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コロナに踊るステージを奪われたわたしは、 新しいステージを作ることにした。

新しく始めるお弁当事業のことで頭がいっぱいになったのか、
3時間たらずで深夜目がパチーっと覚める。

寝る前まで予約の確認をして、
夢の中では米炊いて、
起きたら起きたで今日の買い出しへの計画を頭で巡らせてる。

そんな中で思い出したことがある。
それは、料理教室を開業する前に新守山アピタの近くにあった
べべのお惣菜というお店で1年近く働いていたときのことだ。

当時、フレンチ惣菜のお店が珍しくて料理のスキルやセンスをあげたい!と
仕込みや製造補助の募集をみて飛びついた。
そのときはまだ料理教室がしたい想いにはたどり着いてなくて、
ただ夫が作る家具と私が作る料理が並んでるお店がやりたいなー、と、ぼんやり思う程度だった。

ただ働きはじめて、目の当たりにした現実。
作っても作っても売れ残ったら捨てられる弁当たち、消費期限が過ぎたら下げてゴミ箱へざっと捨てられるお惣菜たち。
キラキラしたショーケースの裏側には
食品小売業の塩っぱい世界があった。
そのとき思った。
私はこの過酷な世界で生きられるのか?
愛情たっぷりかけて作ったご飯を、
捨てれるのか。
働きながら、カフェも小売も違うと思った。

私が挑戦する分野はここではない。
もっともっと堅実に続けられること。
それが料理教室だった。

料理教室を始めようと思ったきっかけは他にもあるけれど、
このお惣菜屋さんで働いたときの経験は大きな大きなスイッチの一つで、
私の人生に影響を与えてくれた期間といっても言い過ぎではない。

あのお惣菜屋さんで働いたことをキッカケに料理教室の先生という天職に出会えて、8年が経とうとしている。

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スキルなんてなかったけど、
料理教室をやってみたい!そんな想いだけで自宅で料理教室を始めた。
初めてのレッスンは
楽しくて、うれしくて、どぎまぎして 今でも鮮明にあの空気を覚えてる。
私はこのステージでがんばりたい、踊りたい、そんな風に思えたから
それから毎月必ずレッスンを続けてきた。
娘の妊娠出産を除いて毎月だ。
長らく、わたしの居場所はここだった。

まさかそれが、レッスンというステージを奪われるなんて思ってもみなかった。
料理をする場所と、一緒に料理がしたい相手さえいれば
いつでもどこでもレッスンができると思っていたのに、人と集まることが
悪の根源になる事態が誰が想像できようか。

でも8年経って、
わたしはかなり精神的に成長していた。ステージを奪われたなら、新しいステージを自分で作ればいいと。
そこで考えたのが、お弁当屋さんだった。
8年前はやろうと手を出さなかった小売業を、いまわたしは始めようとしている。
原価率や利益率、労働環境、コスト設定。全ての要素において料理教室より圧倒的に頭を使う。壁は高い。
でもステージを奪われたいま、
根底にある気持ちは料理教室をはじめた時とおなじで
やっぱり誰かのために料理がしたい、ただただ誰かの美味しい顔がみたい。
ただそれだけだ。

今できることを最大限に工夫してやろうと思う。

レッスンを再開できる日常が戻るまで、わたしはお弁当屋さんを極める。
そう決めた。

日常が戻るまではおそらく長い時間がかかるだろう。
でも今は心が晴れ晴れしている。
だって、誰かのために料理ができるのだから。
そのステージを作ったのだから。

あとはそこで全力で踊るだけ。
みなさん、ちゃんと見ててくださいね。わたし負けないんで。

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料理教室の先生が作る、お弁当屋さんスタートです🍱


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