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日記・雑感

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どうでもいい日々の雑感
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2020年6月の記事一覧

花のアナウンサー

彼がなぜアルトコ市中央テレビ(略してアル中テレビ)に所属する花のアナウンサーについて知ったのかはよくわからない。プリンプリン物語を再放送していたからだとは思うのだけれど、そんなに長い期間、再放送をしていたような気もしない。よっぽど印象に残ったのだろう。 そんな彼も4月に就職して独立した。親として一区切りがついたといえる。 それでも彼の空っぽになった部屋に入ると、当たり前のことだが時の流れるのは早いなと思う。ついつい夫婦で古い動画を引っ張り出してみてしまう。こういうのを感傷

旅のことば。プロジェクトが生まれた日

慶応義塾大学の井庭さんたちと認知症フレンドリージャパン・イニシアチブ(DFJI)とで、「旅のことば 認知症ともによりよく生きるためのヒント」のプロトタイプ版を2014年に制作した。 下記のノートは、六本木にある国際大学GLOCOMの部屋で、井庭さんたちに「こんなことをしてみたい」と伝えたときのものだ。 ノートは、1) 右ページ中央から下へ、2) 右ページ上から中央へ、3) 左ページ上から下へ、という順番で書かれている。資料はこれだけ。 左ページの進め方のところには期間は

うかい鳥山

蛍の季節。うかい鳥山に集まるのは楽しかったなぁ。 メニューの春の献立の「自在焼」の加茂那須田楽とか佐久鯉洗い、若鮎塩焼、地鶏炭火焼、焼野菜。それに加えて持ち込みありで、大多摩ハムのスモークドハム、ソーセージ、ベーコン切落とし、明かりを消しての蛍、ア・ポワンのメロンショート。

だるま落としと世界の補助線

だるま落としって楽しいよね。だって遊びならが慣性の法則とかが解ってしまうのだもの。 慣性の法則が楽しいのは、電車に乗っていても「あ、慣性の法則だ」って思えること。子どもだった私はそれがとても嬉しかった。 昆虫にも天体にもまったく興味はなかったけれど、慣性の法則は好きだった。それは世界に対して補助線がひけることを教えてくれた。 世界にはたくさんの補助線がある。補助線を一つ一つ見つけていくことは人生のもうひとつの旅だ。 だるま落としはとても美しい補助線だったけど、それに比

フューチャー・ライフログ

オランダのアムステルダムに行ったときに家具屋で面白い本棚を見つけた。壁まで積みあがった積読のように見えるが、実は背後に壁と床によって支えられた柱があって、その途中にある棚によって構成される本棚だ。積読は洋の東西を問わない。 VR積読は今ではほぼ日常的にしていることだが、こんな風なリアル積読も悪くない。 結局、積読とは未来の自分との約束なのだろう。そして、積読を未来の自分の読書リストをバーチャルに作る行為と考えれば、一種のフューチャー・ライフログともいえるかもしれない。

阿吽(あ・うん)

この前、江ノ島に行ったのはいつだっけ。 もしかすると2002年の12月30日。福岡から関東に戻ってきた直後にお正月だと混むからと子供と二人で出掛けた。 写真はそのときのもの。子供は「あ・うん」と言っている。子供が下げているのは、昭和30年代から使われてきた江ノ電500型の引退記念パスポート。トップの写真は夕方の江ノ島。 時が経つのは早い。

知らないうちに

通勤リハビリと思って久しぶりに電車に乗った。時刻は6時半。まぁまぁの混み具合で、そこには私も含まれている。 7時前だが、次の乗り換え駅ではエスカレーターで人が少し渋滞している。密かもしれないが、ただあまり問題は感じない。それよりも、安全のために手すりに手をかけるか否かが気になってしまう。 そのまま、図書館に寄って本を返す。図書館も少しずつ再開に向けて動き出している。 図書館に寄った後、家まで歩いて帰る。久しぶりに長く歩いた。疲労で遭難しそうだ。 そうか、気づかないうち

