土曜日午後、私は郊外に向かう電車に乗っていた。 車内は、ほどよく緩んで、世間話に興じる女性連れ、大きく足を組んでうたたねをしている若い男、親密さを隠そうともしない若い男女などでさんざめいていた。 平日は、仕事帰りの通勤電車で居眠りするのが私の日課。時間にして、停車駅3つ分の爆睡で、緊張し疲れた脳みそが生き返りすっきりとするのだ。 今日は休日とあって、私はひとり、シネマコンプレックスに行ってきた。座席に座り映画のパンフレットを開き余韻に浸る。映画を観に行くことが私の唯
いくつかの駅を過ぎると、乗客がまばらになってきた。西日の当らない通路の向こう側の座席が空いたので、私はそちらの席に移った。 隣には、ちょうど両親と同じ世代と思しき、品のいい老夫婦が座っていた。私のすぐ横には、ベリーショートのグレーヘアーのお婆さん。重ねた白い手は皴ばんではいたがシミもなく、両の指には色のついた石の指輪がバランスよく三つ光っている。膝の上に乗っているのは、誰もが知る有名なブランド物のハンドバッグ。 その向こう側に座るお爺さんは、足の間に立てたステッキに
――駅前通りの猫カフェ「みゃおはうす」が経営破たんし、猫たちが置き去りにされているとの情報が入りました。明後日の朝九時から保護活動を開始します。皆さん、現地に集合願います―― みゃおはうす? 地域猫メンバーのメールリンクの緊急連絡に私は驚いた。「みゃおはうす」って、マリンを貰うまでの間、数回通っていたあの猫カフェのことだ。 レオンは大丈夫だろうか? 保護の当日、私たちは、外観が寂れ看板の文字が雨水の筋で汚れた「みゃおはうす」の前に立っていた。 いつか感じ
院長先生が、ごまちゃんにワクチン接種をしながら言った。 「麻紀さん、この前は大変だったそうですね。茜から、偏屈な爺さんに絡まれたって聞きましたよ」 「ええ、そうなんです。でもなんか、おじいさんの言うことにも一理あるなって思ったら、私、あんまり強く言い返せなくて。実際引き取って飼うのも、限界がありますし」 「麻紀さんには、ごまちゃんのあとにも、2匹貰っていただいたしね」 そうなのだ。私はごまちゃんを譲り受けた後、ファニー動物病院の縁で新たに2匹の猫を迎えて、今では4匹の猫
マリンは四歳、お友だち猫のごまちゃんは一歳となって、2匹の猫はいかにも猫らしく、付かず離れずの微妙な距離を持って、私たちの暮らしの大切な一部となっていた。 私は、そんな猫らとの暮らしぶりを、久しぶりに添田さんに近況報告をしようと思い立った。 彼女のメールアドレスに、マリンとごまちゃんのツーショット写真を添付して送信した。と、メールが瞬時に戻ってきてしまった。添田さん、アドレスを変更したのだろうか。 そうだ。彼女は確かブログを開設していたはず。そこにコメントを入れよ
――大変お待たせしました。「なつ」は随分と大きくなりました。これで安心して柚原様にお渡しできると思います―― 良かったと思うと同じく、若干の不安をどこかに抱えたまま、私は新しい命を迎える覚悟を新たにした。譲り受けるのはぬいぐるみではなく、抱けば自分と同じように体温を持つ生き物だと。 いよいよ、添田さんと譲渡について具体的な段取りに入った。偶然にも、彼女は隣の町にお住まいだった。 ――お隣の町ですし、私の方から添田さんのお宅へ伺おうと思いますが―― ――いいえ、こちら
彼女のハンドルネームは、確か……、月の……、なんだっけ。月の光? 月の影? そう、「月の雫」さんだ。 私は検索エンジンで、「ブログ月の雫」と入力した。すると、同じハンドルネームの人が何人もいるらしく、お目当ての月の雫さんは、危うく見逃しそうになるほど後ろの方に表示されていた。 そう、この人に違いない。 月の雫さんは、私の愛猫マリンの元親だ。私は、彼女からマリンを譲り受けた里親ということになる。 老猫を看取ってから3年ほど経っていた。私は、長いペットロスからようやく
「公ちゃん。そろそろ起きないと」 ドアの向こうで、母が呼んでいる。 「わかってる。ちゃんと起きてるよ」 公一は苦笑した。全く相変わらずの子ども扱いだ。公一はベッドから起き上がるとカーテンを開けた。 暖かな春の日差しが、自分がまだ高校生だった頃のままの部屋に差し込んでいる。この部屋に、この家に帰ってきて一カ月が経っていた。 15年ぶりの実家暮らしだ。 ダイニングに行くと、母が朝食を整えて待っていた。 「コーヒーと紅茶、オレンジとヨーグルト、どっちがいい?」 「コ
