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0002 B-side 怪異を観る

 怪異は視覚映像とともに私たちと歩みを続けてきた。心霊写真はその一つだが、まだ、写真という装置がなかった頃、怪異は絵として私たちの視覚を刺激していた。現代ではどうか。ビデオテープ、DVD、BD、そういったものの中に映像としての怪異が棲みついていると言えるだろう。0002 B-sideでは怪異を観るためのいくつかの作品を提示しよう。


1.絵としての怪異

辻惟雄 監修『幽霊名画集 全生庵蔵・三遊亭円朝コレクション』ちくま学芸文庫 2008
https://www.amazon.co.jp/dp/4480091661

 三遊亭円朝といえば、「牡丹燈籠」や「乳房榎」といった怪談噺で知られるが、芸の肥やしとして、幽霊画も熱心に収集していたことが知られている。百点ほど所有していたようだが、残念ながら今では焼失したか逸散したかで、半分しか残されていない。だが、これだけでも私たちの背筋を凍らせるには十分な数である。1枚1枚が鬼気迫る迫力を持って眼前に迫り、背景にある物語の恐怖を増幅させる。残された五十幅全てがカラー写真で掲載されていて、その上、各々に解説までついている。さらに、当代きっての美術史家らによる幽霊および幽霊画にまつわる論考も付されており、贅沢この上ない仕上がりとなっている。
 どの論考も面白いが、中でも高田衛論文「幽霊の<像>の変遷」は特にお薦め。私たちがそこに描かれたモノを幽霊であると認識するためには、それが幽霊であるという符牒=サインが必要である。その符牒にはどのようなものがあったのか。豊富な図を実際に見ながら、近代の幽霊<像>の変遷を明らかにしていく刺激的な論考である。幽霊といえば、三角巾、白い経帷子、ざんばら髪というのがやはり一般的なイメージなのだが、鬼や蛇のような妖怪スタイルのイメージも結構ある。また、歴史的人物であれば、姿形は生きた人間と何ら変わりはなくとも、現代にいるだけですぐにこの世のものではないとわかる。少し変わったところでは、逆立ちする幽霊も一般的な時代があった。現代怪談の中にも逆さまになって現れる怪異が時折登場するのは、これの名残なのかもしれない。
 余白の中に色々な想像を膨らませることができる分、幽霊画は下手な映像よりもよっぽど私たちの肝を冷やす力を持っている。

2.写真としての怪異

一柳廣孝 編著『心霊写真は語る』青弓社 2004
https://www.amazon.co.jp/dp/4787271873/

 A-sideで紹介した『恐怖の心霊写真集』もそうだが、心霊写真についての書物は優れたものが数多くある。何せ日本は心霊写真大国だ。しかし、心霊写真「論」となるとその数はぐっと減る。今回は心霊写真を真っ向から、徹底的に、真面目に論じた良書として本書を挙げておこう。
写真そのものが心霊写真的な性格を帯びていることを明らかにする前川修論文、死者への追悼から不気味なものとして楽しむ娯楽へと、私たちの心霊写真の受容の変遷を論じた長谷川正人論文など冒頭からスリリングな論考が目白押しである。本書はまた、総体として心霊写真の現代史を追える構成にもなっている。心霊写真の発生とその文学化の系譜が辿られるかと思えば、口承文化と心霊写真の関係が実際の体験談をもとに語られる。さらには、映画『リング』を参照しつつ、ホラー映画の表現法と心霊写真の関係が語られ、UFO、UMA、心霊写真の三つ巴の「眉唾写真」王座決定戦の模様まで論じられるという満腹感。これでもまだ終わらない。極めつけは精神医学からのアプローチと心理学からのアプローチによる二つの論文である。前者では架空の症例を通じ、憑依という体験、そしてその体験における霊能者と心霊写真の意義について語られる。圧倒的なのは後者で、ゴリゴリのデータ分析を駆使しながら現代人の心霊写真観が具に浮き彫りにされている。ここでの結論の一つに、「霊的存在を信じている人ほど他者との関わりが積極的であり、生活に満足している人が多い」と導かれているのが面白い。そのうち、オカルトによる自己啓発本さえ出るかもしれないと思わされる(ひょっとするともう出ているのか?)。新興宗教にもそういった側面があることは無視できない視点であるかもしれない。

