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#0 自己紹介。おかだと言います。


初めまして。興味を持っていただきありがとうございます。



わたしは、理学療法士をやってる普通の人です。



それなりにこの仕事に情熱もってて

それなりに学習意欲と向上心はあって

それなりに決めたらこうッだッ!と思い切りのいい方です。



それでも

普通に悩み多いし

普通にできないこと多いし

マジで普通の人だなーっと思ってます。




自己紹介と思って、想いをたくさん綴っていたら

クソ長い文章になってしまいました。




どうしよう、、



まあ、いいか。



お時間ある人だけツマミ読んでみて下さい。



私という人間を表現してみました。

よろしくお願いいたします。



〜私の概要〜

 理学療法士免許取得→総合病院→訪問看護ステーション。

 3学会合同呼吸療法認定士、地域認定理学療法士、笑いヨガリーダー。院内勉強会企画部会の立ち上げ、地域リハビリネットワークでの勉強会係立ち上げ。主に企画と調整、告知役です。安城市リハビリテーション学会なる企画立ち上げはすごく楽しくて、沢山の施設が参加してくれました。私いなくなりましたが今でも続いている取り組みです。またリハビリ専門職による体操教室運営に関わって、実際の講師や企画をやっていました。ここの経験は地域活動の原点になりました。
 訪問看護ステーションへ転職後は、介護予防リーダー育成の取り組みを行政機関と連携し実施しています。私が描いたイラストでご当地体操を考えて、音楽まで作ってもらってDVDにしました。これもすごく楽しい仕事だったし、次の活動に繋がったな〜と感じています。
 愛知県理学療法士会予防事業推進部に所属して、主に介護予防指導者育成事業に関する研修企画、運営を行ってます。「介護予防推進リーダー研修」「地域ケア会議推進リーダー研修」「介護予防指導者育成事業地区別検討会、全体会」「シルバーリハビリ体操普及事業」が今年の主な仕事です。

 こんな活動が主です。以下に私の仕事に対する想いを書いていきます。



Ⅰ  理学療法士としてのはじまり
 理学療法士を目指したきっかけ
 大学在学中の出来事
 総合病院に就職し、自己研鑽の日々
 介護予防に取り組み始める

Ⅱ  介護予防に携わりたい。訪問看護の世界へ
 訪問看護ステーション勤務で見た世界
 障害は個性だ
 社会の在り方
 
Ⅲ  障がいや年齢は関係なく、皆が最期までしあわせな人生を送るには
 満足できる人生こそしあわせ
 安心して「死にたい」と言える社会
 社会課題を社会貢献で、しあわせに解決したい





理学療法士としてのはじまり



【理学療法士を目指したきっかけ】

理学療法士を目指したのは母の影響が大きかったです。
母はケアマネージャーをしており、医療従事者への憧れがあったのか猛烈に医療関係の仕事を勧めていました。
その提案の一つだったのが、理学療法士でした。
僕はリハビリテーションという言葉を見て、頑張っている人や病気の人を社会復帰まで支える、という文言がとても共感して、偏差値が作業療法より理学療法の方が高かったと言う理由だけで理学療法の道を選びました。
だから決して崇高な目標があったとかそういうことではありませんでしたが、この時から弱った人を支えたいという想いは持っていました。

高校時代はバスケットボールばっかりやってましたので、一生懸命勉強したり努力する土壌はここでできたと思います。
それなりに県内では全国の切符を争う位のスポーツ強豪校でして、残念ながらレギュラーは取れませんでしたが、得意な持久走では部で2番目くらいでした。体力勝負でそんなに負けたことはありません。
なので根性と言う意味では結構自信がありますね。笑
それ以外勝てませんでしたので。


【大学在学中の出来事】


大学に入学し、結構真面目に頑張りました。
私は4人兄弟で、子どもながらに家計が心配で申し訳ない気持ちがあったので、無駄にしまいと必死でした。

そんな中、3年生の実習手前の時期で、幼馴染の同級生が急に亡くなる経験をしました。


この経験はめちゃめちゃショッキングでした。

自宅で何も前触れなく、原因不明の突然死でした。

え、、、冗談でしょ?みたいな感じです。




でもその幼馴染の一件の記憶はいつでも鮮明です。
一緒に国家試験を合格していたら、同じ病院で働いていたかもしれません。

そんな療法士になれなかった幼馴染に、


恥じない自分でいられているか?
療法士として中途半端なことをしていないか?
本気で仕事できているか?



