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日経COMEⅯO賞 受賞の喜びと感謝をこめて

はじめに

 こんにちは、吉村うにうにです。普段は長編小説を中心に執筆をしております。ちなみにそのうちの一つがこちらです。

さらに、ショートショート、エッセイ、詩といったコンテストを見て、興味があれば参加しております。

 この度、日経COMEMOさんの「大切にしている教え」募集に、拙作である「食べ物を、無理強いしてはならぬ」を応募したところ、日経COMEMO賞を頂くという、望外の更に外の結果を頂きました。結果を知った時には「嘘やん!」と叫びそうになりました。記事を読んで下さったnoteの皆様、審査をして下さった日経COMEMOの皆様に感謝です。結果記事はこちらです。

そして、受賞記事がこちらです。

どうしてこのコンテストに?

 募集記事はこちらです。

 noteで執筆を続けていると、様々なコンテストの掲示されていて、文章力を磨くため、視野を広げるために、参加できそうなものには積極的に応募しています。その中で日経COMEMOさんの今回の課題は、教えであればどのようなものでもいいとの事で、選択の幅が広くとっつきやすいように感じました。

しかし、新社会人に向けて背中を押すというのがコンテストの趣旨であると書かれていたので少し躊躇しました。私は一応社会人ですが、中高生時代は落ちこぼれ、その後成績を爆上げして大学に進学したものの、卒業後は多くの人が歩むレールからドロップアウトしてフリーで仕事をしており、輝かしい新社会人に「こうすればいい」とアドバイスできるほどの立派な人間ではありません。でも世の中には私のような駄目な人間からでも学ぶ事はあるのではないか? 私の記事を読んで、たとえ反面教師としてでも読んで頂ければいいのではないか、そう考えて万年筆を取りました。

受賞するコツ

残念ながら、私が聞きたいくらいです。かろうじてあるとすれば、以前ショートショートnoteで賞を頂いた時にも述べましたが、「数うちゃ当たる、運だよ、運」です。記事はこちらです。

今回は一遍しか出しておりませんが、他のnoteもnote以外の賞もコンテストには定期的に応募をしております。今回応募数が一万を超える中で選ばれるのは「運」以外にはありません。勿論、審査員の方々が真剣に選考して下さったことは疑っておりませんが、今回の作品が偶然「審査員のどなたかの琴線に触れた」というところだと思います。ただ、「書かなければ当たらなかった」のは事実ですので、何百回と様々な賞に落ちても、折れずに書き続けている点だけは自分を評価したいと思います。

 以前、公募ガイドさんの記事で「エッセイは序論、本論、結論を2;7;1の割合で書こう」とあったのでそこは意識しましたが(あんまり守ってない:汗)、エッセイの勉強はしたことがなく、思ったまま、本能と記憶に導かれて書いただけです。参考にしようと考えてらした方、ごめんなさい。 

どうしてこの言葉を選んだ?

 候補はいくつかあったのですが、「仕事で影響を受けた人の話」や「読んだ本でよく思い出すフレーズ」や「好きなキャラクターの名ゼリフ」がCOMECOさんの呈示する例としてありました。最初はそこから選ぼうと思ったのです。

 しかし、あまのじゃくな私の本能が、「その三つ以外にしなよ」と囁いてきました。なにしろ、小説講座で小説家の先生が「小説には一人称と三人称で書かれたものがある」とおっしゃった後、二人称小説を書いて提出した私です(いやあ、参考になる二人称小説が無くて困りました。カルロス・フェンテス氏の『アウラ』の文体を真似ました)。すぐに浮かんだのが、代々我が家の笑い話として伝わる母の父方である曾祖父の「食べ物を、無理強いしてはならぬ」という言葉でした。この話は母がよく聞かせてくれて、毎回、皿が縁側の下に飛んで行く話のくだりで笑いが生じました。私は話に出てくる曾祖父には会ったことがなく、母から聞くエピソードでしか知りません。母も、恐らく祖父から聞いた話を受け継いでいるだけだと思います。私の一族では私より上の世代の人間は全員亡くなりました。この曾祖父の話をできる人間はもういなくなり、私もリアルな感覚ではお話しできません。ただ、残してくれている教訓めいた内容は誰かに伝えたいなと思って、この言葉を選びました。

教訓を生かせなかった母

 私の亡くなった母は、懸命に働いて一人で私と姉を育て上げ、二人とも大学まで行かせてくれた立派な人でした。しかし、女一人で社会を渡るために、いつも気を張っていたせいか、後から考えると欠点もいくつか見られました。そのうちの一つが曾祖父の教えに反した無理強いでした。無理強いとは、すなわち価値観の押し付けを意味します。自分だけが正しいと思っている母のセリフで印象に残っているものをあげます。

「絶対美味しいから食べなさい。そんなに好き嫌いがあったら、結婚した時に困るで」(私へ)

 私は幼少時から偏食です。しかし、野菜はきちんと毎日350gとりますし、カロリーも計算して、食材も被らないように気をつけています。単に、食べられる食材の種類が少ないだけです。よく考えれば、自分の嫌いな物を食べさせる人などと結婚しなければいいだけです。栄養バランスに注意するならともかく、嗜好に口出ししないでほしいです。

「エビ、カニが食べられへんなんて、食事の何が楽しくて生きてるんやろ?」(姉の結婚相手への批判、勿論本人不在時)

 アレルギーかも知れませんし、多くの人が好む食材が嫌いでもその人の自由だと思いますが。

「食べへんの? ホンマに食べへんの?」(私が満腹の時に菓子を勧められて)

