#2『若き詩人への手紙』リルケ
離れて暮らす母の家の本棚で見つけた。20年前に読んだ本である。あの頃、自分の魂を導いて人生行路に道筋を示してくれたいくらかの人の中にリルケはいる。ただ、内容は覚えていなかった。輝くような芸術家の精神が充満していたことだけ覚えていた。
読み直しての感想は長短ある。長所は変わらない。切実誠実な言葉が読み手の心を深く揺さぶる。短所は、その時代特有の、白人世界の言い回しがなかなか入って来づらい。それと訳文が充分に良くない。私は読解能力の低い人間なので、おじいちゃんおばあちゃんでも分かるような平明な言葉で語られないと集中力が続かない。二度三度同じ行を読み直して理解する、というようなことに力を注ぐことができない。
まあ、よく言えば素朴なんだ。
もう一つの短所として、この本は若き無名の詩人と高名な詩人リルケの文通のやり取りなのだが、無名の詩人の方が何に悩み何を訴えていたのかということを、要約で良いから記載してほしかった。状況が呑み込めない所がいくらかあった。
結論として、リルケの熱量は伝わってくるのだが、意味はよく分からない、又は分かろうという気持ちが私の方に起きない箇所が多く、勿体ない感じがした。
非常に感銘を受けるのは、百年前にはこのような言葉、このような人間の在り方と交流があったのだ、ということを懐かしく羨ましく思わせてくれることである。例えばリルケは最初の手紙でこう書いている。
今の世の中は「成功」一本鎗の気がする。そのために、どうしたらニーズに応えられるかとかマーケットはどうだとか、フォロワーやチャンネル登録者獲得の話とか、とにかく成果に話題が集中している観がある。「何よりまず客の心を掴まないといけない、そのために…」と色々な偽装や取り繕いや加工をする。勿論、お金が入らないと仕事は続かない。しかしそれだけで良いのか、と古風な私には思えてくる。
逆に「やりたいことを仕事にする」というキャッチフレーズもよく聞くけれど、このリルケの真剣さとは思えない。それは単に、「やりたくない仕事に耐える能力がない」ということの言い替えでしかないのではないか。しかしやりたくないことを避けてさえいれば幸せなのか。私はそこに大きな疑問を持っている。
もう一つ、この何往復も交わされた手紙のことを思うと、やはり隔世の感がある。今なら、そこそこ知名度のある人が個人的に無料で返事や助言をすることなど、なかなか無いことだと思う。寄せられる多くの質問を取り上げてメルマガやオンラインサロンやYouTubeで動画配信する。一見、広く有益な知見を提供しているようだけれど、「もっと多くの人に見てもらおう」という発想から自由になることが出来ない。驚くべきことに、リルケは世界の片隅でひそやかに自分の言葉が語られるだけで満足していた。
リルケはこの無名の詩人、会ったこともない、自分に労力を割かせる存在に対して、「折角教えてやるのだからせめてこれを書籍化でもして印税を稼ごう」という発想が全く持たない。完全なる無償の奉仕だったのである。それでリルケはそんな余裕があるほど豊かだったのかと言うと、全然そんなことはない。
今一度、私はこのような在り方から深く学びたいことがあると思った。
リルケは芸術を真剣深刻なものとして捉える数少ない種類の芸術家だった。彼の提供したいものは娯楽ではなかった。「提供」という考えがそもそもなかったのではないだろうか。ひたすらの求道者だったのである。だから彼は芸術が好きだから芸術をする、という領域を超えていた。彼はそれをしなければならなかったが、他の全ての生き方同様、苦痛に満ちていた。そんな時、彼は、いや人はどう応じるべきなのだろうか。
これも今の時代では聞かれなくなった言葉である。今は「我慢しない」「嫌なものは切る」でほぼ啓蒙的な言論空間は統一されてきている気がする。脳科学による補強などもあって、「思考がネガティブな時はポテンシャルが低い」というのは今や常識になっている。しかし問題の核心は「思考がネガティブかどうか」であって、「状況がネガティブかどうか」ではないはずなのだ。それなのに多くの人は嫌な状況を削除することばかりを考え、どのような状況でも己を肯定的に保つ強さと柔軟さのことは保留し続けているのではないだろうか。状況をどう耐え、そしてどう肯定的に内部変換すべきなのか、という問いの答えをリルケは「忍耐」の二字で述べている。
時々、芸術家の姿をした宗教家がいるけれど、リルケはその種類であると思う。ただ宗教家と言っても、この場合特定の宗教である必要はない。人生の投げかける苦難と謎にひたすら正面から向かい合うという真剣な姿勢が、宗教的なものを思わせる。ヘッセもそうだが、そのような人はとにかく不器用なまでに問題から逃げない。「逃げずに向き合えば必ず道は開ける」ということは、彼らの先天的な知恵であって、これは他人から教わることは出来ない(だからリルケには残念ながら、であるが、他人に教えることも出来ない)。リルケは人生をどう生きるべきかということについて、端的にこう言っている。
つまり間違っているのは自分の方なのである。足りているのに足りないと思い、恵まれているのに恵まれていないと思う。私も凄く、身に覚えがある。そういう時、こう思っていた。「だって実際に足りないんだもん」と。他の人からも同じ言葉を聞く。気持ちは分かる。しかしそれを言っている内は先に進めない。状況は変わらない。リルケはこう戒めている。
ここで言う「富」は言うまでもなく、物質的外形的富ではないだろう。主観的にそれを富と捉える能力を持ち得るかということ。しかしそのような意識の力はどうやって得ることが出来るのだろうか。答えは幼心にあるとリルケは言っている。
幼年時代から酷かった、という人は少なくないと思うし、私もそうだった。しかし最近思うのだが、幼年時代には、それでもなお私たちの心を面白おかしくさせることが出来たくらい、命の生まれたての力が満ち満ちていたのではないだろうか。ビッグバンの輝きはいまだ冷めやらず、である。
子供を見ていると思うのだが、よく笑うのである。人は怒ったり恨んだりということを、人は後で覚える。最初に知っているのは笑うこと、そして「すぐに忘れること」。
どんなに苦しみに染まった真っ暗な人生を生きてきた人でさえ、リルケの言う深さまで達したら、パンドラの箱の中に一粒残された希望のように、光を見つけることが出来るのかもしれない。