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統一分極 中国の社会的サイクル  (王朝、政治)《寺田道場》第3日目

岡島講師:
「先日『中国の人口史』(著者:上田信)という本を読みました。その中に『合散離集の中国文明サイクル』説というのがありまして、興味を惹かれ ました。『合散離集』というのは『離合集散』という四文字熟語から取っています。これは人々が寄り集まったり、別々に分かれたり様を現わしています。でもどういうわけか、私の頭の中で『統一分極』に変換されてしまったのです。実を言いますと、私は昔ゲーム廃人であった時期がありまして、三国志なんてよくプレイしていました。全体マップで自分の勢力がどこまで 大きくなったか確認が出来ますが、そのイメージです。
と、前置きはこのくらいにしておいて、説明に移ります。

集→合→散→離→集
    ⇩
統→一→分→極→統

(分極統一)という順序になるが

近代

 分(散) 
  清朝末期の軍閥の割拠

 極(離)
  国民党(蔣介石) 中国共産党(毛沢東)(2極)

 統(集)
  中国共産党(毛沢東)
  (あえて戦時体制っぽい政治手法を取りつづけた?)

 一(合)
  中国共産党(鄧小平の南巡講話以降)


三国志(ゲームも人気)
 分(散) 
  董卓、黄巾族の張角、袁紹、公孫瓚、曹操など(群雄割拠)

 極(離)
  魏、呉、蜀(3極)

 統(集)
  魏(→晋)

 一(合)
  晋


キングダムの頃
 
 分(散)極(離)の中間くらいがしばらく続いて 
  春秋戦国時代 

 統(集)
  秦(始皇帝)

 ↓ 逆回転(少しの間)

 極(離)
  楚(項羽)漢(劉邦)(2極)

 統(集)
  漢(劉邦)

 一(合)
  漢(文帝、景帝)文景の治


『中国の人口史』の中で触れられていますが、日本が中国に戦争を仕掛けた時期は、中国が極(離)の状態でありました。つまり、これから統一へ向かおうと、力が集まりつつある時期でありました。そのようなタイミングで 戦争を仕掛けたわけです。当時の日本側の認識は、『中国はバラバラの状態である。』であったのでしょう。

 現在の中国は『一(合)』の状態ですが、順番からいくと次は『分(散)』です。『そうはなるまじ』と懸命になっているように見えます。 19世紀の西欧列強による半植民地化、その後は日本が。『そのような事態 には二度とならない』という強い決意が、香港、ウイグル自治区、人権、 の各問題に現れていると思います。たとえアメリカが何を言おうが、  『分(散)』の状態になるのを避けることが第一ということです。

『離合集散』という言葉は人間の心理、感情を表現しています。
 ところで、中国はAIの開発に非常に力を入れています。が、AIというものははたして『離合集散』するものなのでしょうか。もし、そのような心理、感情が無いのであれば、次のように考えることができます。
 政策決定、政治的判断をAIに任せてしまう。さらには、AIの言うことに人間が従うシステムにしてしまう。そうすれば、『分(散)』にならずに『一(合)』のままでずっと推移することが出来るのかもしれません。
それはさておき、『人口史』とはまったく関係のない話ばかりになってしまいましたね。」

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