今でも命日が来ると、毎年手を合わせにお家へ伺い、一年を振り返って考えています。この経験で私は「死」について考えさせられました。そして、私の仕事の倫理観というか、誠実性というか、正義感というか。価値観のベースになった経験だったと思っています。


【総合病院に就職し自己研鑽の日々】


地元の総合病院に入職し、2年目位までは応用の効かない野郎だったと思います。
訓練効果、論文、リスク管理。そのようなことを一生懸命調べて実践していました。

争いが嫌いな方だったので、声の大きい先輩の声にはぶつけることを避けて、でもあんまり言うこと聞かずに信じる道を行くタイプでしたね笑
今振り返ってみると、柔軟性もなくあまり面白くないリハビリやってた様に思います。

そして3年目の時に訪問リハビリの部門に異動になりました。
その時にようやく僕は病院の外に意識を向けることができました。
ある私が担当していた患者様で、病院内はとても危なくて歩かせられなかった人が、
ご自宅に伺うと、とても説明のつけられない動きで階段を上がっていました。
そして毎日階段を降りて外へ行き、歩行器で一人で散歩を楽しむ様になっていました。
また、認知症を患う奥様のために、色々な家事をこなしていました。
とてもいい顔をしていました。


患者様の退院後の姿に、私は今まで何を目指してたんだろうと、その時初めて思いました。
そして、病院を退院していった自分の担当患者様のことが次々と頭をよぎりました。

今あの人たちはどんな生活をしてるんだろうか。
動きとかだけじゃなくて、社会の中でどんな立ち位置でどんなコミュニティに所属して、
どういう幸せを願って、どんな思いで生きているのか。
人生は一本の線で繋がっているんだなと意識できました。
病院での生活は患者様にとっては人生のほんの一部だったと思い知らされました。


その人の人生の点だけじゃなく、その軌跡が大切で、
点の先に何があるのかをしっかりと僕たちは見ないといけないと思いました。

その人がどう生きていくのか、その人の幸せにどうつながるのか、
私は考えなければいけないと思いました。



【介護予防に取り組み始める】


そうすると、考え方が変わっていきました。
「なんでこの患者様たちは、何度も病気を繰り返してしまうのか?」
「何をどうやったら、病院の患者様たちのような障害を持つことにつながってしまうのか」

それを考えたときに「予防」と言う考え方はとても重要だなと思いました。
中でも、介護予防という考え方に、非常に僕は興味を持ちました。
もともと虚弱だった方々を、要介護状態にまで落とさないように支える。
まさにこの時やりたかったことでした。

人生は線でできています。
その患者様にとって、病院へ入院することはほんの人生の一部分のはずです。
じゃあ、その障がいを持つに至ってしまった原因はどこにあるのか。
私が解決しなくてはいけないのは、いかにこの負のサイクルを「予防」するのか。
そう考えるようになりました。

そうしたらいてもたってもいられなくて、
病院の主任と掛け合って、地域のリハビリネットワークの会議に出席させて頂くように交渉しました。
そのネットワークの中で、勉強会係立ち上げに参画し、企画運営を行いました。
そして、地域の通いの場への派遣に同席し、さらにアピールして一地区を上司の同席の元で担当させて頂きました。
理学療法士が立ち上げた体操サロンの運営にも携わりました。
生の地域の現場の声を聞こうと、病院外へ飛び出したのです。

最大限の社内資源を用いて、外部との交流を図り、ネットワークを構築しました。
そして学びを得ました。
介護予防の現場の雰囲気。必要なスキル。
現場の不安に思っていること。運営の大変さ。
参加している人の印象と、逆に参加していない人の傾向。

体操サロンに参加している人たちはまだまだ元気な高齢者でした。
多分あと10年くらいはこのままシャキシャキピンピンのままだろうな、というような方々で、ほとんどが女性でした。
そこに私が抱いた印象は、本当に健康を意識しなくては行けない人たちは、ここにいないのではないか?ということでした。
しかしそれは、半分間違いでした。

https://www.jstage.jst.go.jp/article/mpta/28/1/28_3/_pdf
(老化とフレイル―早期発見と効果的介入をデータから考える― 牧迫飛雄馬  理学療法の歩み 28 巻 1 号 2017 年1月
国立長寿医療研究センター 老年学・社会科学研究セ ンター 予防老年学研究部 健康増進研究室)


