お久しぶりです。どーも、元気です。
昨年の12月頃から実家に滞在し、農家である祖父母を手伝いながら、本を読んだり、お菓子を作ってみたり、と穏やかな日々を過ごしている。
noteおろか、SNSでの発信も止めていたので、現在は何をして、何を考えているのだろう?と、不思議に思う人もいるかもしれない。
どうして発信を止めたのか?
投稿していなかった間は、何を考えていたのか?
私自身の整理を含め、書き綴っていこうと思う。
全ての選択肢を白紙に戻す。
去年の7月末に仕事を退職してから、L A M Pのヘルパー、L2のインターン、ADDressでの多拠点生活をしながら、自分が生き生きと働く仕事や暮らし方を模索してきた。
その日々のなか、自分の暮らしをつくる「次のステップ」として、複数の選択肢を考えていた。
(ちなみに、私は進む時や決断する時、視野を広く持つために、複数の選択肢を挙げるようにしている。)
でも、12月末、考えていた全ての選択肢を白紙に戻した。手放して、いったん休むことを決めた。
おそらく、理論的には、どの選択肢を選んでも幸せになれただろう。
でも、どこか心と体が追いついていないような、置いてきぼりになっているような違和感があった。…それを見過ごしたくはなかった。
その違和感を感じつつも進みながら、就職や引っ越しの日程が決まった上で、解決することはできたのだと思う。
でも、大会を控えた選手のように、コンディションを整えて照準を合わせていくのではなく、いったん高速道路を降りて、休んでから行き先を考えるように、何もない、フラットな状態から考えたかった。
SNSでの発信も止めることにした
SNSに関しても、それに伴い、少し距離を置いていた。
浦島太郎にならない程度に、要所要所で他の人の投稿は見ていたけれど、自分から発信することは意識的に止めていた。
「他者との関わりの中で、自分を知っていく」「アウトプットはインプット」と言われるように、人に話したり伝えたりすることで、認識できることもあるだろう。
でも、SNSで他人の目線を気にして、他の誰かが判断の基準になるようなことは避けたかった。フラットなときは尚更、その影響が強く出てしまうのではないか?と考えたからだ。
誰かじゃなく、自分を軸に考えたい。
だから、紙のノートに書いても、あえてS N Sでは発信しなかった。
繭を出入りしながら、底をたゆたう
ゆっくり読書をしたり、映画を見たり。
やりたいと思ってはいたけれど、なかなか出来ていなかったことをやってみる時間を過ごす。
(その期間に考えたことや、感じたことは、また次の機会に。)
そして、現在は、徐々に動き出す時期に来ている。
世間やSNSと離れている間は、人と連絡を取ったり、知り合いのお店に行ったりすることは避けていた。でも、少しずつだが、訪ねたいと思うことが多くなった。
先日は、コンサル業をしている知人を訪ねた。その方によると、人生において目標を達成するときを表したU字理論というものがあるそうだ。
どうやら、イモムシが繭に籠って、蝶になって飛び立つような華麗さは、ないらしい。
結論を急がず、繭を出たり入ったり、底をたゆたう。
自宅を拠点としながら、思い立った「何か」を気軽にやってみるフェーズなのだろう。観光中心のような、気構えない旅行もいいのかもしれない。
結論や成果ではなく、ただ「何か」が降りてくるのを待つ時間。
自分のアンテナと、心の声と、運が、きっと「何か」を運んできてくれるだろう。
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