ベッキオ橋で

フィレンツェを流れるアルノ川に架かるベッキオ橋の近くにウフィツィ美術館はある。そのウフィツィ美術館の近くのちいさなお土産屋を兼ねた文房具店で、植物画が描かれた本のしおりを買った。しおりは3枚で300円ほどだったろうか。 そのしおりを二子玉川で額入れした。ちょっとした、自分たちだけのお土産が、記念品のようになった。 ベッキオ橋の中央からアルノ川を眺めた。観光地だから周りにはたくさんの人がいたが、頼むと彼女は小声でジャンニ・スキッキの「私のお父さん」(O mio babbin

小物たち

トム・ハンクスとメグ・ライアンが主演した「Sleepless in Seattle」という映画がある。冒頭シーン、妻を亡くしたばかりの主人公サムは、家のそこかしこにある思い出にいたたまれなくなり、シカゴから妻の思い出のないシアトルへと引っ越すことを決める。 家というのはそういうものだ。ちょっとしたなんでもない小物にも思い出があるし、これはどこで買ったのだろうと思い出せないものもある。 以前、上野の民俗学博物館の当時の館長がこんな主旨のことを言っていた。 大切にしていたも

蕎麦の花

韓国ドラマのトッケビを見始めてしまう。個人的にには、設定や展開がアニメ的で日本のドラマより面白いと思うが、歴史ものだったりすると平気で50話とかある。トッケビはそこまでは長くない。 そのトッケビの比較的最初の頃に蕎麦の花畑が登場する。花言葉は「恋人」ということになっているけれど、「なつかしい思い出」、「喜びと悲しみ」、「あなたを救う」とかが検索にかかる。どれも趣きがあっていい。 白楽天の村夜を思い出す。 6月の今とは季節違いだが、空想の世界に季節はない。独り門前に出でて

人と助けるとはどういうことか

PCの操作は、バスや電車でどこかへ出かけるようなものだと思う。たとえば家から新宿にいくのに複数の方法があるように操作手順も一通りではない。 新宿に行きたいのであれば、武蔵小杉を経由して東急で渋谷に出てから山手線を使う方法もあれば、南武線で登戸に出て小田急線で行くこともできる。 説明はシンプルな方が好まれる。新宿に行く方法には複数の方法がある手順が、より良い方法をと考えればかえって失敗する。 先回りしすぎてもいけない。たとえば、電車の時刻も分かった方が良いし、どの経路で行

ノートの書き順

私のノートの書き順は下記の通り。 【実施例】 この実施例では、組織の機能不全の状況描写を呪いのアナロジーで考えている。第一章:"呪いのアレロパシー"、第二章:"呪いのパンデミック"、第三章:"呪いの中和と闇"。最終章:"呪いの知性"という感じのことを考える種ができた。すごく上から目線で考えることは、実はワクワクするダークサイドの力だ。 【感想と結論】 暗いことを考えることも、たまには意外と楽しいのです。

変化の予兆:在宅メインの働き方

いろいろなことが一時期のトレンドに過ぎないことはよくある。東北の震災に対する東京近郊の人たちの取組みや関心もそうかもしれない。もちろん「違うよ」という人もいるだろう。けれど、やっぱり自分の日々に直接影響を与えないことはどこか他人事だ。 在宅メインの働き方は少し性質が違うかもしれない。《なぜ通勤して集まって会議しなければならないのか》という素朴な問いを、東京近郊圏など大都市を中心に多くの人が直観したのではないだろうか。会社で働くことが会わないけれどリアルな存在になっていくかも

ミキサーだってカバーは必要

カワイイものが好きということは大切なこと。だから、うちの家にはWall BorderとかWallpaper Borderと呼ばれる壁紙がキッチンからトイレまでひろがっている。 もちろん、ミキサーにだってカバーは必要。