恐れが不自然さを生む
コミュニケーションを学ぶ上で難しいのは、
自分がどんなコミュニケーションを取っているかを
自分で客観的に観察できない点。
なんの気なくおしゃべりし、言いたいと思ったことを口にして、
相手の反応がイマイチだと
焦ったり、後悔したり、不安になったり、を
繰り返していたように思う。
ひとたび主張をすれば、
場が白けないように、
ひとり浮かないように、
後からいろいろ言葉を付け加えてみたり、
あたふたしたり。
カウンセリングの勉強を始め
傾聴や心理について学んでみると、
そもそも人の話を聴けていないことや、
会話の中で、
いろんな恐れから自分を守っていることを知った。
自分にばかりベクトルが向いていて、肝心な相手をちゃんと見てない。
「私、変なこと言ってないかな?」
「なんて返事返せばいいのかな?」
「次何質問しよう、、、」
こんな風に考えている間は、相手の話を聴けてない。
そこがスタート。
ロープレで傾聴の練習をし、
仲間からフィードバックをもらい、
その様子を録画し、逐語録を作り、
なぜその発言をしたのか見直す。
そのプロセスで
自分がキャッチしやすい感情や大事にしている価値観、
反応しやすい言葉、など、つまり自己認識を深める。
一番大事なのは、
「何を恐れているか」に気づくこと。
・こう言わなきゃ
・こうあるべき
・こうは見られなくない
・こう見られたい
無意識に働いているこうした囚われと、信念と、その奥の恐れ。
そこには積み重なったそれまでの経緯や歴史があり、
時には気がつきたくないものかもしれない。
でもちゃんと認識できた恐れは、
「あ〜私は辛い思いしたんだね、苦労したんだね。
だから怖くなっちゃうんだよね。だから大事にしてるんだよね。」
と自分を癒せるようになる。
きっとこの恐れは無数にあって、
消化できても、また新たに生まれたりもしている。
そのたびに気づいて、そっかそっかとなぐさめ、癒し、
ぎゅっと硬く守っていた心がほぐれていくと
少し周りを見渡す余裕が出て来る。
すると、相手に自然な関心を向けられるように
なるんじゃないかな。
自己防衛は常に何かしら働くから、
なかなか難しい時もあるけれど。
そんなことも心得ておくと
気づいた時点でそこに意識を向けられるので(^^)
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