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0006 A-side 吸血鬼ドラキュラ

血のみが歴史の歯車を回す——マルティン・ルター

ウピル、ウプリル、オピル、ウポル、ウプオル、ランピール、ワムピル、ムッロ、ヴゴドラク、モロイイ、ムロニ、ズメウ、プリコリチ、ヴァルコラキ、ノスフェラトゥ、ストリゴイイ、ヴァピール、ヴァンピール、そしてヴァンパイア。これらの言葉は、あるひとつの存在を呼称する名詞である。もちろんすでにお分かりだろう。闇に巣食いし者——吸血鬼である。

1.吸血鬼とは

 吸血鬼(ヴァンパイア)あるいはヴァンピリズムに関する記述は、遥か神話の時代から認められる。吸血鬼は動物の生き血を吸うという条件のもとで、永遠の生を約束されたものであるが、それは翻って死とは何かについて、否応なく私たちに思索を促す力を持っている。吸血鬼とは生と死という究極の二律背反の体現者である。彼らは私たちの中にどうしようもなく存在するエロス(生)とタナトス(死)という相矛盾する憧憬の具現者と言ってもよい。これら2つの根源的欲求から免れる人間は誰一人としていない。想像の中で私たちは、誰しも吸血鬼への渇望を持っている。吸血鬼とはまず何よりも私たちの心の中に蠢く存在なのである。
 彼らの栄養はただ一つしかない。である。血は生命の暗喩である以上、彼らが吸うのは血だけではなく、生命でありエネルギーである。今でも、部族同士の争いで敵の血を飲んだり、戦いに出陣する前に生贄となった動物の血を飲んだりする儀式が残っているのは、私たちは自らの生の根幹が血であることを知っているからである。吸血鬼からしてみれば、必要な食事を必要なだけしているに過ぎない吸血行為であるが、人間の側、特に欧米人からしてみれば、これは重大な冒涜行為である。なぜなら血は食べてはならないとされているからだ。そのことは旧約聖書にもちゃんと書かれている。だから、吸血鬼は一人残らず神に対する反逆者である。これが後述するような、吸血鬼が苦手とするアイテムにつながっていく。

2.吸血鬼の特徴

 は何と言っても彼らの大きな特徴であろう。人間の首に噛みつくという行為は彼らのトレードマークの一つである。もまた特徴的で、ほとんどの吸血鬼は綺麗に整えられた長い爪を有している。
 寝床はほとんどの場合、棺の中である。土葬の場合、棺は納棺の際に念入りに釘打ちされて、開けられないようになっているが、彼らには棺が閉まっているかどうかというのは全く障害にはならない。彼らは実体を霧のように変えることができるため、隙間がわずかでもあれば、出入り自由である。棺には生まれ故郷の土が敷き詰められていることが重要(絶対必要という訳でもないらしい)だが、これが彼らにどのような効果をもたらしているかの詳細は不明である。
 鼠、狼、蝙蝠などは彼らの眷属であり、時には自ら狼や蝙蝠に姿を変えることもある。催眠術を得意としており、一度血を吸った犠牲者を意のままに操ることもできる。一種のテレパシーのような技も身につけており、遠くにいながら相手の意識とつながって動向に探りを入れることも可能。しばしば驚くほどの怪力ぶりを披露するし、敏捷性にかけてはそこら辺の野生動物と同等かそれらを凌ぐほどである。
天候を操る能力はずば抜けており、雷雨や大嵐を巻き起こすのはお手のものである。
 一方、苦手なものもある。もしもあなたが近日中に吸血鬼と戦う予定があるならば、まず用意すべきはニンニクである。も絶大な効果を有するので、大量にストックしておくとよい。十字架を恐れるのは言うまでもない。吸血鬼と人間を区別する必要がある時には、難しいことは考えず、ただ疑う相手の皮膚に十字架を押しつけてみれば良い。吸血鬼ならば皮膚が焼け、そこに聖痕が刻まれるはずだ。も有効な武器となりうる。全ての生物にとって、水は生体の重要な構成要素の一つであり、欠かすことのできない物質である。吸血鬼にとってはそれが忌避すべき対象となっていることは非常に興味深い。とても幸運なことに、神の祝福を受けたパンが手に入るならば、それは聖餅という強力な武器の一つになることも知っておくとよい。
 すでに生きていない吸血鬼を殺すというのも変な話だが、彼らを灰に帰す方法は一つ、心臓に杭を打ち込むことである。どうしても、鼻持ちならないほどに憎い吸血鬼がいるのであれば、最終手段はこれに尽きる。

3.実在した吸血鬼

 ヘマトマニアという言葉がある。異常なまでに血に執着する人間のことである。歴史を紐解けば、数多くのヘマトマニアが存在していたことがわかる。それらの中でも特に名高い5人を紹介しよう。

