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人の目の次元、鳥の目の次元【2012.03 金剛山】

引き続き砂丘(何回も登場するので、もう砂丘と略す)と一緒に南アルプスを目指す話。今回はマイナールートより金剛山を目指した。標高1,000mほどの大阪・奈良の県境にある山で、冬期に樹氷が見られることで有名だ。メインルートである千早赤坂道には、ある間隔ごとに人生の訓示みたいなありがたい言葉が書かれた看板とお地蔵様が現れるので、歩いているとなんだか叱られている気分になってくる。

金剛山登山 026

今回は地図読みにテーマを絞ってルートを選んだ。石ぶて尾根という聞いたこともない日本語。ぶてって何やろ。つぶてかな。

南海電鉄の富田林駅からバスに乗り込み、葛城登山口で下車。乗客のほとんどが山登りウェアを身にまとっているという初めての光景。登山ブームも伊達ではないようだ。

葛城登山口、そしてそのひとつ先にある水越峠は金剛葛城山系を目指す山屋にとっては一大登山基地となっている。両山へと繋がる登山道が何本も延びており、各バス停から登山者たちが散り散りに、各々のルートへとばらけていく。当然、石ぶて尾根へと向かうのは私と砂丘の2人のみ。綿密な準備による裏付けが、まだ見ぬ道への恐怖をかき消し、二人の歩みを軽やかにしてくれる。地図という道具の絶大さ、鳥の目線であり、神様の目線でみる世界。

金剛山登山 020

アボリジニのドリーミング然り、長年人類が積み重ねてきたナビゲーション能力というのは、人の目による主観的な地理認識だった。神話と地形が一体となった彼らの世界観の芳醇さ、それは地図という鳥の目の概念では捉えきれない動態的な地理感覚といえる。

対して地図が培ってきたのは、あくまでも客観性の追求だ。社会的事情により、地名表記がゆがめられたり、境界線が変わったり、あるいは地形そのものが空白地帯となることはあれど、地図の本質はまだ見えない地理に関する具体的な情報を表すこと。現実を2次元的情報に落とし込んだその様は、神様の設計図とはこういうものだったんじゃないかと思わせるような美しさを纏っている。人類の技術の賜。

私たちは地図のおかげで、行ったことのない場所の姿を想像し、計画を立てることができる。山の全容を頭に入れながら、自らの立つその場所を鳥の目で想像してみる。森を見て木も見る、そんな登山をする。地図に物語を重ね、自分だけのドリーミングを編み込んでいくのも良いだろう。

民族的地理感と地図的地理感、主観と客観、人の目と鳥の目・・・。

持てるものすべてをもって自然と向き合いたい、そう思った。

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