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E27:あれは「救いの手」だったな

不思議ですね。事実は同じなのに
当時(=ことの直後)と、現在(=20年以上経過)では
まるで感じ方、捉え方が違うんです。
面白いな、と思います。

時系列は逆ですが、今回は
実質的に先週の続きです。

僕はド新人の頃、決して「優秀」ではなかった。
ただ、仕事自体は合っていたのか、
大きなミスをすることなく、できていた。
だから僕は自分を「ある程度できる人」
だと思い込んでいた。

その雲行きが怪しくなったのはそれから数年後、
まだまだ駆け出しの僕は、ここで初めて
「はっきりしたミス」をおかした。

この件に関しては
(悪気はないが)僕が完全に悪い。

ところが、これをきっかけに、僕の仕事には、
当時の上司Aさんから一つ一つ「監視いやがらせ」が入った。

自分が何かアイディアを出して、
仕事を発展させようと思っても、
すべて事前に却下されてしまう。

常々Aさんから言われていたのは
「俺に通せ」
「お前は余計なことをするな」
「何も言うな」
「アイディアという名目でルール違反をするな(?)」

要するに余計な事はせず、
与えられた仕事を淡々としていろ、
ということである。
(この仕事のキリとケリがついたら、
 僕はこの業界を去ろう)
僕がそんなふうに思いつめるまで、
時間はかからなかった。

少しずつ積み上げたキャリアは音を立てて崩れ始めた。

ド新人として過ごしたそれまでの職場では「頑張れば認めてくれる」という状況で、僕はそういうのが当たり前だと思っていたから、自分のやることなすこと全てを否定される、こんな状況に、もうなす術もなかった。

Aさんのこれは
愛情か、それとも…?
自分でも判定しかねていた時、神様がヒントをくれた。

A「アイツ(=僕)は何しでかすかわからんからな、
アイツの書類だけは念入りに見て文句言うたるねん!」
ヘラヘラ笑いながら言っているのを、
偶然聞いたことがある。
まさか、真後ろに僕がいるとも知らず…。

(ああ、そういう感じで見られてるのか……)
悲しくなったが、妙に納得した。そういうことなんだな。
ただ悔しくて言い返そうにも、僕の仕事は実際に
半人前でしかなかった…。

おい新人源太よ、大変だねえ。こっちの世界では、その状況を「パワハラ」っていうの。そう、あと数年経てば、それを、一言で言い表せるようになるんだがね…。当時はまだみんな知らなかったよなあ、そのことば。

さて、Aさんの隣の席に、同じく上司のBさんがいた。その座席位置の関係もあり、Bさんは「Aさんにガミガミ言われている僕を一番間近で見続けていた人」ということになる。


ある日、別室で作業をしていたら、たまたま(?)その上司Bさんと二人っきりになった。

B「職場には慣れた?」
源「いやー全然ですよ。失敗ばかりして、イヤになります」
B「俺もな、いろいろ言われるねん。Aさんにな」

そう言って、Bさんはいたずらっ子のように笑った。

源「え?Bさんもですか!」
B「そやで~」
源「それは知りませんでした…。」
B「なんでこんな言われ方せなアカンねん、て思う時あるけど、かろうじて向こうが先輩やからぐっと我慢してるねん」
源「そうやったんですね。でも僕の場合は、ほんまにちゃんとできてませんから、言われてもしょうがないんですけど」
B「まあ、でも、あれはあんまりやなと思うけどな。それにしても、源太くん、最近元気ないな」
源「いやあ、夏バテもあるんです。食欲ないし、味の好みも変わったような気がします」
B「味の好みて?」
源「はい、昔好きだったものが、味が薄いというか、ぴんとこないといか…。」

この「味が薄い」と言う僕の言葉を、
Bさんは聞き逃さなかった。

B「ひょっとしたら、なんやけどなぁ」
源「はい?」
B「源太くんは、風邪引いとるんやないか?」
源「いや、引いてないと思いますけど…。」
B「『心の風邪』やで?」
源「…心の風邪?」
B「そう。病院行った方がいいで。薬もらっておいでや」

Bさんは静かに、でも真剣に言ってくれた。

源「心の風邪って、薬で治すんですか?」
B「そやで、気合いで治るもんとちゃうよ。
 きちんと診察を受けて。元気にならんとアカン」

僕がよく、自分の文章の中で好んで使う
「まるで縁側でお茶でも飲んでいるような」
2人で話している空間は、そんな優しい空気が漂っていた。

今、改めて思うことがある。あれは「たまたま」二人っきりになったのではなく、Bさんがその「タイミングを計って」くれたのではないかと…。


「心が風邪ひいてるよー。」
とても、優しい言葉だった。 

果たして、僕は病院に向かった。そのために
いつもは乗り換えだけをしている、ある駅で
初めて改札を出て、その周辺の街を歩いた。
そこで僕は不思議な感覚にとらわれた…。


