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【HONEY SALON 20周年】 代表・千葉雅江さんインタビュー 前編 「私たちの使命は、発明しつづけること」

原宿に生まれ、バッグやポーチ、靴やアクセサリーからウェアに至るまで、ユニークなアイデアにあふれたオリジナルアイテム&セレクトアイテムを展開するHONEY SALONは、長年かわいいもの好きの女の子たちをときめかせてきました。
私もそのひとり。

そんな私がHONEY SALONの代表であり創設者の千葉雅江さんに初めてお会いしたのは、
昨年の冬、ストライプ・インターナショナル展示会でのこと。
「来年、HONEY SALONは20周年なんですよ!」とおっしゃった千葉さんは、立ち話でわくわくするような原宿ストーリーを聞かせてくれました。
ブランド立ち上げという新たなスタートに立った30歳の日のこと。刺激的な原宿ファッション界。好きな音楽や「推し」のこと…。

そして2020年夏、いよいよ20周年を迎えるHONEY SALON。
この節目に、あらためてリモート取材でたっぷりお話を伺いました。

そこには、ものづくりへの情熱とヒント、
そしてかわいいものを愛する女の子たちへのエールがありました。

(聞き手・大石蘭)

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▲HONEY SALONの2020年SUMMER COLLECTION。

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*千葉雅江さん
HONEY SALON代表、創設者。

(株)ダイアナに入社し、DEA/DIA」で靴企画を担当。
その後、バッグ企画会社で国内ライセンスブランド、イタリアメーカー、 中国メーカーのデザインを担当。
独立後、ワールド「インデックス」「エンポリアム」のバッグ、靴企画を経て
1996年 ラフォーレ原宿のインキュベーションサポートにより、 「FOPPISH」を立ち上げ、2000 年 ラフォーレ原宿 3F に「ハニーサロン」をOPENする。

2000年8月、ラフォーレ原宿に最初の店舗をオープン

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▲2000年、ラフォーレ原宿に開店当時のHONEY SALON。

大石蘭(以下、大石):千葉さんは、20年前のオープンから今に至るまで、ずっとHONEY SALONの代表というポジションで活動し続けていらっしゃるんですね!

千葉雅江さん(以下、千葉 さん):はい、いま私は55歳なんですが、HONEY SALONの前身のFOPPISH(フォピッシュ)を立ち上げたのが30歳くらいのときなんです。

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▲ブランド創設当時の千葉雅江さん。圧巻のロングブーツが目をひく。

大石:30歳、今の私と同じだ!なんだかヒントをたくさんいただけそうです。それまでは別の会社に勤めていたんですか?

千葉 さん:最初に入社したのが株式会社ダイアナで、靴の企画の経験を積んで、そのあとバッグの企画会社に移り、独立してフリーランスとしてバッグや靴の企画に関わっていました。
その頃、ラフォーレ原宿で「新原宿宣言委員会」という、新人デザイナーをインキュベートして育てる勉強会があったんです。
そこに飛び込んでみたのが転機でした。
ブランドを始めたい人が100人くらいオーディションを受けて、その中から10人くらい選ばれ、私もそのひとり。
雑貨を作りたいと言って受けたのが私だけだったみたいで、強運です(笑)。
そして1996年、ラフォーレのサポートによって、FOPPISHを立ち上げました。
ラフォーレから貸してもらった同潤会アパートを、家賃タダでアトリエにしていたんです(笑)。
3年くらい経った頃、ラフォーレの社長がやってきて、「俺の立場もわかってくれよ」「気持ちでいいから家賃払え」って言われたので払い始めましたけど(笑)、まともに借りるより全然安かったと思う。
その頃は寝ずに働いてましたね、結婚もしてたのに…(笑)。
我ながら、苦労を苦労とも思ってなくて、イケイケな時代でした。

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▲いちばん右、パンツスタイルの女性が千葉さん。

大石:同潤会アパートって、今の表参道ヒルズですよね!すごい…。
その頃、商品は千葉さんひとりで作られてたんですか?

千葉 さん:ひとりでやってたんですけど、ひとりでやっててつらくなって、編み物できる友達を集め、同潤会アパートでバイトしてもらってましたね。

家に帰らず寝袋で朝まで…とか無茶な働き方してたある日、朝4時くらいにタクシーに乗ってたらそのタクシーが事故に遭っちゃって、むちうちになったんです。
その保険金が入ったので、いい機会だと思って会社を設立しました。
それが有限会社フォピッシュです。
いざ、事が起きると決断は早いんですよね!
くよくよすることもあるんだけど、そのうちお酒飲んだり友達とお話してスカッとしてぜんぶ乗り切ってきちゃいましたね。

大石:文字通り怪我の功名…!
ところでFOPPISHというブランド名にはどんな意味が込められているんですか?