愛猫リボンが14歳8ヶ月で亡くなった。リボンは、インターネットの里親募集サイトの、数多の犬猫の写真の中から私が見初めた雌の保護猫だ。 亡くなる前年の暮れ、喘息のような咳をしていたので動物病院に連れて行った。一旦は快方に向かっていたが七草がゆの頃、呼びかけに応える声が弱々しくなりご飯も食べなくなったので再び受診、エコーとレントゲン検査の結果、胸に水が溜まっていて肺を圧迫していることがわかったのだった。 これでは呼吸が苦しいのは当然と、水を抜きステロイドの薬剤を打って
「静江さん、お昼ご飯いかがでしたか?」 「ごちそうさま、ありがとう」 「今日は、静江さんのお好きな物ばかりでしたね」 静江さんは、小さな白い頭を何回も下げる。 「ロビーに行かれますか? 午後から手品ショーがあるんですって」 そうねと、静江さんはゆっくり立ち上がって歩き出す。美那はロビーまで付き添った。 もうひとり、食事を終えた貞市さんを和室に案内する。貞市さんは新聞を読んだりお昼寝したりと、いつも静かに時間を過ごしているおじいちゃんだ。施設で新聞に目を通すのは貞市さん
ATMの挿入口から吐き出された通帳を開く。 残高五十四万三千四百五十二円。ヤバい。失業保険とお見舞金でなんとか食い繋いできたが、ちびちびと引き出すうちに、貯金もかなり減ってしまった。 待ったなしで支払わなければならないのは家賃だ。コロナを患ったためか、医者通いが以前に比べて多くて医療費も思いのほか嵩む。当然、節約に勤しむ。とりあえず水道光熱費の類は無駄をなくすこと。携帯電話は格安スマホに替えた。食品は夕方七時頃スーパーに行って、割引シールの張られた物を買う。
「いやもう、このコロナ禍で業績が芳しくなくってね」 美那が聞きもしないのに、課長は開口一番そう言った。彼が話す度、ウレタンマスクがもごもごと動いて鼻が現れる。 私物を会社に取りに行ったついでに、お見舞金十万円と未消化の有給換算三万六千円が手渡された。課長が精いっぱいやらせてもらうと言っていた答えがこれだ。 案の定、退職金は出なかった。一年ごとの契約社員には一円もないのだ。改めて示された契約書にそう書かれていた。十万円の見舞金は、事業主の都合による退職ではなく自己都
ワンルームの部屋中にゴミが散らかっていた。あちらにもこちらにも自身が撒き散らしたウイルスが付着している気がし、散らかった紙皿やティッシュやカップ麺の空容器など拾い集めゴミ袋に入れた。 次の朝、まだ夜も明けきらない薄暗い中を、美那は辺りを見回しこっそりと部屋を出た。 袋を両手に下げゴミ集積場に持っていく。コンテナの蓋を、音をたてないよう用心深く開けて袋を入れる。外階段を上がり部屋のドアの前に戻ったとき、美那は小さく悲鳴を上げた。 『コロナ バラマクナ!』 手書きで
はじまりは、味覚の変化だった。 日曜日の朝。コーヒーカップに口を付けたとき香りがなかった。バタートーストは味のない高野豆腐を噛んでいるようだったし、口に入れたサラダはジャリジャリするだけで、咀嚼し飲み込むとドレッシングの油がただぬるりと口の中に残った。その後じわりと熱がでて、三八度四分まで上がるのに一時間とかからなかった。 まずい……、新型コロナ? なぜどうして? どうしよう、どうなるの? 美那の頭の中で思考が巡る。とりあえず解熱剤を飲んだ。冷凍庫からアイスノンを出
土曜日の遅い午後の「せとでん」。私は、始発駅「尾張瀬戸」で乗車した。終点の「栄町」まで36分で完結する何処にも繋がらない単独の路線。 電車の窓に西日が強く差し込んでいる。 今日は、栄のオアシス21で友人と落ち合い、ぶらぶらと冷やかしにショップを覗いた後、居酒屋へとなだれ込む予定だ。 週末とあって、車内は買い物帰りの女性連れや、若いカップル、部活帰りの高校生などなど、さんざめく声で車内がほどよく緩んでいる。 それにしても暑い。扇子を取り出してパタパタ
これはもう、ほとんど修行? いや、先月の健康診断で貧血と分かってからは、修行はもはや苦行となっている。 そう自分に言い聞かせないと、AM8時48分名鉄瀬戸線「東大手」駅のこの階段を最後まで上がっていけない。 満員の通勤電車の人いきれからようやく解放され、ほっとする間もなく、次に待ちうけるのは地上までの長い階段。清水橋のお堀の下に「せとでん」が深く潜っていく地の底の湿ったホーム。エスカレーターもエレベーターもない。 何人も平等に、自力で地上に這い上がるしかないのだ