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書道家の文字と子どもの文字を見分けられるか。ヘタウマ(プロ)とヘタヘタ(子ども)の違いって?

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野口シカ(本記事では筆者からの敬意と親しみを込めて「シカさん」とお呼びしたい)という方をご存じでしょうか。

野口英世、であれば知らない日本人はいないでしょう。たとえ野口英世が何を成した人かを知らなくても、千円札の人と言えばわかるはず。夏目漱石の後の千円札の顔を担った偉人です。

Wikipedia:2004年(平成16年)以降の日本国千円札紙幣

▼野口 英世(のぐち ひでよ、1876年11月9日- 1928年5月21日)
日本の医師、細菌学者。医学博士(京都大学)、理学博士(東京大学)。キリスト教信者。
主に細菌学の研究に従事し、黄熱病や梅毒の研究で知られる。黄熱病の研究中に自身も罹患し、1928年5月21日、英領ゴールド・コースト(現在のガーナ共和国)のアクラで51歳で死去。

出典:Wikipediaより部分抜粋(野口英世

シカさんは、野口英世のお母さんです(関係ないけど、野口英世の姉の名は「イヌ」)。1853年10月18日に生まれ、農作業の傍ら産婆(助産師)として働き、1918年11月10日、65歳でスペイン風邪(ちょうど現代の新型コロナウイルスのようなもの)によって亡くなっています。

今回お話したいのは、野口英世の偉人伝でもなければ、偉人を育てた母の教育論でもありません。


シカさんの英世に宛てた手紙がすごい


こちらをご覧ください。

(出典:でーこんのあちこちコラム 野口シカから野口英世に宛てた手紙の一部分。)

これは、1912年1月23日付でシカさん(当時59歳)から英世(当時36歳)に宛てた手紙です。内容は母の愛情あふれる胸を打つ文章ですが、ここではあえて内容を介さずに話をしたいので、内容が気になる方はこちらをご参考ください。

ちなみに高解像度の全文はネットでは出てこないため、細部と雰囲気がよく分かる上の画像をお借りしました。実物は、福島県猪耶麻郡猪苗代町にある野口英世記念館で見ることができるようです。

皆さんは、この手紙の画像を見て何を思うでしょうか?


書道家としてシカさんの手紙が好き


筆者は書道家ですが、書道家としてこのシカさんの手紙、いや文字群が大好きです。本当に萌えます。大好きです。無論個人的な目線で、なのですが、書道家の目線でとても好き、とも言えます。書道的な価値を感じる、と言い切ることさえ厭いません。

私がこの手紙に心を奪われるのは、偉人野口英世のお母さんの息子へ宛てた心温まる手紙だから、ではありません。

これが「拝啓立春の候 立春とは言え厳しい寒さが続く日々、いかがお過ごしでしょうか。厳寒の折、何卒ご自愛くださいませ。」などの(つまらない)内容であったとしても、この通りのシカさんの文字面(モジヅラ)で書かれていたとしたら、私はこの手紙、文字群に感動していたことでしょう。

実際に私がこれを初めて見て感動したとき、読者の方がそうかもしれないのと同様に、ネット上の画像で内容も分からずにぱっと見ただけでした。
※「野口英世の母、野口シカという人の息子への手紙」という前情報はありましたが。

そして、今現在もこれを見るとき、「文章を読む」ということをほとんどせずに書作品的に鑑賞することしかしません。

行の揺らぎ、行間の不安定さ、文字の大小・太細の在り方、疎密の在り方、普通と違う句点の位置・大きさ、一つひとつの文字の表情、そして全体を通貫する得も言われぬ緊張感。グッとくる・・・


一部の書道家が愛する”変な文字”と、有名天然ヘタウマ画家「ルソー」


ちょっとシカさんの手紙から離れますが。

書道と言うと、思い出されるのは、所謂「美文字」「力強い筆文字」が一般的なのではと思います。たとえば次の2つのような。

(出典:【Amazon.co.jp 限定】今日から美文字 大江静芳)
(出典:武田双雲オフィシャルサイト)