千葉さん:”foppish”には英語で「おしゃれな」みたいな意味なんですが、ネイティブの人はくすっと笑うようなニュアンス…男の人に言う言葉だったみたい。
ロンドンの帽子のデザイナーで、Vivienne Westwoodにも帽子を提供しているスティーブン・ジョーンズという人がいるんですが、その人のことが雑誌で「エレガントでフォピッシュ」というふうに紹介されていたのを見て、彼みたいになりたいな!とひらめいたのがきっかけです。

大石:なるほど、パンクでユニセックスなファッションも、千葉さんのルーツのひとつなんですね。

千葉 さん:なんでもやりましたね。
ヘアスタイルも、アフロとモヒカン以外は全部やりましたよ(笑)!
音楽も好きなジャンルが多様で、パンクもラテンもテクノも、みんな好き!

大石:そのFOPPISHから、今のブランド名のHONEY SALONに変わったわけですね。

千葉 さん:2000年の夏、ラフォーレさんから直営店のお話をいただき、8月26日に最初の店舗がオープンすることになったんです。
ラフォーレ出店が決まり、セレクトショップって形態をとりたい、と思ったときに、FOPPISHの最初のロゴが蜂だったので、「蜂たちが集うサロンだね」ってことで、HONEY SALONって名前にしたんです。
それが、ちょうど20年前ですね。

大石:最初のロゴと今のブランド名がつながるんですね、なるほど…!

千葉 さん:で、FOPPISHからHONEY SALONが生まれたので、その店舗のために、「HONEY SALON by foppish」というブランド名を作ったんですよ。
ただ、お客さんは、「フォピッシュ」って名前、言いづらいというか覚えづらいじゃないですか。
ハニーサロンのほうがキャッチーだったんですよね。
2018年、ストライプ・インターナショナルの傘下に入ったときに今の「HONEY SALON」というブランド名になりました。

世の中の既定路線から外れた、なんじゃこりゃ、みたいなブランドだった

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千葉 さん:ラフォーレに出店した初期の頃のヒット商品は、「たまちゃんバッグ」と呼んでたリバーシブルのバッグや、うちの猫のハナちゃんをモデルにした猫バッグ。

大石:オリジナルアイテムのデザインは、基本的に千葉さんが担当されていたんですか?

千葉 さん:デザインはアイテムで分けてました。
靴とバッグは基本、私。
ウェアとアクセは別の子。
「リメイク部隊」もいました!
ちなみに今のHONEY SALONでは、私の担当は靴のデザインだけですけどね。

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▲オリジナルプリントのバッグ。

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▲オリジナルプリントのポーチ。今に続くHONEY SALON定番の形のひとつ。

千葉 さん:2000年頃からオリジナルプリントの商品も作りはじめました。今見ると、色が派手だったんだな~(笑)。
当時は独断と偏見だけで突き進んでた。私が好きか嫌いか。
日本人には100%受け入れられているって感じはしてなかったんですけど、外国人が来ると狂ったように買い物していってくれましたね。
浮いてるんだろうな、と(笑)。
世の中の既定路線から外れた、なんじゃこりゃ、みたいなブランドだったんだと思います。

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大石:色が今のHONEY SALONとだいぶ違う、パキっとしつつもレトロな色合いですね。

千葉:開店当時のfoppishはレトロなテイストで、「昭和の純喫茶」がテーマだったんです。
あふれんばかりにやりたいことをやってましたね。
靴とか、今だったら1シーズンに2、3足だけど、当時は10足くらい!
メーカーさんが小さいロットでも作ってくれたんです。
シーツやジャケットをリメイクしてバッグを作ったりも。
それは3万くらいで売ってました。

ロックテイストと甘さがミックスしたものを作っていた時代

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大石:私がHONEY SALONの名前を最初に知ったのが2005年以降くらい、『CUTiE』『Zipper』などの青文字系雑誌で見たのがきっかけだと思うのですが、開店当初から雑誌にも取り上げられていたんでしょうか。

