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セレンディピティを研究にいかせ

今回のnoteは 研究 に関してです。

もくじ
1. わかるということはどういうことか?
2. 書く力
3. 伝える力

1. わかるということはどういうことか?

自分がこれほどまでに研究の分野にハマるとは想像もしていませんでした。研究することはなんか格好いいな!そういう憧れはありましたが、自分にはそんな才能なんてないし。まあそういう感覚です。

専門分野、専門外分野、興味あること、ないこと。世の中には無数の情報が乱立しています。一見関係ないことでも、あれ?なんかこれって・・・と突然関連性が見いだせたりするものです。

澤泉重一 偶然からモノを見つけだす能力 角川書店 2002

この本によれば、「セレンディピティという言葉は、1954年1月28日にイギリスの文筆家、ホーレンス・ウォルポールが手紙の中で初めて使った彼の造語であり、これは、当てにしないものを偶然にうまく発見する才能、と言われている」と示されています。

セレンディピティという才能。この様な日常の行動で、偶発的に問題解決の糸口になりそうな発見が研究のスタートになりそうだということが、なんとなく自分の中で腑に落ちるようになってきました。才能と示されていますが、これは日々の自身の気の持ちようというか、意識の仕方1つでいくらでもその才能が高まるようにも実感しています。

研究とは、何かしらの根拠があって、エビデンスがあってというのが常識です。「巨人の肩の上に立つ」とは、まさにそういうこと。先人の研究者が取り組んできた数々の報告の上に自分が明らかにしたいことが既に整理されていて、そこから独創性や新規性のある研究を見出すことが求められます

それでは、このセレンディピティを活用し、研究に生かすにはどうしたらよいのか?この本の中にはさらに以下のようなことが示されています。

「オヤッ!と気づく感動から始めてみると、そのような事象、現象に出会ったときは、それを観察して記録を残し、ネーミングしておくことである。さらには、課題の認識を行い、これに関する連想が働きやすい状態にする。情報交換は積極的に行い、関連記事を見つけたときには、手軽にファイリングできるシステムを作っておく。行動範囲を拡大して、思いがけぬ連想の生じる機会を促進する。因果関係が解明できれば仮説をたてて、これを検証する」

どうでしょうか? あたりまえじゃん!って思う人。そうなの!!って感動する人。色々かと思います。私は無意識に上記のような行動をとっていました。簡単にできることとしては直ぐにメモをとったり、想像したり、自問自答したり。セレンディピティを活性化させるためには良い事だったんだと嬉しくなりました。

さて、嬉しくなったついでに考えちゃいます。実際に研究を始めようかどうしようか悩んでいる人、またはそうでない人でも、日常の疑問に対しては、なんとなくヒントがつかめた状態、いわゆる「わかった!」というような感じ。この「わかる」ということはどういうことなのか。について整理してみます。

山鳥重 「わかる」とはどういうことか・認識の脳科学 筑摩書房 2015

この本によると、「どんな時にわかったと思うのかについては、直感的に分かる・まとまることでわかる・ルールを発見することでわかる・置き換えることでわかる」と示しています。 

私達の生活や仕事、様々な場面において、上記の事はよくある事と思います。学生時代、先生の話を聞いていて、初めは分からないなあ~と思っていても、「あっ!そういうことか!」って納得できた瞬間、実に気持ちが良いものです。これに対して、分からないとずっとモヤモヤしてて実に気分が悪いものです。そんなとき、先生は、「たとえば~」って言葉をよく使っていたのを思い出します。つまりこれって、置き換えて説明したり、まとめてみたり、ある種のルールを意味付したり、ということをしてくれていたんだということが分かります。

なぜ人はわかりたいと思うのか? それは前述したように、わからないとモヤモヤとして落ち着かないからです。心の落ち着きが満たされないのです。「わかるということは、秩序を生む心の働きです。…わかったという感情です。その信号が出ると、心に快感、落ち着きが生まれます」と、この本には示されています。研究では特に心の落ち着きは必要不可欠です。一喜一憂しない慎重さも求められます

2. 書く力

研究において、このセレンディピティを活用させない手はないと思います。上述しました心の落ち着きを得るためにも、自分の場合は紙やメモ帳にあれやこれやと書いています。最近はタブレット端末にペン機能もありますから、気分によってタイピングしたり、手書きメモしたりしています。実に楽しいものです。笑

