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弊害がでまくる

現代ではちょっとしたことが切り取られてバズったり炎上したりすることは日常茶飯事だ。
それらの事象について、SNSでたくさんの人の意見を知ることができる。
否定や肯定、その理由。
自分の中にない考えを気軽に知ることができる。
考えの幅が広がるのは素敵だと思う。

でもそれによる弊害もだいぶ大きいと思う。
テレビを見ていて、「面白いなあ」と思いながらも頭の片隅で「でもこういう言動はたぶん引っかかる人がいるだろうなあ」とどうしても考えてしまう。
私の意見はそうでなくとも、私の頭の中に別の人たちが住み着いているのだ。

最近なにを見ても全然純粋に楽しめない。
どうしても頭の片隅にヤツらが潜んでいて、いろんな場面で「こう思う人もいそうだな」「こう言っちゃうとあっちのファンがなあ」と騒ぎ出す。
他者の意見を知ることは大切なことのはずなのに弊害が出てしまっている。

正直戻れるものなら何も知らない頃に戻りたい。
こんなに手軽に知ることができるのは、知りたくなくても知ることができることに他ならないのだ。

この脳内に住み着いた"ヤツら"は一体いつ出ていってくれるのだろうか。
このままここで成長していってしまったら?
私もあちら側に立って他人の言動にあーだこーだ言ってしまうのだろうか。

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