千葉 さん:そう、いちばん初期に取り上げてくれた雑誌は、『CUTiE』と『Zipper』でした。青文字系ですね〜。
それから、『ViVi』『JJ』『CLASSY』とか、赤文字系も。
『CanCam』に取り上げられたのをきっかけに、かなり知名度アップしたと思います。
『Sweet』とか『美人百科』とかが強くなってくるのはもう少し後かな。
うちのお店はラフォーレで目立ってたんでしょうね。
インディーズっぽくて、「なんだこれは!」と。

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千葉 さん:5周年の頃、別ラインとして、Pray Hotelというお姉さんブランドを立ち上げました。
当時ヒップホップカルチャーがきていて、ビヨンセがイケイケだったような頃。
Pray Hotelは、神宮前6丁目、CAFE365の裏あたりに、5年くらいありました。

大石:HONEY SALONのあるラフォーレとも近かったんですね!復活してほしい…!
元気になれる感じのショップですね。

千葉 さん:そう、私のポリシーがhappy&enjoyなんです!
私自身がハッピーでエンジョイできてないと、そういう気分にさせるものってできないじゃないですか。

大石:千葉さんらしい素敵なポリシー!それは20年間変わってなさそうですね。

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千葉 さん:この頃HONEY SALONでは、ロックテイストと甘さがミックスしたものを作っていた時代です。
マイケル・ジャクソンがまだ生きてるときに作ったアイテムも、インパクトがすごい!
マイケルの版権が使える、となって、わっしゃわっしゃデザインしました。

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海外にもトランクひとつでアタック! 熱に浮かされたように物作ってたな。

千葉 さん:2000年代半ばは、年に2回海外に行ってたりしたんで、パリやロンドンにトランクひとつで営業に行っていました。

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▲海外営業でのひとコマ、左が千葉さん。

大石:営業ってどんなお店に行っていたんですか?パリやロンドンでHONEY SALONのアイテムが似合うお店、気になります。

千葉 さん:ココントーザイっていう、Misiaの衣装とか、すごい衣装を作っているデザイナーのカップルのセレクトショップがあって、日本でも有名だったんです。
ロンドンには、ココリボンっていうかわいいお店があって…
かわいいお店があったら、トランクがらがら引っ張ってアタック!
英語喋れないけど、私、ツイてるんで(笑)。
コレクションシーズンに行くじゃないですか、そしたらいっぱい日本人の知り合いが行ってるんですよ。
それで、ショッピングしてると、英語喋れる知り合いにばったり会うんですよ。
で、あとでおごるから!って言って、お店に連れてって通訳してもらうの。

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千葉 さん:この頃、HONEY SALONでは「イナズマパンプス」が大ヒットしましたね!
熱に浮かされたように物作ってたな。
なんでこんなの作れたんだろう、って今見ると思います。

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▲中敷にまでこだわりが感じられるイナズマパンプス。

大石:かわいい色づかいとパンチの効いたイナズマのギャップがおしゃれですね〜!
次々と作りたいものを形にしてこられたんだなって感じが伝わってきますが、千葉さんのデザインのインスピレーション源って何だったんですか?

千葉 さん:なんだろう、音楽かなあ?
この当時は、スタッフを早く帰して、夜にえんえん同じCDを聴きながらデザインしてました。
このときはSMAPと安室ちゃんですね。それとヒップホップ。
修行僧みたいにデザインしてました(笑)。
今は体力もたないんでやり方変えてますけど…。

大石:修行僧…!
悩むことはなかったですか?
たとえば、自分で良いと思って作ったものが思うように受け入れられなかったとか…。

千葉 さん:ありますあります!
私、絵描いてるところを人に見られたくなくて、スタッフを帰したあとにじっくり、ああでもないこうでもない、ってデザイン画をひたすら描くんです。
ああでもないこうでもないって、プレーンパンプスにしても一晩で10バージョン描いてみたり。
気が乗るまで描くんですけど、描けば描くほど正解がわかんなくなるじゃないですか。
で、描いた絵を100枚くらい壁にバーって貼って、自分でそれに投票して、10枚くらいに絞り込むんです。
そうして朝スタッフが出勤してくると、徹夜で目の下にクマ作りながら「ねぇどれがいい〜?」って私が質問して、スタッフは困っちゃうっていう(笑)

大石:考えれば考えるほど何が良いかわからなくなってくる、っていうのは、私も絵でも文章でもよくあるんですけど、そういうときってどんなふうに煮詰まった頭を切り替えたり、メンタルを前向きにしたりするんですか?