ここで紹介されているデータは、地域在住高齢者4,341名を対象として、身体的フレイルと将来の要支援・要介護の発生との関連を調べたものです。
健常な高齢者では1.2%が2年間で要支援・要介護の発生が認められたのに対して、
プレフレイルに該当した者では4.3%、フレイルに該当した者では17.6%であったと言う結果です。
健常な高齢者に比べてプレフレイル高齢者では2.5倍、
フレイル高齢者では4.7倍に要支援・要介護発生の危険が増大していました。

このデータを見たときに、
この目の前の元気な人たちでも十分リスクがあり、虚弱者4−5人に一人程度の確率で、
2年後には要介護状態になる可能性が高いのだ、ということを認識しました。
このことから、体操サロンに来れるくらい元気なうちから、社会的に健康のループに巻き込むことが大事なのだと気付きました。


では、私が訪問リハビリ等で見てきた、外出困難な方や男性の方はどうするのでしょうか?
家族以外のコミュニティを持たない方や、家から全く出ない方もたくさんいました。
本当に出て来て欲しい、虚弱で引きこもりがちな人たちはこういった表の場所にはきていません。
多分、キャラクターが合わないのでしょう。
健康への意識の低さも関係するかもしれません。

なので、「予防」の観点のアプローチとともに、
地域に密着して個人を「支える(支援する)」アプローチも、合わせて必要なんだと理解しました。
つまり、健康高齢者や虚弱者を引き上げるアプローチと、一度障害を持ってしまった方々を支えるアプローチは、
別個で必要なことだと改めて思いました。
そしてこれは病院ではうまく表現できないと思いました。
なぜなら異動でめまぐるしく人が変わりますし、個人にうまく焦点が当たらない。
病気になった人にはリーチしやすいけれど、入院前や退院後の生活レベルには踏み入りにくい。
地域に密着できないと感じました。

当時は、この「予防」と「支援」の2つのアプローチが容易なのは、訪問リハビリや訪問看護だと思いました。
病院勤務経験で得た理学療法のプロフェッションと、社外活動で得た社会関係資本を蓄えながら、
私は一年後、訪問看護ステーションへ転職し、訪問看護の世界へ飛び込みました。




介護予防に携わりたい 訪問看護の世界へ




【訪問看護ステーション勤務でみた世界】


訪問看護ではこれまで相手にしてきた高齢者や脳卒中の方々だけではなく、子供や元々生まれつき障害をお持ちの方、難病の方、
その他様々な社会的事情を抱えた方々など、病院とは違った相手を見ることができました。

その業務の中で、介護予防活動も並行して行いました。
地域でイベントを開いて人を集めました。
体操教室を月一回開催し、健康高齢者や虚弱高齢者を多く抱えているNPO団体とも協業しました。
そして地域包括支援センターに声をかけていただき、健康づくりリーダー育成事業にも関わりました。
また並行して、愛知県理学療法士協会の予防推進部に所属し、
主に介護予防指導者育成事業といった形で、愛知県からの委託事業や、研修会の主催、講師、ファシリテーターなどを務めました。
これらの活動は非常に充実していて、地域貢献できている実感が持てました。


そんな中、私は今の価値観に非常に影響を与えた2つのケースに出会いました。



【障がいは個性だ】

一人目は、

30代癲癇持ちの、私より少し年齢が上くらいの男性でした。
その方の家庭は、70代のお母さんが30代の息子を介護している、そんな状況です。

社会で言うところの8050問題に当たる状況でした。
以前サービスを導入しようとしたこともあるようですが、お日様が怖いなどの理由で継続することができなかったので、
今まで何のサービスも使って来なかったと言っていました。
中学校でいじめにもあった経験があり、その頃から自宅にこもりきりの生活だと言う方でした。
流石にお母さんも介護が限界を迎えていて、施設入所も検討している中、
対人関係の練習をしたいとのことで、訪問看護が導入となりました。

