『楽』と向き合う
お疲れ様です。
本日は楽(らく)について、とことん追求していきたいと思います。
✅この記事の理由と目的
ふと、思ったんです。
『楽をするってどういう事なんだろうか?』って。
楽をするって場合によっては聞こえ悪くないですか?
なんかこう、みんなが忙しい中一人だけあぐらかいて座ってるみたいな。
そんな印象ありませんか?私はあります。
でも、私自身楽をしたい人間で楽をする事は悪い事ではないと思っています。
しかし、そこで終わるとただの自己主張。
だから本日は『楽』という事に真正面から向き合いたいと思います。
この記事の目的は
『楽』を学び、理解を深める事。
だから、答えをストレートに伝える事が目的ではありません。長くなります!
それでは始めていきます。
✅『楽』の意味
らく【楽】 の解説
1 心身に苦痛などがなく、快く安らかなこと。また、そのさま。「気が―になる」「―な姿勢」「どうぞお―に」
2 生計が豊かなこと。また、そのさま。「不動産収入で―な暮らしをする」
3 たやすいこと。簡単なこと。また、そのさま。「―な計算問題」「―に勝てる相手」
※goo国語辞書参照
以上が、楽の解説です。
1、心身に苦痛などがなく、快く安らかなこと
→できれば常にそうありたいです。
2、生計が豊かなこと。また、そのさま
→できれば常にそうありたいです。
3、たやすいこと。簡単なこと。また、そのさま。
→ここはなんかホワッとしている気がする。
ちなみに楽の感じの成り立ちは『どんぐりをつけた楽器』の象徴だそうです。
ほぇ~って感じですね。
✅『楽をする』の負のイメージはどこから?
冒頭述べたように、
『楽をする』ってマイナスイメージも絶対にありますよね?
「楽すんなよ!!!!」
って言われるシーンを誰でも1度は目にしているし、使っている人も多いと思います。
しかし、『楽』の解説を見て分かる通りとても負のイメージを感じるような内容ではありません。
『楽』の解説を見ても負のイメージの原因にはたどり着けません。
であれば『楽』の対義語である『苦』を調べてみよう。
✅『苦』の意味
く【苦】の解説
1 心身につらく感じること。くるしみ。苦労。「苦あれば楽あり」「生活苦」
2 仏教における基本理念の一。煩悩 (ぼんのう) や悪い行為などの報いとして受ける心身の苦しみ。→八苦 (はっく)
※goo国語辞書参照
以上が、苦の解説です。
まぁ大方みなさんがイメージしている通りの意味ですね。
✅「楽をするな」は「苦しめ」って事?
体育会系の部活やっていたら絶対に言われるこの一言。
「楽をするな!」
これはつまり、
「苦しめ!」
という事なのか?
これらをそれぞれの言葉の解説に変換すると、、、
楽をするな→「心身に苦痛などがなく、快く安らかなであるな!」
苦しめ→「心身につらく感じろ!」
なにこれ怖い。パワハラじゃないすか・・・・・・笑
私も部活やっていた時によく監督に「楽すんなや!」とよく言われていましたが、流石にそういった思いで言っている訳ではないと思います。
ん~難しい。
でもここの違和感になにかヒントがある気がする・・・・
監督の言いたかった事は
「苦を経て楽になれ」
こういった意味だったと思う。
部活の練習であれば、体力・技術をつける為に過酷な練習をする。
強靭な肉体を手にする為には相応のトレーニングが必要なのだから。
『楽をする』の根底に少しずつ、少しずつだが近づいてきている気がする。
あと少しだ。
「苦を経て楽になれ」
この考え方。なにかに似ているような・・・
✅仏陀(ブッダ)
もう1つ『苦』を語る上で避けては通れない人がいますね。
仏陀(ブッダ)です。
人生とは「苦」を背負って生きていく道
人生とは「苦」を背負って生きていく道であるそこでブッダが語ったのは、この人生は「苦」だということだったわけです。
なぜ苦なのかといえば、
人は生まれた瞬間から死に向かって一歩一歩、歩いていく存在であり、どんな希望を持とうが人間の命は儚いものであるからです。
しかも人は老いて、病気をします。
そういう人生とは「苦」を背負って生きていく道である、と考えたんです。
人生の苦の内容を解いてみると、一寸先がどうなるかわからないという未来への不安の苦しみがあり、それから万事自分の思うようにならないという不満の悩みがあります。
この二つが合わさって「苦」の原因になっていると思うのです。
そして、この二つとも自分が中心にあります。
だからブッダは「苦」というものをどこまでも自分の問題として考えていました。
『苦』を切り分けた”四苦八苦”という言葉を考える程です。
それほどまで苦と向き合い悟りを開いたのがブッタなのです。
✅苦行の末たどり着いた悟り
ブッタはみずからの心身をとことんいじめ抜く「苦行」を何年も行いました。
そして命をかけてのぞんだ苦行から得た答えは、苦行をやめるでした。
その後、菩提樹の下に座り、心を静めて瞑想をはじめ悟りを開いたんですね。(大分端折ってます)
仏教の開祖であるブッダの悟りとはやすらぎの境地です。
ブッタは悟りを開くために苦行を行い、苦行では悟りを開けない事を知り、瞑想の上、悟りを開いたのです。
✅『楽をするな』とは
大分長くなりましが、
監督が私に言い放った「楽をするな」つまり「苦を経て楽になれ」
この意味と
仏陀の『苦行』の末、得た『悟り』
この2つには近い物を感じる。
つまり『楽をするな』の言葉の裏には
【楽を手にする為に必要な道から外れるな】
こういった意味合いがあると私は解釈しました。
つまり、楽という行為自体を否定している訳では無いんですね。
大分理解が深まってきました。
✅楽をするではなく、楽にする
つまり、この一連の深掘りをまとめていくと、
『楽をする』という事に対しての負のイメージは『苦行から逃げるな』という思いであり、
その『苦行』から手にするものは『楽』である。(仏陀でいう『悟り』)
そのことから、『楽』という事は過程の末に得るものであるという事が理解できる。
つまり、楽をするでは無くて、
楽にする、もしくは楽にしていくといった表現が正しいのではないでしょうか。
楽という物は最初から与え備わっている物ではない。
苦行などといった、過程の上に得る物である。
これが私なりに学び、深掘りした上で出した1つの答えです。
いかがでしょうか?
すごーく遠回りかもしれませんが、このように深掘りして理解を深める事で新しい気付きや発見がありました。
※仏陀の話は色々諸説があるのでなんとなくで受け止めてくれたら幸いです。
本日は以上でーす。
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