 一度や二度ならいいのですが、何度も勧められるとイライラしてしまいます。私はよく、親切と言う名の刃を向けられて生きてきたように思います。

価値観の押し付けは食べ物だけではなく

 無理強いは、食べ物に限りませんでした。

「あんた、そんなに勉強が嫌いか? それならもう言わへんけど、それでええんか?」(勉強をしなかった私に)

 これは、勉強をしない子は見捨てるという、言外の圧力を感じました。勉強をしないと進学の選択肢が狭まるというのは、子どもながらに理解しておりましたが、嫌いなものは、強制されると、もっと嫌なものなのです。

無理強いではありませんが、価値観の押し付けは他にもあります。

「あんたは繊細やから、文章なんて書いたら、精神がおかしくなる」

 これは、小学校の時に、初めて戦記物を掻いた時に言われたセリフです。当時はそれを本気にして、怖くなり、執筆を止めてしまいました。執筆を再開したのはそれから三十年以上も過ぎた後です。

 恐らく、母は、心配して言ってくれたのだとは思いますが、その背後には「私を理系に進ませないと就職できない」と考えていたところも見え隠れしていました。というわけで、勉強が嫌いだった私は、なぜかもっとも勉強しなければならない世界に放り込まれるという災難に遭ったわけです。

脇道に逸れますが

母は、自死を遂げた文豪たちの名前を挙げて、私の執筆を止めましたが、まあ、多数の文豪が悲劇的な死を遂げている事を考えると、あながち的外れではないと思います。ただ、文豪たちの成育歴を紐解いていくと、多くは元々繊細な所に養育者がコロコロと変わったり、親が愛情を注げなかったりといった要因で、愛着障害を持っているのでは、と思われます。つまり、因果関係が逆なんだと、結論付けました。文章を書いたから亡くなったのではなく、幼少時の心の傷を執筆で癒す過程にある途上で自死を遂げた方が多いのではと考えております。

更に脇道に逸れます

 東大に兄弟全員を合格させたママが話題になっていた時期がありました。それに対して、「努力する才能も生まれ持ったもの」であるとか「(子どもが)単に優秀だっただけ」と言って、このママの教育論のお陰ではないという意見が出ていますが、私は、自分や周囲の経験だけに照らし合わせると、才能がなくても教育論だけで成績を上げることは可能だと思います。少なくとも現代の教育環境は、明治や大正時代とは違って、ある程度の収入があれば、凡庸なスペックでも東大などの難関大への進学は可能なのかなとは思います。重要なのは、資金と学習時間を集中して継続的に投入できるかどうかで、生まれ持った能力はほぼ関係ないかなと言うのが、長年、親に環境を用意してもらって追い込まれた(かなり逃げましたが、最後には仕方なく勉強してました)私の実感です。

 但し、これは、大きな代償を払うことになります。世の中の多くの人が時間と資金の投入をしないのは、おそらくその代償に本能的に気づいているからだと思います。私は、社会に出てからやっと気づきました。高い学歴も高い収入を得られる資格も得られますが、代償は生涯をかけて払うことになると思います。ここでは、どのような代償かは伏せておきます。気づいた私は、自分一人が被害者で済みますが、気づかない人は自分の子に同じ押し付けを行います。

おまけ|他の無理強いと言うか価値観の押し付け

「滝を見たことがないなんて、寂しい人生だね」

 これは妻が私と出会う前、同級生(ただし十歳以上年上)に言われたセリフだそうです。その人は滝が好きなのでしょうが、興味のない人にそのようにさげすむ権利はないと思います。その人は、もしかしたら妻と仲良くしたかったのかもしれませんが、そんな言い方をして好かれるはずがありません。滝の良さを語るだけにすればいいのに(滝の魅力は語られず)。

大切にしている教えではありませんが、はたと自分の心の軸になると気づかされた言葉

「猫が好きだったわけではありません。あの猫が好きだっただけですから」

 これは、私が書いた小説「僕の父ちゃんは猫」(現在非公開)に出てくるセリフです。大事にしていた猫を失った何年か後、担任の先生に「猫が好きだろう?」と尋ねられた時に言った主人公の言葉です。「あの」の言葉に猫ならどれでもいいわけではない、家族だという気持ちを抱いていたから好きだったという気持ちが込められています。自分で書いた小説なのに、読み返すと、ちょっとうるっときます。後から考えると多分、「勉強をしない子には愛情を注がない」という無言のメッセージを送り続けられた自分が、どんな自分でも無条件に(他ならぬ私だからこそ)愛して欲しいと思っていて、それが具体的に現れたセリフだったと思います。

最後に

 曾祖父の言葉は、私の行き過ぎた行動にストップをかけてくれます。私も若い時はつい、自分の好きな漫画や食べ物をややしつこく勧めていました。反省しています。今では、一度だけ勧めて(すごく遠慮しているだけかもと思ったら二度勧める事はありますが)、すぐに引っ込めます。妻に何か食べ物を買った時も、「食べてもいいよ、食べてなかったら自分が後で食べる」といって、相手の意思にゆだねています。そういう意味でも、顔も見たことのない曾祖父に感謝しておりますし、一度は会ってみたかったと思います。これが故人が残された人の心に生きているというのは、ちょっとカッコつけた言い方でしょうかね?

 

 ここまで読んでくれてありがとうございました。受賞したエッセイ本文よりも長く書いちゃいました。

 

 

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