熊本地震と私 ⑵

2016年4月15日、その日は金曜日。
毎週金曜はサークル活動があり、急遽お休みになった為に今でも曜日を覚えている。

その晩はいつ揺れがあろうともより安全安心を担保する為、入浴する時も一つ下の後輩と行動をともにした。その時唯一寮に残っていた高校生は寮監さんとともに過ごしていた。

そして、就寝は2Fの自室ではなく、1Fのテレビやソファーが置いてある共用スペースに各々布団を運んできて床に着いた。それもスマホとスリッパをすぐ側に置いて。

どうにか眠りについた後、突然の揺れに驚いて飛び起きた。
これが熊本地震 本震。
あまりの縦揺れの大きさに本能的に外へ走って出ようとしてしまった私。横で寝ていた後輩も同じだった。
でも、揺れのせいで上手く歩けさえしなかった。スマホだけは咄嗟に掴んで外へ出た。

日付はもう16日、時間は夜中の1時半前。
ここでやっと14日の揺れが前震だったということに気付かされた。

前震があった為、その後は前震時よりも少しは冷静だった気がする。
それでも県外の家族からの心配の声はより一層大きくなった。

そして、その晩も外で過ごした。前震の時以上に大学には人、車が押し寄せた。教職員や近所の学生が中心になり、避難者を誘導したり無事を確認したりした。私は懐中電灯が手元にない為スマートフォンのライトを付けて、避難者を門から安全な場所へ誘導する作業を繰り返す晩になった。

誘導する際、特に恐怖を覚えたのは校舎の下をくぐる時。というのも前震で校舎のレンガ造りの煙突が落下し、いつ崩れるかという危険を感じていたからだ。命と隣合わせの本震の日、今でも鮮明に思い出せる。

また眠れぬまま朝が来た。
その日は避難者の中に独居のお年寄りの方もいた為、私は一人のお婆様を自宅へ送ることになった。他愛もない会話をしながら無事に送っていくことができた。しかし、その帰り道、私にとってはそれなりに大きな事件が。
大学へ戻る途中、ぽたーっと私の頭に冷たいものが、、鳥に糞を落とされてしまった。それも人生で初めて。
断水してるというのに困ったもので、一旦は戻ってすぐにウェットティッシュで拭くことしかできなかった。

お昼近くなるととっても暖かくなった。暫くは屋内に戻らず、他の学生や寮監さん、高校生と談笑していた。でも、いつの間にか寮生である私以外の二人は体調を崩す事態になった。当然二人は実家へ帰る流れに。前震本震と続き、それは当たり前の成り行きだったと思う。

結局、大学敷地内の避難所に残る決断をしたのは寮生では私だけになった。

ここから私の2週間の避難所生活が始まる。


⑶ へ続く

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