① ヴラド・ツェペシュ
 ルーマニア、ワラキア公国の君主。別名ヴラド・ドラキュラである。捕えた敵を生きたまま串刺しにしたため、串刺し公とも呼ばれる。これだけ聞くとすごい悪者のように聞こえるが、実際にはトルコ軍から国を守った国民的英雄として崇められている。

② ジル・ド・レ
 最も悪名高いヴァンピリズムの行使者。ジャンヌ・ダルク側について戦ったフランス貴族である。彼は100人を超える少年を吸血し、折檻し、殺害し、最後はその肉を食べた。悪魔崇拝に傾倒し、少年たちはその生贄として利用されたと言われている。

③ エリザベート・バートリー
 絶世の美女。15歳でフェレンツ・ナーダシュディー伯爵と結婚したが、この男がまたとんでもないサディストである。彼から手ほどきを受けたバートリーは類まれなる残虐性の芸術を作り上げた。若さと活力の維持のために犠牲者の血をいっぱいにためた風呂に入ったという逸話もある。

④ ジョン・ジョージ・ヘイグ
 ロンドンの殺人鬼。6人の人間を殺害し、証拠を消すために遺体を硫酸で溶かした。厳格なキリスト原理主義者の父母に育てられ、それが彼の血に対する執着を作り出した。殺人動機が血に対する衝動という彼の供述は当時のロンドンにセンセーションを巻き起こし、「ロンドンのヴァンパイア」と呼ばれるようになった。

⑤ フリッツ・ハールマン
 ドイツ、ハノーバーのバンパイア。少年たちを巧みに騙し、家に連れ込んだ後、力づくで強姦し、気管に噛みついて喉を切り裂き殺した。頭部を切断し、その他の部位は豚肉と称して売りさばいた。頭骨は無造作に捨てていたようで、それがライネ川の河畔に大量に流れ着いたことから事件が世間の注目を浴びるようになり、彼の逮捕へとつながった。記録上24人殺害したことになっているが、この数字は実際には犠牲者の一部でしかない。

4.吸血鬼誕生前夜

 1816年5月、スイスのレマン湖畔ディオダディ荘に、錚々たるメンバーが集まっていた。イギリスの詩人バイロン卿、彼の恋人クレア・クレモント、バイロン卿の侍医ジョン・ポリドーリ、詩人パーシー・ビッシュ・シェリー、後に彼の妻となるメアリー・ウルストンクラフト・ゴドウィンである。ドイツゴシック小説が一世を風靡していた当時、彼らは気晴らしに怪奇譚を創作する遊びに興じていた。このとき、バイロンが構想したのが『吸血鬼ダーヴェル——断章』であった。バイロンは特にそれを完成させることなく、その場を終えたが、それに刺激を受けたポリドーリが後にものした小説こそ、歴史上初の吸血鬼小説『吸血鬼ラスヴァン——奇譚』である。ラスヴァンの容姿は明らかにバイロンを模しており、ポリドーリがバイロンを意識していたことは言うまでもない。皮肉なことに、この小説はなぜかバイロン卿作という触れ込みで発表されてしまった。バイロンとポリドーリがこの後、袂を分かったことは想像に難くない。この事件がきっかけかどうかはわからないが、バイロンはギリシア独立戦争に身を投じ、ポリドーリは自らの命を絶つ結果となってしまう。だが、曲がりなりにもポリドーリが、吸血鬼小説を初めて物語として完結させたことは疑いない事実であり、ラスヴァンの容姿や性格が、その後の吸血鬼のイメージを決定づけたことは評価されて然るべきである。ちなみに、ディオダディ荘の一人、当時18歳のメアリー・ゴドウィンこそもう一つの伝説のモンスター小説『フランケンシュタイン』の作者に他ならない。

 以上の記述はその多くを以下の著書に拠っている。吸血鬼の起源、世界に残る伝承を初めとし、吸血鬼にまつわる小説、映画、ゲームまでをわかりやすく解説した1冊である。教科書としては当面これだけで事足りるだろう。

元村まゆ訳 オーブリー・シャーマン『ヴァンパイアの教科書 神話と伝説と物語』原書房 2020

5.吸血鬼小説の原点にして頂点—吸血鬼ドラキュラ

ブラム・ストーカー 平井呈一訳『吸血鬼ドラキュラ』東京創元社 1971

 トランシルヴァニアの幽谷に佇む古城でドラキュラ伯爵はひっそりと不死の生を生きていた。彼はそこで密かな企みを実行するための計画を念入りに整えていた。その企みとは世界の中心、大英帝国の首都ロンドンへと乗り込むこと。彼は若き弁理士ジョナサン・ハーカーを術中にはめ、ついに計画を始動させる。まんまと、ロンドン入りを果たした伯爵は、彼の意のままに動く従僕を増やすために夜な夜な街に出没する。伯爵の歯牙にかかった人物は、ジョナサンの妻ミナの親友ルーシー・ウェンステラであった。吸血鬼と化すルーシー、伯爵の暗躍に気づいた医学・哲学・文学の博士号をもつ博識の老教授ヴァン・ヘルシングは、その暴走を止めるべく若き仲間達と共に立ち上がる。しかし、伯爵の魔の手はついにミナに伸びて……。

