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熊本地震と私 ⑷


この避難所生活では私はどうしても夜寝ることに躊躇いがあり、ほとんど昼間に食堂の隅で椅子3脚ほどを並べて仮眠をとっていた。
アドレナリンが出ている関係か最初はショートスリープで避難所生活を過ごすことになる。おそらく2〜3時間程度の睡眠だった記憶がある。

夜中は避難所やその周辺を見守りながら過ごすのがルーティンだった。何より、見晴らしの悪い夜の時間帯に起きておくことが自分の心理的安心にも繋がったのと、他の避難者を守る責任感が無責任に働いていた感覚がある。

また、避難所生活の中では大学生が中高の先生方とともにその主軸を担うことになった。当時大学2年生になったばかりの私は、寮生だったこともあり炊き出しや高校生のボランティア受け入れ、福祉的なサポートが必要な避難者への配慮など、メインで動く業務をいくつか任せていただいていた。

炊き出しは大人同士や大人対学生のやりとりで不和が生じた際にクッション的に動いていた記憶で、料理もしていたけれど印象が前者に偏るぐらいに支援者兼避難者同士の関係構築の難しさを感じていた。人間だし非常事態なのもあるので仕方がないことだけど、どこか未然に防げたのではないかと心残りがある。

避難所運営に携わる学生同士はボランティア専攻の先生と共にLINEグループを運用し、そこで現場のやりとりをしたり、ノートを活用して支援物資の管理をしたりしていた。ささえりあと協力して独居高齢世帯に物資を届ける取り組みも早い段階から始動した。

車を運転できたり親の手から離れたりしている大学生は身動きがとりやすかった一方で、ボランティアをしたいと思ってくれている高校生の気持ちを結果的に避難所運営に活かせなかったのも事実としてある。

高校生が続々と集まってきた段階で、当初は私ともう1人の大学生でボランティアコーディネーター的役割に担うことになっていた。高校の生徒会長らと打ち合わせをして、どのように受け入れていけるか検討をする機会を設けてもらった。配置や業務内容、大人や大学生との連携など結構形が見えてきていた。しかし、そのタイミングで高校の先生からボランティア中止との通達が来てしまい、皆の気持ちが無下になったのではないかという悔しさがポツンとあった。

⑸ へ続く

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