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背をさする人々

その日は「ママ友会」と呼ばれる集まりだった。
帰宅後、わたしは、人知れず吐いた。

気持ちよかった。
疲れているはずなのに、気持ちがいい。



自分の性格上の問題で、
こういった"人の集まり"を計画するまでは
すこぶるやる気に満ちていても、
前日になると急に
「どのように言い訳をすれば参加しなくて済むか」
を考えてしまう悪い癖がある。

幹事が参加しなければ迷惑を掛けると思い
結局毎回、重い腰をあげるが、
いざ参加してみると、それなりに楽しめる。

しかしやはり
帰宅した途端、抜け殻になるのは恒例だ。


この日も
帰宅し我が子を寝かしつけたあと
ソファで抜け殻になろうと思ったのだが、

その前に吐き気をもよおし、
静かに吐いた。


解散するまで
自分が限界を迎えていることなど
気付きもしなかった。


いや、何度か吐き気はもよおしていたが、
ここで吐くのは恥ずかしいと
グッと堪えられていたので、
まだ限界じゃないと誤認していたのだろう。


周りからはきっと
「ハンオン酔っ払ってる」
「今にも吐きそうな顔してるわね」
そう思われていたかもしれない。

しかし、その日
私の背をさする人物はひとりもいなかった。


心地いい。
この関係が心地良い。


むかし、水商売をしていたときから
「吐けばその分リセットされ、
吐いた分だけ容量が空く」
と思っていた。


トイレで吐く。
思いっきり。


今もむかしも変わらないのは、
「気分の悪いとき、
背中をさする偽善者がいる」こと。

わたしは弱っているとき、
背をさすられるのが苦手だ。


気分の悪いとき背中をさすられると
色んな意味で、気持ち悪さに拍車がかかる。


気持ち悪くなった経験のない人は、
さもそれが正解かのように
甲斐甲斐しく介抱し、
優しい言葉を掛けながら背をさする。

トイレから出たあと、それは一層続く。
そして、周りの異性に目配せするのだ。


「彼女を介抱している私を見て」と。


その優しい顔は、
つい数分前まで、わたしに
自分のお酒をこっそり渡していたときと
同じ表情。同じ目配せ。



これも自分の悪い癖のひとつ。

お酒の飲めない仲間を守らなければいけないという
長女特有の無駄な正義感で、

限界値を超えてまで
仲間のホステスのお酒を飲み干す。

自分だってお酒が弱いくせに。


その場ではニコニコしながら、
バックヤードでは
ウミガメの産卵のように
涙を流しながら吐瀉を生む。


気付かれないよう、こっそり隠れて吐くも、
ときには同僚であり仲間であり、
そしてライバルの女性に見付かる。


しまった……!


こちら側からすると
恥ずかしい部分を見せた上に、
「包容力」を異性に見せつけるための
餌にされたに過ぎない。


さもそれが正解かのように。
さもそれが正義かのように。


本当に気持ちが良いのは、
誰も見ていないところで
人知れず吐き、
何事もなかったかのように
笑顔で席に戻ること。


トイレって不思議で
義務的に吐きたいときは
綺麗すぎるより
多少汚れていた方が深く吐ける。

オートコントロールならぬ
嘔吐コントロールだ。


もちろん
本格的に吐きたいときは
どんな状態でも吐ける。

共通するのは
「誰もこっちに来るな」
という感情。



きっと私が将来
猫に生まれ変わったら、
誰にも見られない場所で
ひとり静かに死ぬことを望むだろう。

仲間の野良猫か
はたまた人間の家族に
「あいつはどこにいった」
「本当に自由だな」
と言われながら。

それぐらい
弱みを見せることに抵抗感がある。

自分の弱みが
ライバルの養分になることも。



この日のママ友会のメンバーは、
きっと、この先も
心地よい距離間を保ちつつ
一緒にいてくれるだろうと思う。


疑ってしまって
申し訳ない。


彼女たちとの集まりで、
「どのように言い訳をすれば参加しなくて済むか」
そんなことを考えてしまった自分を恥じた。





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