その方の部屋を見たとき、私はなんて独創的な世界を描いている人だなぁと思いました。
部屋全体の壁の隅々までシールが張り巡らされていました。
そして私が訪問して帰る際には、
「お兄さん、ちょっと待って。ドラえもん一個あげる。100円になりますっ。」
て言う感じで、迷わずドラえもんシールのある壁に向かっていって、そのシールを剥がしてくれるんです。
それを見たとき私は、
「この方はどこに何のシールがあるのか、ちゃんと把握してるんだなぁ」と思いました。
そして私とルールを決めて、一緒に遊ぶことができました。
お金は仮想通貨を作って使用しました。
この方は、練習すれば誰かと一緒にルールの中で作業することができる、そう思いました。

今まで身体の事や生活動作のことを中心に見ていましたが、
その方はどんなことならできて、どういう条件の中ならできるといった、
適応できる条件を探していくことに、私たちの価値があるんじゃないかなと感じました。

そしてどんな人でも、誰かのために何かができたという成功体験は、
他の事には変えがたい幸福な感覚だと思います

それがその方の幸せに繋がるんじゃないかなと本気で思いました。

そう思うと、障害を持っているっていうのは1つの個性でしかなくて。
その方が社会の中で、どう適応して、どんな幸せをつかんでいくか。
ここのお手伝いをすることが僕たちの「支援」なんじゃないかと強く思いました。



【社会の在り方】


もう1人衝撃的だったケースがあります。
引きこもりの30代のお孫さんを世話する、90歳の女性でした。
その方は脊柱管狭窄症で腰が痛くなり、連続して5分も動けないような方だったんですが、
それでも家の中の家事はほとんどその方が行っていました。
60代の娘さんと同居でしたが、相当の潔癖症で外出したがらず、ほとんど引きこもった状態でした。汚い物は一切触れず、四六時中手を洗っています。
他に頼れる親戚が全くおらず、そう面識のない従兄弟にあたる人を養子にとって、月に2,3度程買い物等の支援をしてもらっていました。
そしてその女性が言ったことが今でも忘れられません。
「私がいないとこの家は成り立たない。私が死んだときには、多分孫も娘も一緒に死にます。じゃないと社会に迷惑がかかりますから。」
そう言いました。

こんなにこの方は追い詰められているのに、私はこの問題に為す術がありませんでした。
相談員の方へ相談すると、
「そこに突っ込んで話をしていくなら、あなたも一生この方々と向き合っていく覚悟が必要です。」
と言われました。
訪問看護ステーションの理学療法士としてではなく、あなたが、と言うことです。

上司と相談した結果、私の判断は、あまり深入りしないことでした。
そしてそのことが、いつまでも心に引っかかっています。
こういったケースに私ができた事は何だったんでしょうか。

私は私の役割である、利用者様の腰の痛みに対する支援と外出支援を行いました。
福祉用具も調整し、転倒リスクを最大限落とす工夫をしました。

しかし限界を迎えたのか、腰の痛みで病院を受診しそのまま入院となりました。
きっかけは特になかったそうですが、圧迫骨折でした。
ご本人が入院中、ご家族様はお弁当を取ったり、養子さんが定期的に来て細々とした用事や家事はこなして下さっていました。
退院後も痛みが強くなり、少し動くと痛みが走る状態だったそうですが、家事はできる範囲で続けたそうです。
来客をもてなす体力があるなら家事へ回したいと言うことで、訪問看護は一旦終了になってしまったので、ここで関わりが途絶えてしまいました。

もしこの方が限界を迎えてしまったら、一家心中でも図りそうな勢いです。

この方々を引きこもりの状態から引っ張り出したいわけではありません。
無理に社会参加させようとか、そういうことでもありません。
今の時点では、この方やご家族の想いを傾聴することしかできません。
でも今の生活を続けると言う事が、本当に幸せなんでしょうか?
この人たちが幸せになるためには、何が必要だったのでしょうか?


上手く答えは持っていませんが、
1つの考えとして、社会のあり方は変わるべきだと思っています。
もっと早く手当てができていれば、状況は違ったのではないかと思います。
どんな障がいがあっても、どんな個性だったとしても、伸ばせる所はあった筈です。
あんなに素敵な個性を持ってる人が、どうして外の世界で生きられないんでしょうか。

障がい者、発達障がいなどに対する社会の認識は変わるべきです。
障がいは個性です。
十分に活かせる能力はありますし、自律出来ない部分があってもいいと思います。
依存先を増やせば良いのですから。
それが実現できない社会に問題があります。



