【歴史】「光る君へ」がもっと面白くなる(2)〜3人の天皇編
今年(2024年)のNHK大河ドラマ
「光る君へ」は面白い!
のですが、登場人物や時代背景に馴染みがないので、わかりづらいというのも本音です😅。
前回、所属別に登場人物を紹介しましたが、
今回は、家系図を見ながら、人物の関係を追っていきたいと思います。
前回の記事はコチラ
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■天皇の系図
ドラマの序盤に登場する、円融天皇と花山天皇。
叔父と甥の関係にある2人の天皇ですが、その関係性がイマイチよく理解できない。
天皇の周りにいる貴族たちも、藤原ばかりで誰が誰やら…😓
そこで、天皇の系図を書いてみることで、
ようやくその関係性が理解できました🤔
(赤枠で囲っている人物が、物語上でキーとなる人)。
それでは、物語の進行に関係の深い、3人の天皇を紹介していきます。
01)奇行が目立つ、冷泉天皇(63代)
時は平安、10世紀。
昭和51年(1976年)に放映された
NHKの大河ドラマ史上最も古い時代を扱った作品「風と雲と虹と」。
主役は、平将門(演:加藤剛)と
準主役が、藤原純友(演:緒形拳)。
この2人の反乱「承平天慶の乱」(935–940年)を描いた作品ですが、
この時の天皇が、第61代の「朱雀天皇」です。
このドラマ、今でも鮮明に覚えています。
大河ドラマと歴史に初めて はまった
面白い作品でしたね😸
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この朱雀天皇の弟が、
兄の跡を継ぎ、第62代天皇に即位した「村上天皇」です。
その皇后は、右大臣・藤原師輔の長女、
藤原安子(あんし/やすこ)ですが、
実はこの姫、「光る君へ」のキーマンである、
段田安則が演じる藤原兼家のお姉さんなのです。
兼家は、主人公・道長(柄本佑)の父親ですね。
村上天皇と安子の間には、
三人の皇子が産まれましたが
父・村上天皇の崩御により、安子の最初の子である
「冷泉天皇」が第63代天皇に即位します。
ところが、この冷泉天皇、
幼い頃から奇行が目立っていて、
例えば
突然大きな声で歌いだす、
足が傷ついても気にすることなく、一日中蹴鞠をして遊んでいる
父の村上天皇に男性のシンボルの絵を送りつけた
など、ちょっとその行動に問題があるお方。
決して、天皇に相応しい君ではありません。
今で言う、発達系の症状(ASD、ADHD)に似ているような気もしますね💦。
そこで、2年ほどで退位することになり、
跡を継いだのが、冷泉天皇の弟で
第64代天皇に即位した「円融天皇」
となります。
そう、「光る君へ」で、
坂東 巳之助が演じる天皇です。
つまり、冷泉天皇も円融天皇も、
兼家からすると、「甥」という間柄になります。
そして、道長も
2人の天皇とは従兄弟同士という訳です。
さて、冷泉天皇は、弟に譲位する条件として、
我が子「師貞親王」を「東宮(次の天皇)」にすることを約束させます。
このため、円融天皇は、師貞親王が成長するまでの、ワンポイントリリーフ的な立場の天皇と、貴族たちから見なされていたのでした。
02)兄の跡をついだピンチヒッター、円融天皇(64代)
この円融天皇には、12歳年上の皇后・媓子の他に、2人の妻がおりました。
その1人が、関白・藤原頼忠の娘、遵子、
もう1人が大納言・藤原兼家の娘、詮子です。
(兼家は娘の入内によって、右大臣へと出世します。)
円融天皇の母、安子は兼家の姉、
一方、安子と頼忠とは従兄弟ですから、
どちらも親戚同士の婚姻という事になります。
関白・頼忠と、右大臣・兼家。
どちらの娘が先に天皇の子を身籠るか。
娘が皇子を産み、天皇の外祖父となることが、
宮廷での権力掌握に大いに関係するのです。
兼家は、安倍晴明に、ライバル・頼忠の娘・遵子に、子が授からないよう、呪いをかけるように依頼します。
当時は「呪詛」という行為も立派な政治工作の一つなのです。
結果、詮子は身籠り、懐仁親王が誕生。
一方の遵子は、呪いの効果かどうかはわかりませんが、子宝に恵まれません。
こうしてライバルの頼忠に一歩差をつけた兼家。
後は一刻も早く円融天皇に退位してもらい、
我が孫を即位させることが目標となります。
兼家は、密かに天皇の食事に毒を盛り、その体力を奪っていきます☠️。
当然、円融天皇は、兼家が自分を退位させて、権力の座を奪おうとしている事に気付いている訳ですから、その関係性はどんどん悪化していきます。
その憎悪の対象は、兼家の娘・詮子にも向かい、
