本日、2023年8月15日。
78年目の終戦記念日となります。
昭和20年(1945年)8月15日、正午から放送された詔勅は、
「堪えがたきを堪え、忍びがたきを忍び……」
という部分が、映画やドラマで度々使用され
戦争を知らない世代としては、このフレーズのみが、やけに印象に残っています。
よくあるドラマのシーンでは
雑音と難解な玉音放送を聞き終えた後、
人々は即座に泣き崩れ、
「戦争が終わった…。日本が負けたんだ!」
と泣き喚く光景が描かれています。
こうしたドラマを見る度、昔から、
よくもあの難解な言葉が皆、スムーズに理解できたものだな…
と少々不思議な感想を抱いておりましたが、
やはり実際はそうではなかったらしい。
その辺りを、庶民の目線で丁寧に描いたドラマが、
昨年(2022年)、再放送されていたので
玉音放送の内容と合わせて紹介したいと思います。
そのドラマは、NHK-BSで再放送されていた朝ドラ
『本日も晴天なり』。
本放送は昭和56年(1981年)で、ヒロイン桂木元子役は、若き日の原日出子が演じておりました。
昭和元年(1926年)、東京下町の人形町に生まれた桂木元子が、戦前にNHKのアナウンサーとなり、戦後は主婦業を務めながら、ルポライターとして成長していく姿を丁寧に描いていく内容。
元子の父親役に津川雅彦、母親役は宮本信子、叔父が上條恒彦と、ベテラン俳優が脇を固め、テンポの良い江戸弁が、朝から見ていて小気味よい作品でした。
因みに、生粋の江戸っ子は「ひ」が発音できず「し」となってしまいます。
例えば「コーしー」や「しどいしと(酷い人)」など。
そんな細かな部分まで、ドラマではキチンと描かれており、当時の庶民の日常生活が実にわかりやすかった。
脚本は、金八先生で有名な、小山内美江子氏が執筆されています。
玉音放送のシーンは、第35話で描かれています。
以下、史実とドラマの内容を織り交ぜて記載します。ネタバレとなりますので、ご注意下さい。
(1)玉音放送当日の内容
8月15日、正午
ラジオからは、時報が流れ、
放送は、内閣情報局の下村宏総裁の言葉から始まります。
私個人的には、音声で聞く限りでは、何を仰せられているのかほとんど把握できませんでしたが、
こうして書き記してみると、何となく理解できるような…。
以下、西日本新聞のサイト上に記載されていた訳を転記します。
(2)玉音放送を聞いた東京下町の面々
ここからは、ドラマのシーンを記載していきます。
元子の実家、江戸時代から続く染物屋「吉宗」では
主の宗俊(津川雅彦)、その妻トシ江(宮本信子)を初め
職人の彦造や使用人のキン、ご近所の友男や小芳、ご隠居、東島巡査などが店先に集まり
ラジオの声に耳を傾けていた。
どうやら、他のドラマとは違い、
誰も玉音放送の内容を理解している人はいないようです。
実は、
玉音放送の内容は、難解なうえ、雑音がひどく
全国民に明瞭には伝わらなかった、というのが事実なのです。
今年90歳となる私の母も、12歳だった当時
玉音放送は聞いたそうですが、全く理解できなかった、と言っております。
ただ、炎天下で直立不動、空腹の記憶しか残っていない、とのこと。
そして、この後
NHKの和田信賢アナウンサーによる
詔書の説明、ポツダム宣言の受託を閣議決定したことなど、これまでの経過説明を40分近く解説した放送によって、人々はようやく、日本が戦争に負けた事を知ったのです。
(3)再び、東京下町
ここでは、敗戦という事実を知った庶民の感情が丁寧に描かれます。
東京大空襲で、焼け跡のご遺体の処理をして来た初老の職人・彦さんのセリフには、身につまされる思いがします。
こうした東京下町の庶民の姿が、
偽らざる実際の姿だったと思われます。
突然の敗戦という事態に、それまで耐えてきた思いが一気に噴き出したのではないのでしょうか。
太平洋戦争戦没者
戦闘員 230万人
非戦闘員 80万人
計 310万人
空襲等で失われた家屋 298万戸
罹災者 1,300万人
物凄い数です。
(4)明日を信じる
その日の夕方、NHK放送会館。
屋上で、同期のアナウンサーと、夕陽を眺めながら元子が呟く。
誰も明日がどうなるか、皆目見当がつかない。
米軍が空から撒いた、降伏を呼びかけるチラシを見ていたことで、昨夜、特高警察に捕まり、拷問を受けていた叔父の洋三(上條恒彦)も無事に釈放されて帰って来ていた。
その日、日本中の人々が、空襲に怯えることなく、安心して明かりを灯すことができたのです。
ドラマではこうした姿も丁寧に描かれています。
この洋三叔父の言葉でこの日の放送は締め括られます。
こうして78年、洋三の言う通り、
日本という国は焼け跡から立ち上がりました。
それでも、戦後生まれの人口は、2014年の時点で8割を超え、戦争の記憶はどんどん薄れています。
せめて、終戦記念日には
日本を守ってくれた先人への感謝と戦争の犠牲者に哀悼の意を捧げ、少しの時間でも黙祷しようと思います。
今回も長くなり恐縮です。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
(2023年8月15日投稿)