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国語便覧と反自然主義

高校時代は持っていなかったのに、この歳になって買った物のひとつに『国語便覧』がある。高校のときは存在すら知らなかった。

最近、機会があって、志賀直哉の『小僧の神様』を読んだ。高校生の頃に読んだときは「どこが面白いんだ?」という薄い反応をしてしまった。けれど、大人になって読み直してみると、意外に面白い。当時の私は『小僧の神様』の面白さを味わえていなかったのだろう。

志賀直哉で『国語便覧』を検索すると、こんな風に記述されている。

反自然主義の潮流② 白樺派
自然主義にも耽美派にも不満な作家たちが雑誌「白樺」に集った。武者小路実篤、志賀直哉、有島武郎らである。

「反自然主義? なんですか、それ?」という気持ちだ。

もちろん、白樺派は知っている。中学校の授業でも、確か『生れ出づる悩み』が教科書にあって読んだと思う。でも、反自然主義という用語は知らなかった。素直に『自然主義』で辞書を引こう。

元来は自然を唯一絶対の現実とみなす立場をいう哲学用語であるが、文芸上でとくに、写実主義のうちに自然科学の客観性と厳密性を取り入れることを主張して、19世紀後半のフランスでゾラを中心としておこり、ヨーロッパ各国に広がった文芸主潮をいう。自然主義はつまり、写実主義に対立したもの、あるいは別個の潮流ではなく、それを継承し、さらに方法的に推し進めた同じ流れに属するもので、このため、作者および作品の両派の区分がかならずしも明瞭 (めいりょう) にされない場合もしばしばある。自然主義はまず、すでに時代遅れとなった虚偽のロマン主義に対する反動としておこったが、時代の科学万能主義の思潮と相まって、単にありのままの現実再現という写実主義に飽き足らず、「総合的真実」を描くために、現実をつくりあげている科学的根拠としての「原因」を追求しようとした。つまり、この現実世界を説明することができる方法はただ一つ、科学しかなく、物理的世界の認識に対して科学がすることを文学のなかで行おうとするもの、たとえば心理学にかわり、人間の行動における生理学的根拠や、感情、性格を決定づける社会環境などが追求される「科学的作品」を創造しようとするもので、コントの実証主義、テーヌの決定論、ダーウィンの『種の起原』、クロード・ベルナールの『実験医学序説』、リュカProsper Lucas(1805―1885)の遺伝学などがこの場合の理論的根拠となった。

日本大百科事典『自然主義』


むむむ。思った以上に難しかった。素直さが足りなかった。素直に『反自然主義』にすれば良かった。

自然主義文学勃興のころから、これとは反対の立場にあったものに広く使用されていた語であったが、現在では「非自然主義」と区別し、自然主義文学に反対の立場を表明して新しく出発した文学についていう。この観点から著例を拾うと、夏目漱石の出世作群『吾輩は猫である』(「ホトトギス」明38・1~39・8)『坊つちやん』(「ホトトギス」明39・4)『草枕』(「新小説」明39・9)などは自然主義とは別派の文学的出発をしようとしたものであり、『草枕』は彼の芸術観と人生観の一局部を代表したものとして、「非人情」の境地を目ざした余裕派小説の主張と実践であった。講演『文芸の哲学的基礎』(「東京朝日新聞」明40・5・4~6・4)では、文芸家の理想を真、善、美、壮の四種とし、これらは平等の権利を有しているが、自然主義者は真の理想をのみ見て善の理想を傷つけたとして攻撃し、終生、反自然主義の創作態度を貫いた。
森鷗外は出世作『舞姫』(「国民之友」明23・1)や明治二四~五年の坪内逍遙との「没理想論争」以来、浪漫主義、理想主義的態度を持して自然主義的傾向とは縁遠いものがあったが、自然主義の全盛期には『あそび』(「三田文学」明43・8)を草して、自然主義ならざる文学の存在権を明らかにするなど、つぎに来る耽美派など反自然主義文学者の精神的支柱となって反自然主義と評されてきたが、むしろ非自然主義というに近かろう。
自然主義時代と雁行した象徴派やつぎにくる耽美派などは、ヨーロッパ同様に日本においてもまた、反自然主義の新文学の出現であった。はじめゾライズムの紹介者として自然主義者として出発した永井荷風は、アメリカ滞在中に「胸裏には芸術上の革命」が起ころうとし「ゴーチエーの如き新形式の伝奇小説を書きたし」(『西遊日誌抄』明37・1・5の章)としたが、『あめりか物語』(明41・8 博文館)『ふらんす物語』(明42・3 博文館、発禁)以来の諸作は情趣主義、享楽主義の耽美派文学の誕生であった。谷崎潤一郎は初期の『刺青』(「新思潮」明43・11)『麒麟』(「新思潮」明43・12)『少年』(「スバル」明44・6)など以来、盟友佐藤春夫の評言(『潤一郎。人及び芸術』「改造」昭2・3)のように夢幻的空想、空想的構想、主観的情熱、色彩的誇張、描写的力説などで、終生、最も鮮明に反自然主義の旗印を掲げた耽美派の作家だった。詩歌壇における自然主義攻撃の主張は新詩社同人の『「明星」を刷新するに就て』(「明星」明42・12)などに代表例が見られ、蒲原有明、北原白秋、三木露風、木下杢太郎らの象徴詩や抒情小曲を生んだ。
つぎにつづく白樺派の武者小路実篤、志賀直哉らの文学は、人間を肯定し愛と人道とを信じることにおいて、自然主義以前的な性格の反自然主義であり、芥川龍之介、菊池寛らの新思潮派も、理知主義と技巧主義で自然主義の超克を目ざして出発した。