何気なく「書くこと」が既に習慣になっている人は、何を今さら!って思うでしょう。しかし、「そうは言ってもね~」っていう人は、ホントにペンの運びが重いです。まず書いてみれば?って思いますが、口の方がたくさん動いていて、文字の方は書けないようですね 笑。人の心は頑なだとつくづく思います。

池上彰・竹内政明 書く力 朝日新聞出版 2017

この本によると、「なんでもいいから書いてみるということをお勧めしたいですね」と池上氏は示しています。何を書きたいのか、どういう道筋で、どういう構成で、引用はどうしようか・・・色々と頭を抱える問題が出てくると思いますが、思いついたことをポンポンとかいてしまうのは意外と楽しいものです。一見カオス状態になる言葉の箇条書き。でも、書くことにより、「客観的に読むことができ、自分との対話が出来るようになる」と池上氏は示しています。

実は私も、この連載を始めるようになって、とにかく何でもいいから書くことをしています。書く練習をしているというのが正解かも知れません。自分がここに表現していることは研究論文のレベルでは全くありませんが、何か表現しようとすると自然に多くの情報が集まってきます。それがまた書くことのネタになります。自由に話を展開させるためには、「文章力の引き出しの量に大きく左右される」と池上氏は言います。研究者たちの論文数はこのように話を展開させていくための引き出しの量ということなんですね。私の場合、あまり器用な方じゃありませんから、やはり地道にこうやって表現する事を積み重ねることによって、得られるものを増やしていこうとするのが狙いですね 笑。

書くのは苦手でも、読むのは結構好き!っていう人は、自分の持っている才能(本とか雑誌や論文とか)に気が付いていないかもしれません。皆さんの引き出しに眠っているお宝を整理する時間になりました。さて・・・

3. 伝える力

今回は研究に関して話を進めてきました。わかること、書くこと、そして伝える力です。伝えることは難しいと思う人が多いかもしれません。私のように子供のころから人前に出て、人目を引くように馬鹿なことをするのが好きだという変わり者以外の人達は、人前で話をすることに苦手意識を持っている人も少なくないと思います。

池上彰 伝える力 PHPビジネス新書 2018

今回は池上シリーズ 笑。こちらの本には、わかりやすく伝えるためのエッセンスが、絶妙な仕立てでちりばめられています。ちょっと意外だったのは、池上氏曰く、「質の高いアウトプットをするためには、インプットが欠かせません。」と示しています。

今まで自分は、スライドを使ってのプレゼンテーションは結構得意な方だと思っていました。もっと上手になりたいと思うがあまり、その方法論を探し求めていましたが、池上氏の言葉に自分の言葉が詰まりました。

もっと大量の知識を入れないとダメだ・・・

研究するとは、つまりそういうこと。自分はまだ駆け出しの研究者。もっともっと情報を仕入れ、知識量を増やさなければいけないということに気が付きました。

伝えることで今すごくこだわっていること。それは「つかみ」の部分。何から話すか!という部分です。あともう一つは「タメ」です。話す呼吸、間隔、空気を感じるという部分。学会発表などでは「つかみ」の部分はある程度形式がありますから仕方ないにしても、それでも出来る「工夫」を通じて、相手の心を鷲づかみにしたいと思っています 笑。そして「タメ」を意識しているのは、自分は早口なので、自分自身に勢いがついて、調子づいてしまうと余計早口になってしまうからです。

独創性と新規性が何より重要な研究。これにはどうしてもセレンディピティを活用する必要があると思います。そのためには、わかること・書くこと・伝えること、は三位一体で重要なことです。そしてこの三位一体で共通しているのは、圧倒的なインプットが必要であるということ。

研究における自己開発とは、インプット→書くこと→セレンディピティの活性→わかるということ→伝えること、の構造的ループが存在していると考えられます。自分の検索不足でこのループはきっと他の研究者が既に発表していることと思います。もちろんもっと凄いものが・・・

専門職種のみならず、知的好奇心が湧いてくるような学問的何かに巡り合えることは、人生において掛け替えのない幸せです。自分に向き合っている証拠です。何かの場所に所属している証です。研究活動を通じて信頼を得られるようになれば、これ以上ない最上級の幸せとなります。そしてその恩返しに社会貢献できれば自分の価値が見いだせます。この流れはアドラー心理学の全体像ですが、私が研究しようと思ったきっかけも、アドラーに由来しているかもしれません。

アドラーを学び、セレンディピティが活性化された。自分ではそう解釈しています。

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