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心が震える瞬間を

介護の仕事をしている。
私が介護の仕事をすることになったのは、祖母がきっかけだった。東京で大学生をしていた私が信州に移住したくなり、別にやりたいことがあったのだけど一旦諦めることになり、祖母が入居していた介護施設(の系列のグループホーム)で働かせてもらうことになったのだった。

最初に働いたのは小規模のグループホームで、お年寄りといっしょに料理をしたり畑をしたり、それはそれは楽しかった。

「もう年だし何もできない」みたいなことを言っていたおばあちゃんが、慣れない手つきの私を見て「ちょっと見とけ」と言わんばかりにイキイキと包丁や鍬を使い出す瞬間が好きだった。

若い頃の思い出話しかしないおばあちゃんが、施設の窓から花火を見たことをちゃんと覚えていて、「あれはきれいだった」と何度も話してくれてうれしかった。

いつもぼんやりしているおじいちゃんが、自分で事業をしていたときに仲間に裏切られた話だけは感情的に語る姿に感動した。
この人にも、情熱を傾けて仕事をしていた時期があったのだ。

認知症だが身体は元気な人がほとんどだったグループホームと違い、今の職場は介護度が高い人も多く、人数も多い。人手不足もあり、排泄や食事などの介助だけで手一杯で、一人一人と関わる時間は正直かなり少ない。「寝て、ご飯を食べるだけ」の生活をさせてしまっている現状を、心苦しく思っている。

でも。

ほとんど発話がなく目もあまり合わない。と思っていたおじいちゃんが、ふと「あなたは本当によくやっている」と目を見て話してくれたり

認知症で1分前のことも忘れてしまうおばあちゃんが、私の顔を見て「ああ、あなたね」と笑顔になったり

そんな瞬間がある。

心に触れる、心が通う瞬間。
生きているのだ。ちゃんと、生きている。

結婚をきっかけに介護の仕事を辞め、主にライターとして働いてきたけれど、ずっと「いつかまた介護の仕事がしたい」と思っていた。この仕事の何がそんなに魅力的だったのか言語化できないでいたけれど、8年ぶりにまた介護の仕事に携わって、わかった気がする。

身体は動かず、ご飯も自力で食べられない。目は見えにくく、耳は聞こえにくく。見えても聞こえても理解できないことが増えていく。そんな高齢者を見て、「身体だけ生きててもしょうがない」と思う人もいるかもしれない。

でも、身体だけじゃない。心も生きている。

命を感じる瞬間に、心が震える。

その一瞬の喜びに、すっかりハマってしまった。しんどいことも多いけれど、身体を壊さない限りはこの仕事を続けるだろうなと思う。


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