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「御油 旅人留女」−強引な客引きは…ダメだけど、見逃してやる、、!?−『東海道五十三次』

昨日少し体重が減っていて、「やったぜ!!!!」と思っていたのに特盛のインドカレーを食べたので1キロ増しておりました。

「でも幸せならOKです!泣」

今日からまた減らすぞ、、。目標のマイナス4キロまで程遠いけれど美味しいものをいっぱい食べる日がないとやってられないですね。

そんな美味しかったインドカレーをまた食べたいと思い、もう1キロ増が見込まれる今日も広重。今回は『東海道五十三次』「御油 旅人留女」です。

◼️ファーストインプレッション

久々に人間に間近に寄ってそこでの掛け合いを見ることができます。
旅人がこの道を通ると、留女という客引きが「うちの店に寄っていきなさいよ」と言わんばかりに旅人を強引に勧誘しているのでしょう。
それを見て慌てずに「またやっているよ」という冷めた目で眺める女性、窓枠から頬杖をついて眺める女性、我関せず草履を脱いで座っている男性などがいるなかなかカオスな状況ですね。
今でいう歓楽街的な役割がある場所なのでしょうか、こんなに強引な客引きが描かれるなんて珍しいですね。
それにしてもこの留女たちの集団から後ろの背景はとても閑静な街道というイメージを持たせ、夕暮れ時の不安になるくらいの静けさを持っています。

この集団を引き立てるための効果だとしても静かですね。

遠近法がしっかり活用され、右に曲がるように街道が続いていることがわかります。
少し暗くなっている街道の奥からまた新たにこの客引きの犠牲になる旅人が現れてくるかもしれません。

今回はこの御油の場所と、留女について文献を参照して見ていきたいと思います。

◼️御油

こうして宿場町の中を描いた作品もかなり久々ですね。
藤枝以来かな。なので13作品ぶりとか。

上の方にある赤ピンの「御油追分」とあるところを仮に御油宿とすると、前回の吉田からは少し距離のある宿場ですね。
前回の吉田はGoogleの文字の近くの豊橋公園あたりなのでそこからだと10キロ近くありそう。

なぜ次の宿場である赤坂まで2、3キロと目と鼻の先であるのでしょうか。
御油赤坂の役割がしっかりあることがこちらの辞書に記されています。

慶長六年(一六〇一)徳川氏が東海道の駅制確立にあたって各宿駅に下した伝馬朱印状のうち、御油宿のもの(御油区有文書)には「赤坂」「五位」と併記されている。同年と思われる五井庄屋・宿中宛伊奈忠次の定書(御油区有)によると、下り伝馬は藤川ふじかわ(現岡崎市)の馬を御油まで通し、上り伝馬は吉田よしだの馬を赤坂まで通すとあり、御油宿と赤坂宿との役割分担を定めている。なお大田南畝の享和元年(一八〇一)の紀行文「改元紀行」に「御油より赤坂までは十六町にして一宿のごとし。宿に遊女多し。同じ宿なれど御油は鄙しく赤坂はよろし」などとある。

日本歴史地名大系

下り伝馬は藤川ふじかわ(現岡崎市)の馬を御油まで通し、上り伝馬は吉田よしだの馬を赤坂まで通すとあり、御油宿と赤坂宿との役割分担を定めている。
とある箇所がまさにそうで、上下どちらからきた馬かによってどちらの宿場にいるのかが決まる、といったところでしょう。

しかもその後の大田南畝の紀行文に
「御油より赤坂までは十六町にして一宿のごとし。宿に遊女多し。同じ宿なれど御油は鄙しく赤坂はよろし」
御油の遊女は鄙びしいということでまさに絵のように卑しくガメツい性質を持っているということらしです。
対して赤坂はよろしと評価されている。

役割分担を決めている両宿場でもこんなに性質が違うものなのですね。

◼️留女

留女について、度々登場するこちらの本を参照してみたいと思います。

安藤優一郎氏『江戸の旅行の裏事情』です。
こちらの53ページからを参照すると、このような留女がいる旅籠屋では頼みもしない酒肴を出してきたり、飯盛女を呼ぶように勧めたり、留女自身が自ら売春行為に至ったりといった平穏な休息を求めた旅人には迷惑極まりない接客が続くのだそう。

このような状況を受けて協定旅館制度ができたみたいです。
浪速組と言って飯盛女のいる旅籠屋が行商人や旅人に対して迷惑な行為をしないように立ち上がった組織だそう。
迷惑な行為をしないと約束をした旅籠屋を浪速組に加盟させて、その印を看板に掛けることができたのです。
こうして安全安心な宿場ライフが送れるかと思いきや、やはりその枠から外れて強引な客引きをする旅籠屋は根絶できなかったそう。

旅籠屋が生き残るには強引にも客を引き入れないといけないので不文律として目を瞑っていたこともあったのでしょう。

今回の絵で描かれる留女たちがどこの旅籠屋の者なのかははっきりしませんが、このあたりではこうした客引きが横行していそうではありますね。

画面右の女性が顔を出している店でもやっているのでしょうか。

現代の客引きも繁華街ではよくアナウンスされていますが、当時もなかなか強引で直接服を引き連れ込んでいくような光景があったのですね。

今日はここまで!
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