千葉 さん:けっこう人に聞いちゃいますね!「どれがいい?」って。
でも、答えは自分の中にあるから、結局私がやりたいものを作る形に…(笑)。
でも今のHONEY SALONは、スタッフの意見を尊重して作っていて、私は共同作業だと思っています。
私が主力ではなく先輩としてアドバイスして導くという方向性で、店のスタッフと本社のデザイナーとプレスや販売がチームになって、ひとつのプロジェクトに取り組んでいく、というのが時代に合っていると思うし、生き甲斐を感じるんですよね!

アイデアソースはパリのお店だった

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千葉 さん:その後、HONEY SALONはガーリーになってきましたねぇ。
売り場がラフォーレの中でも3階に移転してるんですよ。
フロアが変わって、インテリアもこの頃からフレンチシックな雰囲気に変えました。
アイデアソースがパリのお店やカフェだったので、内装とかこっそり写真撮ってきて、イメージふくらませてやってたな。
ライトなピンクの壁とか、そういうイメージでととのえていったんですよね。
今にも通じる、パステルのマカロンカラーでガーリーな路線になってきた頃です。
その頃、すっごい大ヒット商品として、牛革のバッグ「ハートレザーボストンバッグ」がありました。

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▲HONEY SALON大ヒット商品のひとつ、「ハートレザーボストンバッグ」、15周年復刻モデル。

千葉 さん:これは、デートでお使いの方が多かったですね。
キャメルとか流行ってた時代あったじゃないですか、女はとにかくキャメルを着てた時代(笑)。
みんなが前髪揃えて巻き髪してコンサバ化してた頃の、時代のニーズにちょうど合ってたんだと思います。
ちなみにハートレザーボストンバッグは15周年のときに1回だけ復刻しましたね。
その辺からお嬢さん系みたいなお客さんが増えていったんですけど、一方で私はロックテイストも好きだったんで、その時代はまだまだミックスな感じではありました。

大石:ありましたね、今とはまた違う「量産型女子大生」とかがモテていた時代!
この頃、雑誌とかのアイコン的存在って誰だったんでしょうか?
どちらかというと、当時のHONEY SALONは赤文字系雑誌っぽいですよね。

千葉 さん:赤文字系と『Sweet』ですよね。
このちょっと後にドラマ「失恋ショコラティエ」で、石原さとみさんがHONEY SALONのアイテムを使ってくれて話題になったこともありました。
モデルさんより、石原さとみさんとか、紗栄子さんとか、「女優系モテキャラ」みたいな感じがアツい時代だったんじゃないですかね。
「石原さとみ軍団」が街にあふれてた!

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▲初期に比べるとかなりパステルカラーが占める印象の、HONEY SALONラフォーレ原宿店。

AKBの時代から、アイドルも新宿ルミネで買い物していくようになった

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▲2009年にオープンしたHONEY SALON新宿ルミネエスト店。

大石:そのちょっと後くらいに、AKB48の子たちがファッションアイコンとしても活躍し始めた時代が来ましたよね。

千葉 さん:そうですね、AKB48で「神7」が現役の頃は、新宿ルミネエストにお店がオープンしていたので、AKBの子たちにもすごく買っていただきました。
昔だったらタレントとかアイドルのみなさんはラフォーレでそういう買い物をしていかれてたんですけど、変わったなと思うのは、AKBの時代から、みんなルミネで買い物していくようになったんですね。
アイドルもちょっと庶民化したんじゃないかな。
ラフォーレって地下駐車場からパッと上がれるじゃないですか。クローズな、一般人と違うのよ、っていう感じだった。
でも、AKBの時代に入ると、ルミネは店舗の数と品揃えがすごかったから、いっぺんに回れるってことで、AKBとかタレントの人も、ルミネをばーっと回って急いで決めていくんです。
そんな目立つところで買うんだ!と思ってました。
ラフォーレは相変わらず、ここでしか買えないものとか、オンリーワンを常々意識されていて、希少価値みたいなところをいつも考えていただいてるので、そこはそこで大好きなところですけどね。
ルミネに出店してから、がっつりガーリー路線になったのは、ここ5年くらいですかね。

「私はこういう系です!」っていうチーム感を表すキーポイントになるアイテム

千葉 さん:そういえば、3.11の震災のときに世の中が「繋がり」とか「絆」って風潮になったじゃないですか。
震災後、HONEY SALONではギフトアイテムが猛烈に売れたんですよ。
繋がりを意識したり、日々の感謝を贈り合う、ってことがすごく流行ったんですね。

大石:へぇ〜!!興味深いです。
アクセサリーとかハンカチとかですか?

