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「人生の答え合わせでした」

別れる男に、花の名前を一つは教えておきなさい。花は毎年必ず咲きます。

『花』川端康成

ある晴れた遅夏の夕暮れ。
先輩と出張先から職場に戻る道すがら、ふわっといい香りが漂ってきた。
「金木犀だ、すっかり秋めいてきましたね」
と話し掛けると、
「ここら辺一帯は、金木犀だらけなんだよね。ほら、これ」
と、先輩。
そういえば私は金木犀の本体を見たことがなかった。香りの主張の割に、なんてことはない小さな花だ。
「初めて見ました!先輩は金木犀がお好きなんですか?」
金木犀本体を知ってる人なんだから、そりゃそうだろうが。
すると、予想の斜め上をいく答えが返ってきた。
「元彼が教えてくれたの」

それはまだ学生の頃。
東北出身の先輩は、デートといっても放課後に土手で少し話せれば御の字だったという。寄り道をするところもなければ、家が遠かったのだから仕方がない。
その微笑ましいデートスポットに金木犀が生えていて、元彼が香りの発生源を教えてくれたらしい。

「え、何それ?!リアル川端康成じゃないですか〜〜!」
私は冒頭で引用したワンフレーズを思い出し、興奮した。
元彼が狙ってやったのではないにしろ、それこそ20年以上も前の記憶が先輩の中にはまだ残っている。
花の名前を教えるというのは、なんて美しい呪いなんだろう……!
でも複雑すぎても覚えられないし、ありふれた花でも記憶には残らない。
そういった意味で”金木犀”はちょうどいい花だった。毎年絶対に香るし。
それからというもの、私にとっては誰でもない先輩の元彼のエピソードを、金木犀が香るたびに思い出した。


やがて2年が経ち、
「ねぇ、香椎ちゃん。前話した元彼の話、覚えてる?」
チラシの整理をしている最中、先輩が小声で聞いてきた。
「それって…金木犀くん?」
忘れられるわけがあるまい、リアル川端康成を素でやった男のことを。
「そう(笑)実はSNSで繋がってるんだけど、こないだ突然連絡が来てね……」
先輩曰く、どうやら元彼は仕事の関係でスイス在住のようだ。その時点でツッコミたくなったのをぐっと堪え、とりあえず話を最後まで聞く。
なんと、日本に一時帰国するタイミングで久しぶりに逢わないかとデートに誘われたというのだ。
まさか金木犀くんとの話に続きが生まれるとは…!
私は先輩以上にキャッキャしてしまった。

待ち合わせは銀座らしい。
学生時代に東北の土手で語り合ったカップルが、大人になって銀座で再会なんてちょっとできすぎた話ではないか。
「ひょっとして映画化します?」
「ね~!自分でもエモいシチュエーションだなって思う」

誤解を生まないように先に断っておくと、先輩は既婚者だ。
旦那さんとの関係も良好だし、元彼とどうこうなるなんてことは絶ッ対ありえない。
だけどそれはそれ、これはこれ。ただ日常を彩るものである。
何かが起こるわけではないからこそ、まばゆいのだ。

先輩はそのこともあってか、こんなことを他に話せる人がいないと、ちょこちょこ私に相談をしてくれた。
「さっき連絡が来てね、紅茶か日本茶のお店、どっちがいいか聞かれたんだけどどうしよう」
「つまり、ケーキor大福?ってことですね」
「え~、どっちも好きだけど和菓子だと渋すぎる?!」
「う~ん…久しぶりに日本に帰ってきたから日本茶?でも金木犀くんが詳しいのは紅茶?悩みますねぇ…どっちもってのはナシですか?!」
「どっちも?!」
「日本茶飲んだ後に、紅茶も飲みたくなっちゃったって…ダメか~~?もう酒飲んでくればいいんですよ!」
外野は得てして適当なことを言うもんである。

「服も何着て行けばいいんだろう?」
「ザギンですよ?エレガントにキメていきましょう!」
「メイクもどの程度しようか…彼はすっぴんしか知らないから、あんまりしたらイメージ違うよね?」
「いやいやいや、そこは田舎の芋娘(失礼)が都会で蝶に大変身でしょう?!先輩はバッチバチのメイクが似合うんです」
「え~ありがとう、そうかなぁ」
先輩の様子を見て「そんなどうでもいいような些細なことで、いちいち悩むんでしたよねぇ!」とニヤニヤしていたら、それがそのまんま口から飛び出てしまった。


数日間、先輩はそわそわしていた。デートの日が近づいてきたからだ。
「注文したコラーゲンドリンク、間に合わなさそう…気持ちの問題だってわかってるんだけど」
でもなんだか雰囲気が柔らかくなって、先輩の周りには淡い金平糖カラーのふわふわしたものが舞っているようだ。そう、ときめきってヤツが。
「大丈夫ですって!あとは気休めにパックしたら完璧ですよ、楽しんできてくださいね」
シフトの都合上、私はデート2日前に先輩を送り出した。


翌週、上司の目を盗んで「どうでした?」と聞いてみると、先輩は「うん、楽しかった!」と、はにかむ。
結局、紅茶のお店になったそうだ。
「金木犀くん、変わってませんでしたか?」
あんまり根掘り葉掘り聞くのも品がないように思えて、当たり障りのないところから攻める。
スイスで洗練された元彼は、なんとロマンスグレーの長髪になっていたそうだ。
なんだそれ、なんだそれ?!やっぱり映画化するか?とメガホンを握り掛けたところで、先輩は言った。

「このタイミングでまた逢えてよかったなって思う。人生の答え合わせでした」

素敵な時間を過ごせたことを、こんなに端的に表す言葉があろうか。
私はそれで胸がいっぱいになってしまって、もはや何も聞くまいと思った。そこから先は、25年という長い空白を埋めた先輩と元彼だけのものだ。


誰もが自分の人生において主人公であるがゆえに、誰かが主人公として紡ぐ物語の分岐点を、こうして垣間見れる機会はそうそうない。
私はまるで上質な読書体験をしたかのように、感慨に耽っていた。

私にも、いつか”人生の答え合わせ”をする日が来るのだろうか。
答え合わせをしたとき、先輩みたいに清々しく笑っていられるだろうか。
なんなら、私は花の名前を教えて誰かの記憶に残る側がいい。
そんな邪な野望を抱いている時点で、答え合わせどころか、私にはまず解かなければならない問題が山積みなのであった。


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