3.映像としての怪異

小池壮彦『怪奇探偵の調査ファイル 呪いの心霊ビデオ』 扶桑社 2002

 怪奇探偵として名高い小池壮彦が、仰天するほど数多くの古今東西の心霊ビデオを紹介する本。一言で言えば圧巻である。小池には数々の名著が存在し、実は心霊写真を論じた『心霊写真 不思議をめぐる事件史』という本があるのだが、2で取り上げてしまうと小池だらけになるのでやめた。そもそも小池壮彦については、ほどなく別に大きく取り上げる予定にしている。
 ざっと数えただけでも500本以上の心霊ビデオが紹介されている。よくぞこれほどの本数を鑑賞したものだ、と感嘆する。『エクソシスト』、『呪怨』など私でも知っている作品から、『ボガス・ウィッチ・プロジェクト』、『モモコ・ワンダーランド/ストレンジ・ハウス』など超マニア向けの作品まで、その触手は縦横無尽である。これほどの本数を見ているからこそ、その評価眼は正確で厳しい。ウソ・ハッタリは容赦なく断罪されるが、そのレベル差にもきちんと注目している。ウソ・ハッタリにも優劣があるのだ。だが小池は、どんな作品であっても「見るな」とは言わない。作品の良し悪しに関わらず全てを包容する姿勢が、オカルト作品の鑑賞には欠かせないのだ。むしろ、駄作のレッテルを貼られた作品こそ見たくなるのが、真のオカルト道というものだろう。本書は極めて秀逸な羅針盤の役割を果たすとともに、全編を通じて、オカルトを愛するとはどういうことかという、その態度のあり方を教えてくれる。
 慧眼なのは、日本の歴史性に対する眼差しである。少々長いが、引用しておく。

彼ら(筆者注:アメリカ人)の心の底には、いつか先住民に復讐されるのではないかという思いがわだかまっている。白人が入植する以前からの何百年という呪いの伝承にリアリティを感じる土壌がアメリカにはあるが、それに匹敵する歴史的なトラウマは日本人にはない。日本ではつい戦前の話すら、おとぎ話になっている。
日本の歴史が長いというのはフィクションである。私たちの生活感覚として、実質的な日本の歴史はせいぜい一九五〇年代以来の半世紀あまりに過ぎない。
小池壮彦『怪奇探偵の調査ファイル 呪いの心霊ビデオ』扶桑社 2002

  ここから20年、オカルトリテラシーは発展したものと私は信じているが、小池の論ずるこの歴史性は、いまだに私たちのオカルトに対するものの見方に大きな影響を及ぼしていると思われる。歴史的リアリティを欠いた国民性の中にしか醸成されない怪談というのもある。

4.おまけ〜眉唾写真の決定版〜

並木伸一郎 監修『最新最驚!! 怪奇報道写真ファイル』竹書房 2012

 最後はおなじみ、安心・安定の竹書房である。おまけに並木伸一郎監修とくれば、外れる心配がない。しかし、最も驚いたのは、他ならぬ私自身で、ここに掲載されている写真のほとんどを見たことがある。私は人生を何に捧げてきたのか……しばし呆然となったが、私が特殊なのではなく、恐らく誰でも知っている、マニア向けでない写真を集めてきたのだと思っておきたい。本書の中には、超古代文明、UMA、UFO、オーパーツなどの新世代「眉唾」写真が200点以上も掲載されており、まさに視覚で感じる現代怪異の総覧である。
 しかし、本当に私は超古代文明が好きだ。「900年前の宇宙飛行士のレリーフ」とか「南アフリカの巨人族」とか「4億年以上前の歯車型機械」とか、もう何百遍も記事を読んだことがあるはずなのに、また真剣に読み直してしまった。未確認生物もまた然りで、「南極のニンゲン」、「北極のヒトガタ」など早く捕獲されたらいいのになどと今でも空想している。
 信じてもらえないかもしれないが、本書によれば、日本での幽霊目撃談はここ五十年で倍増しているという記録があるそうだ。実に国民の10人に1人以上の割合で、幽霊に遭遇していることになる。多分、他国でも事情は変わらないだろう。だから、こういったいわゆる「眉唾」写真の数も増えこそすれ、減るとは到底考えられない。せっかく世にありふれているのだ。楽しまない手はないだろう。
 楽しむコツは、とにかく虚心坦懐に眺めることである。非科学的だから見るに値しないなどという態度は厳に慎まなければならない。そうすれば、彼らは必ず私たちの心に何かを訴えかけてくる。その時、胸の内に去来する感情の中に、きっとあなただけのオカルトを見つけることができるだろう。


 以上、0002 B-sideでした。次回は間奏『雑穢』です。


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