その反動もあって、頼忠の娘・遵子に愛情が移っていくのです。
更に先述の通り、当初、円融天皇はワンポイントリリーフで、一代限りの天皇だと思われていたので、
兼家を初めとする多くの貴族は、すぐに退位するかもしれない天皇のもとに、わざわざ自分の娘を入内させようとはしませんでした。
しかし、兼家と敵対する、兄で関白の藤原兼通は、円融天皇が元服すると同時に、娘の媓子を入内させ、円融天皇と厚い信頼関係を築きます。
兼通は弟の兼家を憎んでいたので、
娘婿となった円融天皇も、自然に兼家を嫌うようになっていったのでしょう。
(更に孫を得たことで、兼家の権力欲は、ギラギラですからね💦)
その後、関白・兼通は、
その死に際し、弟の兼家ではなく、
従兄弟の頼忠を関白に指名。
関白となった頼忠は、円融天皇の更なる信頼を得るために、娘の遵子を入内させるのですが、
それをマズイと思ったライバルの兼家が、同じように娘の詮子を円融天皇のもとに入内させる訳です。
「光る君へ」の第1回では、
この辺りのエピソードが描かれていて、
兼家の屋敷で、3人の息子、道隆、道兼、道長が集まり、詮子の入内を祝う宴が開かれているのです。
さて、
遵子と詮子の入内後、
円融天皇と詮子の間に懐仁親王が産まれる前年、
円融天皇より12歳年上の皇后・媓子が崩御します。
円融天皇はしばらく代わりの皇后を立てませんでしたが、やがて、遵子を皇后に定めます。
これに激怒したのが、兼家。
「なぜ、皇子がいる我が娘を皇后にしないのか!」
兼家は、懐仁親王と詮子を実家に連れ帰り、朝廷への出仕もやめてしまうほど、怒ったとされています。
03)無類の女好き、花山天皇(65代)
こうした騒動の後、円融天皇は26歳で譲位を決意。
しかし、兄の時と同様、譲位をするには、
我が子・懐仁親王を東宮(次の天皇)にするという条件と引き換えでした。
こうして、円融天皇の甥、師貞親王は
17歳で即位し、花山天皇となります。
ただ、花山天皇は、父親である冷泉院と同様、奇行が目立っており、更に親王の頃から無類の女好きだったとされていて、そのご乱心の話は枚挙にいとまがありません😓。
天皇の即位式の際には、神聖な高御座で女官と性行為に及んだという話も残されています💦
(不適切にもほどがある!)
数々の女性に手を出す花山天皇ですが、
中でもご執心だったのが、藤原為光の娘・忯子でした。
女御に迎え入れられた忯子は、
女官たちから「女冥利に尽きるわね〜💛」と噂されるほど、花山天皇から過度な寵愛を受けていたのです。
(一説によると、初めて会った時は、8日間に渡って枕を共にしていたらしい💕🫣)
こうした悪評高い花山天皇の治世において、
関白には、先代の円融天皇時代と同様、頼忠が着任します。
しかし、花山天皇はそれを嫌い、関白など公卿に政治を任せずに、自ら政務を司る「親政政治」を行うこととします。
花山天皇の側近に選ばれたのは、
母・藤原懐子の弟、藤原義懐。
ドラマでは、高橋光臣が演じております。
なお、義懐の妻の妹が、
花山天皇の寵愛を受ける、忯子となります。
そして、花山天皇の乳母子・藤原惟成。
更に、紫式部の父で、親王の時代から学問を授けてきた藤原為時(岸谷五朗)も側近の一人です。
また、ロバートの秋山竜次が演じる、藤原実資も
花山天皇に仕えますが、この実資は、どちらかと言えば、花山天皇を諫める役どころのようです。
義懐と惟成は、
花山天皇の命のもと、
荘園整理令の発布、貨幣流通の活性化、地方の行政改革など、革新的な政策を行いますが、
これらは、関白・頼忠をはじめとする公卿との確執を生むこととなります。
こうした中、花山天皇の子を身籠った忯子が急逝。
忯子を寵愛する花山天皇は、大きな悲しみに襲われます。
そこに、我が孫である懐仁親王を天皇に即位させ、
自ら摂政となって権力を牛耳りたい、
兼家が、花山天皇を退位させるために、新たな謀略を巡らせます😈
この辺りの話は、
「光る君へ」の次週(2024年2月18日)放送の
第7回「おかしきことこそ」で
描かれるやもしれません📺。
という訳で
この時代の3人の天皇について紹介しました。
もう少しサラリと書けるかと思いましたが
やはり長文になってしまいましたね💦
次回は、更に複雑な「藤原家」について紹介したいと思います。
「光る君へ」を見る際の参考になれば幸いです。
今回も長くなり恐縮です。
m(_ _)m
それでは、また。
(つづく)
(2024年2月13日投稿)
つづきはコチラ
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