もちろん治療もしたけど、その行き帰りの街並みに、とても活気があって、少しだけ元気になった。商店街をゆっくりゆっくり歩くと、いろんな店があって、それを眺めているだけでも、不思議と心が落ち着いた。

他の街を歩いてもそうはならない。気を紛らわせようとして、他のことを考えたとしても、仕事のいろんなことを思い出して嫌な気分になるばかり。

ところが「この街を歩いた時だけ」、なぜか気が紛れた。気持ちが落ち着いた。それは自分でも説明がつかない不思議な感覚だった。
初めてなのに、なぜかこの街はホッとする。これは「直感」だ。

その街にいると、いつもはイライラする仕事のことも
なぜか客観的に、一歩退いて考えることが出来た。
不思議だ。

今の職場を去る時が来ても、僕なんて慰留はされないだろう。それならそれで良い。そう思っていた。もう組織はこりごりだ、と。
心が壊れるくらいなら、僕は自分のペースで仕事をしたい。
でも、こんな奴に仕事を回してくれるほど、世の中甘くはない。

自分のスキルを上げなければ、ずっと僕はこのままだ。
それでいいのか?
いや、それは、いやだ…。

じゃあ、源太、お前は、どうなりたい?

僕は身体の事情があって、小さい頃の遊びは「ごまめ」扱いが多かった。
(※地方によって言い方が違います。リンクご参照ください)
だから、僕は関西人だけど「ごまめ」という響きが嫌いだ。
もう、大人になってまで「ごまめ」はこりごりなんだ……。
絶対に、イヤなんだ!!

その街の喫茶店(=「カフェ」ではない 笑)で
お茶を飲んで考え込んでいると、

突然、考えが降りてきた。

そうだ。
いつか、この街に住もう!
そのころには、バリバリ仕事ができる人間になってやろう。そうすれば、どんなアイディアを出しても、もう誰にも邪魔されないだろう。

さて、それで? どうしよう。
考えてもわからないから、
とりあえず思い描く「理想の状況」だけ、勝手に想像してみた。

【こうなったらいいな的、想像】

「すみません。辞めさせていただきます」
「いや、源太くんに辞められると困るんだ本当に!」
「お気持ちはうれしいですが…」
「そこをなんとか…君のチカラが必要だ」
「いえ、あの、本当に困ります、困ります」

こんなやりとりばかり「想像」していた。
あり得ないけど、いつか遠い先、こんな日が来ると良いな…。
全く仕事のできない若者(当時)は、その街でお茶を飲みながらこんなことばかり考えてニヤニヤしていた…。
ああ、気持ち悪い… (笑)


その5年後、
僕は本当にその街の住人になった。
さらにその3年後、
あの(当時は)とんでもないと思っていた想像も、
ちゃんと「現実」になった。

ちなみに以来、ずっとその街に僕は暮らしている。
普通の街だ。何も特別なことはない。
でも、僕はやっぱり落ち着く。なぜだろう。
不思議だ。

こんなことを書くと、努力家と思われるかもしれない。
でもほとんど努力はしていない。
ただ、言えることは
あのころ、猛烈に「悔しかった」だけ。
「ごまめ」呼ばわりがイヤだっただけ。
そして、
たまたまチャンスが巡ってきただけ。
たまたま良い出会いがあっただけ。

人とすこし違うことがあるとすれば、
僕は出生時から、人並み外れて「運」がいい。
不思議だ。


「状況を示す名」を知らなくて苦しんだ時、
「病名」をはっきり言わずに助けてくれた人がいた。
そこから僕の人生は、少しずつ陽が当たった。
その「運」と、「出会い」に、僕は深く感謝したい。


あれから、ずいぶん時間が経った。

当時は
「二度と振り返りたくないどん底」だった
でも、いまは思う
「ああ、あれはターニングポイントだったんだ」と。

歳を重ねると
1つの事実も、見方が変わる。
不思議だ。

あの頃、ある人に言われた
「『被害者』だと思っているうちは何も変わらないよ」の言葉。
あの頃はムッとしたが、今は本当によくわかる。

仕事はある程度できるようになった。
正確に言うと、「できる人」の演技はかなり上手くなった。
だから大多数の人は、僕がその昔、いかにできない子だったかを知らない。ちょっと考えればわかることなのに、表面しか見ない人は、その過去を知ろうとしない。勝手に決めつけてはならないのに…。

今、見えているその人の姿。それだけで何が分かる?
それが、その人の全てではないと僕は思っている。
きっと、トイレの個室で声を押し殺して泣いた日がある。
人には必ず「歴史」がある。
ただ、それをいちいち言わないだけだ。

前回の記事の後輩達よ。
わかったか。

「最初からベテランのヤツなんて、おらんのじゃあああ~!」

と、noteにだけ「大声」で叫んでおく。

お読みいただき、ありがとうございました。
【エッセイ 27】

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