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リスクを受け入れることと避けること、その狭間の大海原【2011.08 武奈ヶ岳】

大学の新歓時期、鳥取砂丘で行われたパラグライダーサークルの新歓で意気投合した奴がいました。以来10年間も仲良くやっていて、砂丘から始まる友情もあるもんなんやなと、よく笑いながら話をしています。結局2人ともパラグライダーには頼らず、自力で空に近づくべく山登りに出かけていましたとさ。

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武奈ヶ岳は比良山系の主峰で、関西圏ではとても人気のある山です。新快速の駆け抜ける琵琶湖東側とは違い、湖西側は電車の本数も少なく、京都の山科を越えてから先は一転、のどかな景観に変わります。学生の時分、車など持っていなかったため、とにかく青春18切符を使い倒し、電車を降りてからは馬鹿みたいな距離を登山口まで歩いていました。

武奈ヶ岳の登山計画は、元ワンゲル部の友人に丸投げし、私はお気楽モード。山を舐めきった人間が痛い目に遭うのは必然で、結局2回目の登山もあえなく目的地に着くことなく敗退しました。

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今こうして振り返ってみると、原因は腐るほど浮かび上がります。

知り合ったばかりの友人と計画を摺り合わせるコミュニケーション能力・調整能力、地図を読む読図能力、最適なルートを選ぶリサーチ能力と判断力、水分計画・行動計画・時間配分等の計画力、虫や動物に対処できる対応力と知識、天候の変化への適応力、状況に応じて計画を変更できる柔軟性、自然のなかに入る主体性、思いつく限りすべてのものが備わっていませんでした(なんなら生々しい自然に気圧されて楽しくもなかった)。

結果的にはアブにつきまとわれてしまい、山頂まであと1時間のところで逃げ帰りました。意気揚々と麦わら帽子を被って山に向かった私にとっては、それはもう恥ずかしい登山でした。

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リスクを受け入れて前に進み、リスクを負いきれずに後退する。

この2択の間にはものすごく大きな選択肢の海が広がっている、それが正論の奥にある景色。この間を漂うことで、人は挑戦をしたり、失敗をしたりするんだと思います。このゆらぎこそが、点みたいな人生に奥行きと幅を与えてくれているんだと、武奈ヶ岳登山で身に沁みました。

山を下りた後は、近くの温泉に入り、夜には琵琶湖花火大会に行きました。山を下りたとて旅は終わらず、山での失敗は良い味を出してくれ、花火の彩りを際立たせてくれたような、そうでないような。今となっては山の恥も良い思い出であるような、そうでないような。

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