「外桜田柳の井」−本当にあったのは写真で確信−『江戸名所道戯尽』
なんだかついてないなと思いつつ、家にかわいい犬が待っているので彼らに会うことだけが楽しみで家に帰っています。
あと寝る前のアマプラ。
そんな些細な楽しみの中で生きている今日も広景。今回は『江戸名所道戯尽』の「四十四 外桜田柳の井」です。
◼️ファーストインプレッション
柳の井戸は以前江戸百を見た時に触れましたね。
由来は、、忘れましった、、。ので再度ちょいと触れたいと思います。
この3人は井戸で水を汲もうとしていたところ、突然水面に鬼の顔が浮かんできたのですね。
この現象は何かの伝説のオマージュかと思いきや、至極当然の現象。
柳の枝に引っかかったタコの絵柄がそのまま水面に映し出されているだけでした。
しかしそれにも気づかずに素直に驚いている3人の表情が素晴らしくドラマティック。
右の人は初期のちびまる子ちゃんに出てきそうな表情。
ひょうきんな驚き顔。
全員の足が浮いていて、焦ってしょうがない様子が伺えます。
このような”まるで”怪異現象も言い伝えになっていると考えると、日本には一体どれだけの”本物の”怪異があったのでしょうね。
◼️柳の井
先ほど言及したこの絵のモチーフである柳の井は、こちらのページに詳しく書かれています。
名水だったためにこのように汲みにくる人々がたくさんいたのでしょうね。
今、井戸から出る水が「名水」という感覚を覚えるのは難しいので想像し難いし、それをたくさんの人で共有しているとなると、衛生的にも「名水」だったのかは懐疑的になってしまいますね。
この柳の井という名前は井戸の近くに植えられていた木の名前からとったということで、この枝垂れた木も柳。
怪異を描いた浮世絵はたくさんありますね。
歌川国芳はそれが非常に得意で、たくさんの妖怪や奇妙な生き物とその様子を描いています。
しかしそれは本当に怪奇なものであって、今回はただのおっちょこちょい現象。
、、とはいえ、そんなピンポイントな絵を見つけ出すことがなかなかできずに30分苦戦しています。
柳の井についてもう少し詳しく調べてみましょう。
こちらの記事の中に柳の井がどうして現在名所となっていないかを見ることができます。
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/10752461
この罹災というものの対象は関東大震災。
関東大震災が起こったことでこの井戸としての役割がなくなってしまったのですね。
そこでこれまで文化財だったけれどもそこから外れてしまったのですね。
金井紫雲編の芸術資料. 第一期 第四期にこのような記載が。
江戸名所図会に記載があるのですね。
確かに広景の絵でも残っている通り、江戸時代当時は正方形の井戸という認識であるようです。
しかしこの文献が昭和11のもので、オートバイというものさえ景観に含まれているようなので現在に近い感覚で見ているということですね。
こちらには写真付き。
東京市公園課による東京市史蹟名勝天然紀念物写真帖. 第二輯です。
この作品は大正12年のものですので1923年。
広景の描いたこの作品よりも60年ほど過ぎていますね。
真ん中の本文には「井戸の傍に柳樹ありしより名つけられしもので、鹿島の清水とも云はれしものであるが、今は其井戸潰れて碑石のみ存して居る」と書かれていますね。
やはり関東大震災で使えなくなってしまったことが最後の記録とされているのですね。
柳の井戸が本当に江戸時代に存在していて、それがしっかり名水だったことさえも現実味が生まれましたね。
今日はここまで!
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