もちろん所謂「美文字」や「力強い筆文字」が愛されるのは言わずもがな。筆者も「美文字」や「力強い筆文字」が好きではあります。

一方で、こと書作品として好きなものを探すとき。私は断然”変な文字”の書作品に目が行ってしまいます。

ここで言う”変な文字”とは、絵画で言えば精緻な写実画ではなく、「ヘタウマ」というようなジャンルに分類されるものでしょうか。「ヘタウマ」とは何ぞや議論も白熱しそうですが。

世界の大巨匠ピカソ(1881‐1973年)だって「ヘタウマ」と呼べそうな絵が多いのでは。中でもアンリ・ルソー(1844‐1910年)はその代表とも言えるということは方々で言われていることです。

▼ヘタウマ
創作活動において技巧の稚拙さ(つまり「ヘタ」)が、かえって個性や味(つまり「ウマい」)となっている様を指す言葉。
技術が下手で美術的センス、感覚がうまい、つまり技巧的には下手であるが人を惹きつけて止まない魅力があるものを指す。ただし、稚拙さを技術不足ととるか、計算や個性、あるいは味と捉えるかは、受け手の主観によるところが大きいため明確な定義は存在しない。そのためか「ヘタヘタ」という表現も存在する。

出典:Wikipediaより部分抜粋(ヘタウマ
出典:MUSEY《人形を持つ子供》アンリ・ルソー 1892年、オランジュリー美術館蔵

筆者はルソーという画家はとても好きです(全く詳しくはないけど)。上の絵で言えば、少女の表情や体つきが子どもらしくないなどということは置いておいたとしても、潔いど真ん中レイアウト、背景との妙な遠近感・朴訥感、足が浮いている違和感など、絵画素人の筆者でも突っ込みどころ満載すぎる。(この辺りは、山田五郎さんのYouTube「オトナの教養講座」(【ルソー】あなたはいくつの違和感に気がつく?【天然ヘタウマ】)を見るのがおすすめ!)

賛否はあれども歴史的に評価が高いルソー。ならば書道家にもルソー的なヘタウマへの評価がもっとあっても良いのでは、と思うわけです。

実際のところ、書道をやらない多くの人にとって、「美文字」「力強い筆文字」を書く以外の多くの書道家の文字は、ヘタウマジャンルにも入れない、おしなべてただの”変な文字”なのではないでしょうか。

そして、一部の”変な文字”を書く書道家が評価がされる場合、それは文字に対してではなく、書かれた言葉の内容だったり、すでに確立している威光だったりする気もします。

”変な文字”、「ヘタウマ」書道家の有名人たちを3人挙げてみます。

〇相田みつを

「人間だもの」で有名な相田みつを(1924-1991年)。”変な文字”、ヘタウマ書道家と言って、この人を出さないわけにはいかないでしょう。しかし相田みつをは所謂「美文字」の書き手でもありました。己の詩を万人に伝える表現手段を模索したところ、あの書風になっていったとか。

(出典:gt-24o’s blog 全て相田みつをの書)
(出典:東京国際フォーラム 相田みつを美術館

〇井上有一

海外のオークションで最も高値の付く日本の書道家、井上有一(1916‐1985年)。過去のnote記事でも少し扱いました。一般的にこの人も”変な文字”なのではないでしょうか。ともすれば書道をやらない人も「自分でも書ける」と思わせるような字です。(いや本当はこういうのなかなか書けないのですよ、、)

(出典:TOMIO KOYAMA GALLERY  井上有一《花》小山登美夫ギャラリー蔵)
(出典:モダン周遊 井上有一《魚行水濁》(部分) 京都国立近代美術館蔵)

〇良寛

なぜか敬称込みで親しまれる良寛さん(1758‐1831年)。教科書などにも出てくる人物です。元祖有名ヘタウマでしょうか。筆者はこの文字群を見て心から「良い字だねぇぇぇぇぇ」と感嘆しますが、立ち返って考えるに、書道をやらない人に向けて、なぜこれが「良い字、良い書」であるのかを具体的に且つ短文的に説明することは未だかつてできたことがありません。

(出典:書道専門店 大阪教材社 良寛《天上大風》)


(出典:日本文化の入り口マガジン 和樂web 良寛《漢詩 聴於香積山有無縁法事随喜作》 )