障がいや年齢は関係なく、

皆が最期まで幸せな人生を送るには。




【満足できる人生こそ幸せ】


私は大学の一件があってから、自分の「死ぬ時」をめちゃめちゃイメージしています。コヴィー先生じゃないですが、マジで自分の葬儀でどんな人に参列して欲しいかとか、どんな最期がいいかとか。



もし皆さんが
「死ぬときに、どんな死に方をしたいですか?」
と聞かれたらどうしたいでしょうか。

私だったら
「もう十分にやり切って満足。幸せな人生だった。」
と言いたいですね。


元大阪知事の橋本徹氏は、
これまでの人生を振り返って記憶に蘇ってくるものは、すべて「自分なりに精一杯、全力で行動した」ときの記憶です。
いつか皆さんが死ぬとき、「自分の人生、本当によかった」と思えるかどうかは、
「今、自分が死んだとしても後悔はない」と言えるくらいに、今を一生懸命に生き続け、完全燃焼することが大切、と述べています。
https://shuchi.php.co.jp/article/7465?


私はこの言葉にかなり共感しています。
自分の目の前のことに完全燃焼して、熱中できたとしたら、
もし自分の人生の幕を閉じる瞬間が来ても、満足できるかもしれません。
それは私が、達成することや熱中することに、幸せを感じているからだと思います。


幸せを感じる価値観は人それぞれです。
しかし障害を持った方は、そういった自己表現が苦手だったりします。
引き出すためには「支援」が必要なんです。
そしてこういった方々は個性が非常に強いです。
ときには、はみ出し者として捉えられてしまうこともあるかもしれません。
ですが、一つ一つ分解してみると、
一人一人優れた個性があったり、
しっかりと社会適応できる部分がある筈なので、
そこを社会に訴えていくことが必要だと思っています。


先ほども述べましたが、
障がいがある方であっても、自立できていなくても、
誰かのために何かができたという成功体験は、
他の事には変えがたい幸福な感覚だと思います。
それがその方の幸せに繋がっていくと思っています。



【安心して 「死にたい」 と言える社会】


ここに関しては諸先生方のお言葉を借りたいと思います。
上記は自殺対策に取り組む精神科の松本俊彦先生の言葉です。
人生の終わりが迫ってきている人、
あるいは、もう辛くて人生を終わりにしたいと思っている人が、
安心してもう死にたいと言える社会とは、どんな環境でしょうか。


松本先生はこう述べています。
そんな人たちが、もし「死にたい」と口にした時、
「じゃあ私が死に至らしめてあげよう」と、すぐに自分を殺しにくる医療者もいなければ、
「そんなこと言わないでくれよ」と言って、自分を否定してくる親戚もいない。
「ああ、あなた死にたいって思ってるのか。よかったらもう少し話を聞かせて」
って言う人がいて、その人に関心を持って、その人の物語の証人になろうとする人がいる。
そんな社会が理想ですよね、と言われています。


人は必ず死にます。
健常者も障害者もありません。
同級生の「死」という経験から、私は「死」に対して強い関心を持っています。
どんな人でもいつかは年老いて死んでいきます。


たくさんの終末期患者様に携わって来られた腫瘍内科・緩和ケア内科医の西智弘先生は、「死」に関して書籍でこう語られています。
昔から「死」は人間にとって凄まじい恐怖でした。
先人達は極楽浄土と言う概念を作って、絵を用いたりストーリーを描いたりして、
何とか人間の意識の中で、「死」と言うものを扱える様に格闘してきました。
しかし、いくら「死」と言う言葉を当て嵌めても、
私たちは全くこの「死」と言うものを取り扱えるようになってはいません。
https://pluscare.thebase.in/items/29980417


最近は厚生労働省が積極的に推進している人生会議(ACP:advance care planning)と言うものがあります。
人生の終末期において、人が最後まで尊厳を持って生きられるように、
前もって受けたい医療やケアの内容を、
家族も含めて話し合っておくプロセスのことを言います。
https://songenshi-kyokai.or.jp/living-will


西先生はこのことにも、
人生会議に対する医療者や本人・家族の考え方も、「死」にフォーカスが当たり過ぎていると指摘されていました。
人工呼吸器をつけるか否か?胃瘻を作るか否か?最後はどこで死にたいのか?
それを明らかにすることが、人生会議の本質ではありません。
それは、「死」に向かっていくプロセスに対して、人間の白黒つけたいと言う欲望の表れです。
上記の様に、「死」が取り扱えない概念である以上、
そこに向かっていくプロセスに関しても明確にできないはずです。

