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桃を煮るひと

帯のコピーに惹かれて買った本。やっと昨日読み終えた。最後、くどうれいんさんの実績の紹介のところに、1994年生まれと書いてあった。私とあまり変わらなかった。こんな素敵な文章と感性を持った人が近い年にいることに羨ましさと、悔しさと、素敵だあ!と尊敬する気持ちが湧いた。

どうも他人と自分を比べがちだ。昔からその気はあった気もするが、その割にマイペースだし、次の日にはそんな妬みも忘れて笑っていた気はする。

社会人になり、皆んなスマホで何か見ている時代になっていた。SNSは私の他人を気にする感覚をより鋭くさせ、疲れさせていた。パッとはやはりやめられず、何が悪いかずっと考えていた。まあでも誰しも承認欲求やら自己肯定感が低い時あるよなあ、仕方ない。仕方ない。そういう時期もあると諦めることにした。それぐらいしないと気にしてしまうから。

今年、SNSはやめていないが、今まで友人やらから沢山見られていた(実際見られているかは知らない)アカウントから離れた。驚くほどスッキリした。今は妹と、今でも仲良くしてくれている数人の友人だけが知るアカウントで、この投稿やら気に入ったものやらを記録するためだけのアカウントになった。意外とそれが便利で、写真を漁るより早くあの時のそれが見つかる。こういう使い方も、あるんだなあ。と。まあそれだけでは勿体無いし、文章を書きたかった気持ちもここで晴らそうと、こちらも書いているわけだが、まあ見直すのが面白い。またこの話はゆっくりしたい。

そう、この本の話。
すごく頑張っていた自分を許して、ゆっくりと好きなことを、でも苦労をして前に進む、その様をご飯のいい匂いと共に読める本、という感じで。美味しそう!から、それわかる。わわ、大変な生活を送って今が、今のれいんさんがいるんだ。と少し涙ぐんだり。

最後から2つ目の話かな、楽しい仕事も憧れの仕事も苦労があるよ。みたいな一節があった気がした。憧れの職に転職し、いままた悩みあぐねる私にはダイレクトに刺さる言葉だった。そう、苦労はなんだってある。でも楽しいことだってある。どうしても苦労ばかりに目がいってしまう。もう少し、ゆっくり自分の生活、楽しさを見つめる人間になりたいなと、思った。

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