基もユーリ・ララも累積警告で不在。川崎にボールを持たれるのは受け止めつつ、川崎の揺さぶりに臆することなく戦った。しかし、ヒアンの投入は早すぎた。負傷から復帰初戦の長谷川は当初から60分程度の稼働だったはずだが、ヒアンの投入をしたことで前線からのプレスに甘さが出てしまい、ボールを制限しづらくなった。その結果、ボランチの脇の部分を使われるようになり押し込まれてしまった。そして制限がかからない縦パスを入れられる事でピンチを迎えた。

瀬古のゴール

後半22分、吉野が川崎の選手を倒してファウルとなると、そのフリーキックに立ったのは瀬古。壁を越えるボールを蹴ると思いきや、壁の低い方を狙って蹴ったボールは壁に立った和田の反応がやや遅れヘディングで跳ね返すことができず、GKブローダーセンは逆を衝かれて失点。2021年アウェイの鹿島戦で瀬古が決めた時も同じような位置から、壁を越えつつ左に曲げてゴールを陥れたのがきっとブローダーセンの頭にあったのだろう。

ただ、これが瀬古のゴールだったからか、横浜はたじろがなかった。それは織り込み済みくらいの認識で、大卒2年目で残留争いを強いられた中でキャプテンをした男ならこの位は出来るんだぞと。だから王者のクラブに移籍して高みを目指したんだよ。とゴールを誇れる内容ですらあった。

ただ、川崎はその後攻撃のスイッチを入れていた瀬古を下げて、小林と小塚を入れて本格的に家長をトップ下の位置に据えたが、これも機能しなかった。ゲーム終盤には横浜・山根が負傷交代するアクシデントはあったが、川崎の攻撃を跳ね返し、最後川崎のプレーがオフサイドになったところで試合終了。

命あるものが輪となり、永遠に時を刻む

横浜はJ1で川崎に7戦目で初勝利と言われているが、21年ぶりに川崎に勝利したことの方がしっくり来る。過去1勝しかしたことのないチームを破るのはどれだけ苦しい道のりだったか。この勝利で、また横浜は川崎との戦いで前を向ける。

その一方で、川崎の状態を私は少し心配している。昨年こそ2位だったが、近年最も強い部類のチームといっても過言ではないだろう。そのチームがカウンターとは言え2発で沈んだ。
ここ数年川崎は代表クラスの選手を多く生み出し、そして移籍で失ってきた。三笘、守田、田中、旗手、谷口と日本代表の主力が数年で続々と離脱されたら台所事情は苦しいだろう。このゲームだけに関していえば、脇坂もシミッチも大南も不在。大島は怪我を抱えて稼働が不安。全体的な高年齢化も進む。21世紀に入って大きな隆盛を見せた川崎の一つのサイクルの終わりの予兆なのか、個人的には考えてしまう。

命あるものが輪となり、永遠に時を刻む

ライオンキング

現在横浜ユースを務める小野信義の決勝ゴールから21年、横浜はふたたび時が動き出した。あの時のメンバーの多くが指導者となり、またサッカー界に還元している。同点ゴールを決めた有馬と迫井は広島でコーチに、神野は盛岡のGMと強化部長に、重田は横浜でヘッドオブコーチとして、その他にも何人も指導者となっている。横浜での希望と絶望を、信頼と愛を紡いでいく。

多くのサポーターがこの試合を見て、選手を見て、胸に刻むだろう。横浜というクラブを。語り継がれていくだろう動き出した物語を。そして川崎のサポーターも同じ。それがまたクラブの一つの物語となる。その物語がずっと続いていくからクラブは永遠に生き続ける。

ここまでくるには、どれだけの選手や監督、スタッフが困難と向き合って戦い続けてきたのだろうか。以前はサポーターも少なかったから、21年前の記憶は散り散りになっているが、こうして人が増えれば目撃者は増える。目撃者が増えるとそれだけ物語の余白を埋められる。選手に物語があるようにサポーター一人一人にも物語がある。ファンが多ければ多いほど横浜の物語の数も増える。物語の多さは、重みでもある。

王の時代は太陽のように登り、そして沈んでゆく。私の時代もいつかは沈む時がやってくるだろう。

ライオンキング

王となって太陽の様に崇められても、いつかは沈んでいく時が来る。それが今なのかいつかなのかは誰にもわからない。わからないから、そうならない様にみな努力する。その時が来ても、それをじっと受け入れて、次の世代がもっと良くなるようにつないでいく。
横浜が太陽の様に登った時はあったか?J1昇格は夜明け前の話だ。過去2回最下位でJ2に降格している横浜にとって、まだ登ってもいないだろう。

横浜はまた一つ階段を登った。16位。降格がなかった2020年の15位が最高のこのクラブにおいて、この順位はまだ日の目を浴びていない。太陽のように高く登りたい。いつか沈む時が来るとしても、今だけは昇る朝日になりたい。この勝ちが新しい夜明けだと信じて。


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