日本大百科事典『反自然主義』

うーん、長い。ただぼんやりと感じるのは「そうか、我が輩は猫であるは、反(非)自然主義なのか」という、わかったような、わからないような印象である。また、事実はともかく、なんとなく「日本では自然主義はあまり流行らなかったのかなぁ~」という印象も受ける。だって教科書に載っている名前がいっぱい出てくるのだもの。

いずれにせよ「白樺派」は反自然主義らしい。まぁ、それは『国語便覧』で分かっていたことなんだけど。いわゆる振り出しに戻った。

そういえば、高校時代、図書館にあった『武者小路実篤全集』を全部読んだ。ちょっと自慢だ。なんの自慢だ?

あの頃は、学校の図書館も図書カードを使っていて、『武者小路実篤全集』は誰も訪れない未踏の地だったのだ。たぶん、今でも、卒業した学校の図書室の『武者小路実篤全集』は私しか読了していないと思う。反自然主義という言葉を知らなかったけれど、それで許されないだろうか。うーん。

志賀直哉についていえば、『暗夜行路』も高校生のときにちゃんと読んだ。そして、その後、大人になってから、鳥取県の大山(だいせん)に登った。

正直にいえば、『暗夜行路』に書かれているよりもずっと簡単に登れてしまったのが、ちょっと残念だった。『暗夜行路』の結末近くで描かれる大山の山腹から見た明け方の光景は、読んだ当時は高校生で子どもだったが、とても美しいと思ったのだ。

だから、どんな山なんだろう、どんな景色が見られるんだろうと、すごく期待して登ったのだ。そういことって誰にでもあると思う。いずれにせよ、そのシーンは今読んでも美しいと思う。

中の海の彼方から海へ突出した連山の頂が色づくと、美保の関の白い燈台も陽を受け、はっきりと浮び出した。間もなく、中の海の大根島にも陽が当り、それが赤鱏を伏せたように平たく、大きく見えた。村々の電燈は消え、その代りに白い烟が所々に見え始めた。然し麓の村は未だ山の陰で、遠い所より却って暗く、沈んでいた。謙作は不図、今見ている景色に、自分のいるこの大山がはっきりと影を映している事に気がついた。影の輪郭が中の海から陸へ上って来ると、米子の町が急に明るく見えだしたので初めて気付いたが、それは停止することなく、恰度地引網のように手繰られて来た。地を嘗めて過ぎる雲の影にも似ていた。中国一の高山で、輪郭に張切った強い線を持つこの山の影を、その儘、平地に眺められるのを稀有の事とし、それから謙作は或る感動を受けた。

志賀直哉『暗夜行路』

すごく美しく自然を描いているのに、反自然主義。まぁ、《自然》という語義が違うのだろう。でも、やっぱり自然主義がよくわからない。

まぁ、それはそれで仕方がない。ただ、きっと、今後、明治後期から大正にかけての小説を読むとき、私は『国語便覧』を脇におきながら、「これは自然主義? 反自然主義?」というようなことを確認し、それを頭の片隅におきながら本を読むようになるだろう。分からないまま、保留のままでいるというのも、そんなに悪いことではないのだ。

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