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偶然に支えられた必然によって成り立つこの景色は、一体いつまで残る景色なのだろう【2015.01 金剛山】

卒業論文を提出した勢いそのままに、私は冬の金剛山へと足を運んだ。約2ヶ月間、山は我慢して机に向かっていたこともあり、山への情熱が静かに終え上がっていた。二日酔いのように身体に残るエナジードリンクの余韻を抱えながら、2度目の金剛山に相対した。

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天候は雪。前回同様、石ブテ尾根より入山したが、前回とは異なり、この日はひとり、天候は雪。辺り一面の音を雪が吸音し、不思議な静けさが漂う。雪化粧した倒木も、何かの象徴として意味付をしたくなるような美しさを纏っていた。

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自然というのは、偶然と必然との境が曖昧になったかのような次元の出来事がほとんどだ。すべては科学の必然に則って粛々と起こる出来事であり、そこに意味など存在しない。それは違いないのだが、私たち人間にとっては、科学の必然では説明できないような、必然には収まらない偶然性を自然に感じずにはいられないだろう。

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樹氷に包まれた針葉樹の葉には、人間の調合を越えた青さが宿る。いたって普通の針葉樹林にここまでの美しさが宿り、そこに偶然立ち会えた事実に対して、それは必然の一言では片付けられない偶然性を見いだしたくなるのは、決しておかしな話ではないだろう。

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山頂部に近づくと、金剛山葛木神社の社有林である立派な杉が林立している。社殿を後世に遺すために、標高1,000mの高地で木々を育ててきた歴史が垣間見れる。稜線部の厳しい環境の中で、よくぞここまで育ってくれた。

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森林としても老熟しているので、上層から中層、下層に至るまで様々な樹種が生えており、美しい複層性がみられる。下草の笹が多いこともあり、次世代木となる前生稚樹がどれほどあるのか、それ次第で数十年後に見られる景色は一変してくることだろう。

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樹氷という現象そのものを知らなかった私にとって、今回目の当たりにした自然の光景は衝撃的だった。それはもう美しく、大阪近郊の山でこれだけの自然現象が成立する条件の重なりに、自然の妙を感じずにはいられない。

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しかし、この自然の妙がもたらした樹氷の成立条件の重なりは、一体いつまで成り立つものなのだろうか。樹氷のメカニズムは解明されていても、金剛山で成立する条件の解明はおそらくされておらず、きっと生態系が壊れるそのときまで判明しないのだろう。

私にできることは決して多くはないが、いまあるこの景色を慈しむのでもなく、悲しむのでもなく、ただあるがままに受け止め、ひとつの物語として心にしまっておこうと思う。いつか失われた物語として、せめて誰かに語り継げるように。





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