「死」に向かっていく本人の言葉を、一生懸命に集めながら、
またゴールの見えない曖昧さに一緒に耐えながら、
今日も人生のジグソーパズルを一日ずつ埋めていきましょう。
そういった考え方をしなくてはいけません。
と、こう述べられています。


お二人の先生は別の切り口から「死」について考察されています。
安心して人生の幕を閉じることに関しては、
私が考えているキーワードは「幸福感」「繋がり」「信頼」の3つの言葉です。



【社会課題を社会貢献で、しあわせに解決したい】


今、日本は超高齢先進国です。
以前、週間ダイヤモンド新聞で3つの大きな社会課題を指摘されていました。
これらの問題に対して真摯に向き合わなければ、
幸福感のある人生の幕の閉じ方はできないんじゃないかな、と思っています。
https://diamond.jp/articles/-/73755


1つは終の住処問題です。
最後を迎える時にどこで死ぬかということです。欧米諸国と比較すると、圧倒的に比率が高い状況です。
この記事の中では、①医療への盲目的な受け入れ②日本独特の精神風土と家族主義
という2点を指摘しています。
ここに関しては、「脱病院、脱施設」を合言葉に、地域包括ケアシステムが敷かれました。
生活の場へなるべく返して、住み慣れた地域で最後を迎えてもらおうといった考え方です。

特別養護老人ホーム、有料老人ホーム、養護老人ホーム、ケアハウス、介護老人保健施設
認知症グループホームやサービス付き高齢者住宅等がその看取りの機能を兼ね備えることで、
終の棲家の役割を果たし始めています。


2つ目は認知症問題です
このことについても新オレンジプランが出される、東京で認知症サミットが開かれるなど対応が国レベルになってきています。
https://www.mhlw.go.jp/file/06-Seisakujouhou-12300000-Roukenkyoku/0000079008.pdf


3つ目は看取り終末期問題です
日本は欧米諸国と比較すると、「病院死」が圧倒的に多い国です。
2016年のデータで最も低いオランダの病院死比率が29.1%なことに対して、
日本は75.8%と圧倒的に高い数字です。

※この数字も、2006年では約8割であった数字が、2016年のデータでようやくここまで下がってきたのです。
2006年から「看取り介護加算」が設けられ、介護保険の後押しがあったことも影響しています。
回復の見込みのないと医師が判断した場合に、入居者の家族から同意書をもらい、
介護計画を立ててスタッフ体制を取ると、介護報酬として別に加算収入が施設に入るというものです。


こうした課題を抱えた社会の中で、安心して最期を迎えるためにはどうしたらいいのでしょうか。



私は「幸福感」のある人生を構築するために、
それぞれの価値観に合わせた環境を用意し、社会貢献(あるいは他者貢献)が何らかの形でできると良いと考えています。


この社会貢献は、必ず何かしらの「繋がり」を生みます。
そしてそれが、その方の居場所になり、ここに居てもいいんだと思える場所になります。


そして人生の終末期を迎えた時、安心して「もう死にたい」と言えるような、
周りに「信頼」できる人間関係が育めていたら、
それは最高の死に方だなあ、と思っているのです。



なのでまずは、「幸福感」を感じられる様に、あらゆる人が社会貢献ができて、
自分の居場所を感じられるような社会を作り上げないといけません。
そのゴールに向かって、具体的な行動に落とし込んで行くことが、
私の目標としていることです。



例えば、働くことは最もわかりやすい形で社会貢献ができる意義のあることです。
一生懸命努力した経験や、仲間と一緒に活動した達成感は、他の報酬には変え難い物です。
それでなくても、他者貢献をすることで自分の居場所を感じることができます。
例え自立できていなくても、共同作業や支え合いを通して、お互いの信頼関係を紡いで行くことで、
幸福感を感じられる空間を作り出せるでしょう。



最終的には、自分の親が、妻が、自分が、自分の子供が、そしてみなさんが、
安心して人生の幕を閉じられる社会が出来上がることを夢見ています。
これが私の生涯のミッションだなぁと感じています。



以上長々と書き綴りましたが、最後までありがとうございました!

じゃあ、明日からもがんばろーね。


岡田 壮司

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