加えて、一般的にあまり有名ではないと思いますが、村上翠亭なんかも現代書道家のヘタウマ枠と言えるでしょう。


シカさんは書道家ではない、それどころか・・・


さて。
”変な文字”、ヘタウマ書道家「相田みつを」「井上有一」「良寛」など。相田みつをのくだりで少し触れたように、彼らは確実にわざとああいったヘタ感を出しています。

彼らは書道家(良寛さんは本職坊主でありますが)です。文字に対して絶大な興味があり、日々試行錯誤を重ね鍛錬を積み、何千枚何万枚と紙を無駄にしてきた人物たちです。

一方でシカさんは書道家でないどころか、文字を書くことさえままならなかったのです。シカさんが生まれ子ども時代を育ったのは江戸時代末期。その頃、寺子屋により識字率は格段に上がっていましたが(江戸の中心では8割ほどの識字率だったとか)、シカさんは家の事情により十分な教育を受けることが出来なかったそうです。

それでも愛息英世に、大人になってから必死で覚えた、自分の書ける限りの全力の文字で書いたのが先の手紙です。漢字とひらがな、カタカナをまぜこぜに使った拙い手紙。筆者は、前述のとおり、内容を抜きにしても、「書道的な価値がある」とても魅力的な文字群だと思っています。

ここで、冒頭に挙げたシカさんの手紙と、井上有一のコンテ書(コンテ:クレヨンやチョークのような筆記具)を見比べてみましょう。何も前知識なく見たら、「どちらが書道家の文字ですか」という問いに正解することは限りなく難しいのではないかと思うのです。

(出典:でーこんのあちこちコラム 野口シカから野口英世に宛てた手紙の一部分。)
(出典:CREA Traveller 井上有一《これでコンテもをわり》1984年)


”良い”ものの共通点は「切実さ」「自然さ」


ちょっと話は逸れますが、以前、愛聴チャンネル「ゆる言語学ラジオ」で、幼い子どもの言葉と詩人の言葉を並べて見分けるというクイズをやっていました。回答者である堀元氏は物書きですが、それでも正答率5割くらい。

▼【ゆる言語学ラジオ】堀元見氏/水野大樹氏による言語学のチャンネル
赤ちゃんと詩人を見分けるクイズをやったら難しすぎたww【赤ちゃんと創作2】

前後関係なしに切り取られた一部を見せられたとき、所謂素人が意図せずヒットやホームランを打ててしまうという現象は多くの芸術分野であるのかも知れません。(音楽分野や料理分野は起こりづらそうな気がするけど)

どんな人が作ったものであれ、”良い”という票が集まるものの共通点は「切実さ」と「自然さ」なのかなと考えます。気負いなく、衒いのなく、その人の呼吸のまま、けれど雑でなく集中している・・・そんなとき”良い”ものができるのかな。


プロか、そうでないか


さて。
シカさんの手紙が、仮に書道的な魅力があると多くの人から認められたとしても、シカさんは書道家ではありません。また先の手紙は書作品と呼べるものではないでしょう。そしてシカさんの文字は「ヘタウマ」ではありません。言うなれば確実な「ヘタヘタ」でしょう。

「作品」は、作者が不特定多数の人に見せるために制作、提出された何か。シカさんの手紙は、あくまで息子に宛てた手紙であり、後世にこんなにも多くの人の目に触れられるとは当のシカさんは思っていなかったでしょう。

であるにも関わらず、プロのヘタウマ書道家と文字を覚えたての人(シカさんや子どもや外国人など)の「ヘタヘタ」な文字との区別が付かなかったり、ともすれば後者に軍配が上がることさえ起こる・・・

ではこの点において「プロ」って何だろうと思うわけですが。

プロはそれを意図的に再現できる、あるいは自分の中にあるイメージを取り出すことが出来る。そしてそれを世間に向けて「作品」として提出する。
一方プロでない人はそもそも「作品」を目的としていない。
しかし”良い”ものは「作品」外にも存在している。

こんな感じでしょうか。


最後に。
筆者は”変な文字”ファンであり、”変な文字”の書き手でもあります。現代の書道の世界は、清廉潔白な美文字、優美流麗なかな文字や行草体、質実剛健な中国古典派の人たちがほとんどで”変な文字”の書き手は多くありません。

”変な文字”ファンの人が増えてくれると、書道がもっと広まるのではないかなあと思ったりしています。「字はみんなのもの」ですから。


それでは!


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