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酪農家の嫁になるということ

ここで文字を書き始めようと思い立ったきっかけは、従兄弟の兄がここで好きな事を好きな時に書き連ねている。と聞いたから。

幼い時、最も小学生の時から小説とゲームが大好きで。自分でたくさんの物語を生み出してはノートに書いて遊んでいた。

ある一時の事件があってから物書きから遠のいたが、私がこの場で思ったことを素直な文章で書くことが出来るなら、それは自分の遺書やエッセイとして成り立つのではなかろうか。と。

そしてタイトルの通り

酪農家の嫁になるということ

を皆様に少しでもお伝え出来れば、世間一般の酪農家のイメージや草食系の皆様に酪農家の真意をお伝え出来るのではなかろうか。と思った次第。


酪農家の嫁になったのは2021年12月

生き物が大好きな私は、酪農家の嫁になる事に躊躇いなんてなかった。

旦那は酪農家の長男坊。
家を継ぐことが決まっている。
現在70頭ほどを抱える、家族経営にしては大きめの牧場。

よく言えば安定した未来がある。
悪く言えば一生義両親と共に仕事をし、田舎特有のご近所付き合いの中で生きていかなければいけない。

後者を嫌がる者の方が多いと思うが、私は旦那と牛と一緒に暮らせる事の方が嬉しかったので何も気にしちゃいなかった。

旦那も理解ある人なので、今の私の仕事(リラクゼーションサロンに勤めている)を辞めろとは言わなかったので、何も心配していなかった。

しかし現実はかなり辛いことがわかった。

旦那の休みは月に1日。
酷い時は2ヶ月に1日の休み。
旦那の仕事は朝は5時。夜は9時までかかる。
牛になにか異変があったら駆けつけなければいけないため、県外や遠出は出来ない。
夜中だろうが、牛に何かあれば飛び起きて飛んでいく。
生死を目の前で見せつけられる。

新婚生活はあまりにも楽しみの無い時間だった。

一般的な正社員ように〇曜日が休み。週休二日。シフト制。なんてことは無い。

毎日、仕事。明日も明後日も。

「次の休みは?」
と私が聞けば

「無いなぁ」
と当たり前のように答える旦那。

命を扱うということは、毎日仕事があるということだ。

たまの休日デートは近所のイオンモール。もう行き尽くして行き場は無いが何度も擦った。
毎日仕事の旦那を私は支えながら殆どの家事を1人でこなした。自分の体調が悪くても、這ってでも家事をこなした。
私の仕事が休みの日は旦那の仕事を手伝った。実質私も休日は0日である。


こんなに書いたら『酪農家なんてしんどいだけじゃないか!』と誤解されそうだが。事実なので記しておく。
搾りたて牛乳を飲むことも、牛と戯れることも、草原を歩き回ることもほとんど無いぞ。
現実とはそういうものだ。


しかし、そんなに辛くてしんどくても、それでも『牛』という命を一生かけて育てていく決意をして働いてる彼ら(ここでは旦那や義両親)の姿は、

「肉を食べるなんて牛さんが可哀想」

「人工授精なんて可哀想」

「牛乳は牛の血で出来ているから絞るなんて可哀想」

と、先入観で思う方々へ。
そして漠然とした酪農家のイメージをもつ皆様に

「酪農家ってこんなことしてんだな」

「牛を育てるってこういうことなんだな」

と、酪農家と牛と肉や牛乳への理解を深めてほしい。

妻との時間を、家族の時間を。自分の20代前半の時期を全て牛に費やしていく旦那の姿を。
酪農家の嫁になるということは、そんな旦那と家族を支え、認め、命を守るということ。

そんな酪農家の嫁ならではの視点を、つらつらと記していければ、自分でも今の現状や牛のことを第三者から見ることが出来る。と思った次第だ。


もちろんゲームやゲーム実況者が大好きなので、その辺も記していきたいと思いますので、

皆様どうぞよしなに。

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