 日本では1971年が初版だが、2018年時点で第49版である。古典的世界文学のため、版を重ねることに不思議はないのかもしれないが、吸血鬼という存在がいささか現実味を欠く我が国においてさえも、これほど読み継がれているというのは驚異的である。ブラム以前にも吸血鬼小説はあったが(詳しくはB-sideで)、吸血鬼の知名度が一気に高まったのは、この小説のおかげである。 
 ブラムという作家は新しいものを取り入れるのが好きだったようで、この小説も新規の趣味に彩られている。全編が日記の形のドキュメンタリー形式が採用されていたり、現代人からするとよくわからない速記文字や蝋管録音などが出てきたりする。面白いのは、伯爵の居場所を特定するのに、催眠術が大きな役割を果たすところで、19世紀ロンドンにおいて、催眠術がリアリティを持って民衆に受け入れられていたことがわかる。
 このドラキュラ伯爵、当初は老人の出立ちをしているが、吸血量が増えるに従って、次第に若さを取り戻していく。尖った犬歯、影が無い、鏡に映らない、日光を嫌う、ニンニクや十字架が大の苦手など、先述した典型的な吸血鬼像を全て備えており、現代人の感覚からするとあまりに模範的な吸血鬼像で少々物足りなさを感じるかもしれない。これも先述したが、コウモリ、狼などに自由に姿を変え、霧になることさえでき、20人力と称されほどの怪力の持ち主でもある。日光の下でさえ絶対に動けない訳ではなく、気をつければ日中でも十分動くことが可能で、敏捷性や怪力は昼も夜も健在である。無敵のような印象を受けるが、こちらからの許可がなければ家の中に入ることができないという可愛い弱点もある。また、日中はどこかの時点で、棺の中で体力を回復せねばならず、一度熟睡すると容易に起きることはできなくなる。
 長年生きていることもあってか、歴史には滅法詳しい。さらに、外国語、科学、法律など最先端の知識を学ぶ貪欲さもある。しかし、あまり頭の回転は早い方ではないようで、ヘルシング教授らの作戦にはめられて、拠点を破壊し尽くされた結果、負け惜しみを言いながら早々と故郷のトランシルヴァニアへ逃げ帰る。そして、もう少しで根城へ着くというところで、ヘルシング教授らに寝込みを襲われて灰燼と化し、あっけない最期を迎える。
 1897年の小説だけあって、いささか古さを感じるのは否めない。男性上位社会の典型のような世界観であり、男性陣の言動にいささか腹が立つ場面もあるが、それは時代であり、しょうがないことであろう。しかしながら、紅一点ミナ・ハーカーが冒険に参加する展開は当時にあっては斬新かつ大胆であったのかもしれない。フェミニズム批評により、読み解くのも面白いかもしれないが、それは私の力量を遥かに超える。
 それでもやはり、男性陣の男気溢れる魅力は否定し難い。ドラキュラ追討団を構成するのは、ヘルシング教授、ジョナサン・ハーカー、その妻ミナ・ハーカー、ドラキュラの犠牲となったルーシーの婚約者ゴダルミング卿、テキサスの大地主キンシー・モリス、精神病院長ジャック・セワードの6人である。ジョナサンは妻を救うため、またゴダルミング卿は婚約者を吸血鬼にされてしまっているので復讐のため参加するのは当然だとしても、残りの二人はなぜ参加しているのか。実はこの二人はルーシーに求婚し、フラれた二人である。セワードはヘルシングの弟子のような位置付けであり、参加する必然性がないでもないが、キンシーはどう考えても参加する必要はない。だが、かつて求婚した女性の無念を晴らすため、その身を賭して参加するのが粋である。私はこの人物が一番好きだ。彼は米国の大地主だけあって、威勢の良さがあるが、最後は残念ながらジプシーの凶刃に倒れてしまう。彼の最期は物語のクライマックスであり、荘厳な雰囲気を湛え、読む者の心に強烈な印象を残す。最後にその部分を引用して、本記事を閉じることとしよう。

「何もかもむだではなかった。これはひとえに神のおかげです。ごらんなさい! あなたの額、雪よりもしみがない! 呪殃(わざわい)は消えましたぞ!」
 そういってにっこり笑うと、それきり黙って、この雄々しい紳士は、私たちの悲嘆をあとに、しずかに息をひきとったのであった。

ブラム・ストーカー 平井呈一訳『吸血鬼ドラキュラ』東京創元社 1971

 お読みいただきありがとうございました。来週の「0006 B-side 吸血鬼を読む」もお読みいただければ無上の喜びです。

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