千葉 さん:イニシャルポーチが大ヒットしました。
あれを何十個って買って配る人とかもいて。

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▲定番人気のイニシャルポーチ。

大石:いまイニシャルアイテムっていうと推しの名前を入れて、ヲタ活に使うイメージだけど…

千葉 さん:あのときは、推しではなくお友達の名前を入れるって感じでした。
だから、あの頃と今とでは売れるイニシャルが変わってきたんですよ(笑)!
昔は「Y」はそんな上位じゃなかったのに、今は「Y」が上位に来ましたね。男性の名前で多いから。
今は、ジャニーズのアイドルの人気の名前で統計を取ってイニシャルを作ってます。

大石:ちなみに、今の自粛期間中にコロナの影響で売れたアイテムってあるんですか?

千葉 さん:意外と「MY FAVORITE」シリーズがすごく売れましたね。
ライヴに行けないからこそ、推しを感じたいというか。
あと、お出かけしないはずなのに、靴が売れましたね!
私の勝手な分析では、こういう危機的な状況になると靴が売れるんですよ。
震災のあとも、3ヶ月後くらいに爆発的に売れたんです。
本能的に備えちゃうのかもしれませんね。
うちの厚底履いて走って逃げられないけど(笑)。
HONEY SALONの靴は、「私はこういう系です!」っていうチーム感を表すのにキーポイントになるんだなと感じてます。

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▲MY FAVORITE シリーズ。
好きな色や、「推し」のメンバーカラーのアクセサリーを身につけたい女の子に大人気!

大石:HONEY SALONの靴って、ソールだったりストラップだったり、ディテールに主張がありますもんね。
あとアイテムというところでいうと、HONEY SALONといえばかごバッグが印象深いんですよね、私。
シェル型だったり、スイーツ型だったり、かわいいなと思ってずっと見ていて。
かご系ってナチュラルなイメージだったけど、HONEY SALONのかごバッグはポップでディテールも凝っていてほかにないデザインだから、また出たら買いたいなと思ってます。

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▲2014年の商品、マーメイドシェルショルダー。

千葉 さん:ありましたね!!工場もあんな凝ったの作ったことないからすごい嫌がられて(笑)、サンプルも何回も作ってもらって大変でした。
でも話題も呼んで、売れましたね!
模造品も出ちゃって、高いほうのこちらの元ネタは埋もれてしまったのが残念…。
でも、模造品が出るほど欲しいと思われるものが作れたということは、ヒット商品だというバロメーターかなと思うことにしてます。
私たちの使命は、発明し続けることだと思ってます!

大石:最近のアイテムだと、うさ耳シリーズも発明ですよね!

千葉 さん:あれもそうですね!
いちばん最初は、イニシャルポーチの形に耳つけたんですよ。
それがちょうど5年前のイチオシ商品のラパンシリーズでした。
それが意外と根強いファンがいらっしゃいますね。
今は、うさぎもねこも犬もうさぎも、来いや!って感じです(笑)。
個人的には今後は犬がくると思ってます。
コマーシャルに出てくる動物の数でリサーチしてるんですけど、犬、圧倒的に増えてますよ。
前はほとんど全部ねこに取られてましたけど、ここ最近犬が復活してます。
もうちょっとしたら、犬が復権しますよ!

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▲さまざまにディテールを変化させて頻繁に登場する人気のラパンポーチ。

大石:犬!注目して見てみます。

千葉 さん:HONEY SALONはこれだけ変化しているから生き続けてきたんだな、とも思います。
私は同じ環境で何年も、っていうのが絶えられないタイプで、同じ所に住むのもしんどくてよく引っ越ししたりもするから。
5周年くらいのときに、これからどうしようかな、同じことしてても飽きちゃう、と一度悩んだ結果、こうして変わり続けていきました。
過去にこだわらず、振り返ることもしてこなかったから、いまご紹介してて壮大すぎて自分でもびっくりしてる(笑)!
無駄な過去はないって思えたから、これからも明日の扉をバンバン開けまくります!

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【インタビュー後編】では、
HONEY SALON代表・千葉さんが見てきた、女の子ファッションの変遷とこれからについて語り合います。


(写真提供:HONEY SALON/千葉雅江)




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