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拝啓「月の雫さん」にご報告

 愛猫リボンが14歳8ヶ月で亡くなった。リボンは、インターネットの里親募集サイトの、数多の犬猫の写真の中から私が見初めた雌の保護猫だ。

 亡くなる前年の暮れ、喘息のような咳をしていたので動物病院に連れて行った。一旦は快方に向かっていたが七草がゆの頃、呼びかけに応える声が弱々しくなりご飯も食べなくなったので再び受診、エコーとレントゲン検査の結果、胸に水が溜まっていて肺を圧迫していることがわかったのだった。
 
 これでは呼吸が苦しいのは当然と、水を抜きステロイドの薬剤を打ってもらう。胸に溜まった水は200㏄。これで収まればいいのですがとの説明を受け、翌日の診察の予約をして帰宅した。
 肺を圧迫していたものが無くなったリボンは、帰宅してしばらくするとご飯を食べ水をたくさん飲み(ステロイド剤の影響とのこと)いつものように私や夫に甘えるのだった。

 ああ、よかったと思うと同時に、この仔を貰い受ける前に元親から告げられたあることを思い出した。

「虚弱体質ですがよろしいですか?」

 譲渡に向けて連絡を取り合う元親から、引き渡し日程の延期お願いのメールでそう確認されたことだ。
 あの時、既に情が移っていた私は「では、この仔はやめます」とは言えなかった。ごまんとアップされている写真の中から、私が選んだ命だった。
 一緒に写真に写っていた「リボン」ではなかった猫らは、やさしい里親と巡り会えたのだろうか?最後まで選ばれなかった命は、いったいどうなったのだろうか……。
 そう想いを巡らすたび、リボンとの出会いは奇跡で必然だったとも思う。

 案の定、元親の言うとおり、我が家に来てからもリボンの食は細く吐き戻す回数も多かった。いつまで経っても痩せっぽちな猫ではあったが、年1回のワクチン接種とその際の健康診断もなんら問題なく大病もせずに過ごせていた。
 けれど、たぶん長生きはできないだろうと、家族みんながそう感じてもいた。

 それは体質だけではない。中に「人」が入っているのではないかと思うほど、リボンは賢く好奇心旺盛で大胆、そのくせ気難しく繊細な猫だったからだ。何事かもの言いたげに、首を少し傾げて私を見つめる姿が今でも蘇る。  
 来客があると、もう一匹の雌猫ココと一緒に、一旦はピアノの陰に隠れるのだが、しばらくするとそろそろと出てきて興味を示し近づいて客に擦り寄り、ついには様子をみて膝に乗る。来客が帰っても、なお用心深く隠れているココとは大違いなのだった。

 いつだったか息子から、私の帰宅時間が近づくと、道の見える窓枠に必ず座って外を眺めて、お母さんが帰ってくるのを待っているよと教えられた。  
 そういえばそう、私が仕事から帰ってドアを開けると、リボンは必ず玄関まで走って出迎えてくれるのだった。私の前を待っていたよと言わんばかりに小走りに走って行き、居間でごろりと横たわると白い腹を見せ、早く撫でろと激しく催促するのだ。
 飼い主の私に対する哀れなほど強い思慕に、正直辟易とすることもあるのだった。

 初めて水を抜いた翌日、エコー検査のモニターを見つめていた私は愕然とした。黒い影が肺や心臓を圧迫しているのだった。先生から、この先も小さな胸の中に水が溜まり続けると告げられた。
 「どうしましょうね……」と、何度も呟くような先生の問いに、私はもう長くは生きられないのだと悟り「この仔が少しでも楽にいられるように」と伝えたのだった。 

 その後は二日に一度通院し、ステロイド注射と水を抜く対処療法で凌いでいた。が、日ごとに体は弱っていくばかり、食べることも飲むことも満足にできなくなり体重は減るばかりで、その日が近いことを家族の誰もが感じ、それぞれに覚悟していた。

 亡くなる前の晩、リボンは私の布団に潜り込んできた。抱きしめた小さな体からかすかに尿の臭いがし、元気な頃は一度も粗相などしなかったのにと哀れで涙が溢れた。かなり弱っていて、名前を呼ぶと口を開き応えようとするが既に声が出ない状態になっていた。

 次の朝、予約の時間に間に合うように、横たわっているリボンをキャリーに入れた。いつもはおとなしく入るのに、その朝は違った。
 苦しいのに動きたくなかったのだろう。クリニックに向かうまでの10分ほどの間、キャリーの中で苦しそうに激しくもがくので、ハンドルを握る夫に一刻も早くと急かした。
 もはや断末魔が小さな体を襲っていた。私はキャリーを掻き抱いて、リボンの名を何度も呼んだ。

 クリニックに到着し、死んじゃったかもしれないと訴えるとすぐに奥へ連れて行かれた。
 私は待合室で呆然としていた。こんなに早く突然に……、涙が溢れて止まらなかった。

 しばらくして中に呼ばれていくと、リボンは心臓マッサージを受けていた。「擦ってあげてください」と促されたので、私は名前を呼びながら、まだ温もりの残るその体を擦った。数分ののち、呼気からCO2の排出が無くなったことを、モニターの画面で示され、先生から命の灯が消えたことを告げられた。手厚い治療の甲斐もなく、リボンは虹の橋を渡っていってしまったのだった。
 身体を清拭してもらい箱の中に横たわったリボンに、一輪の花が添えられていた。先生が遺体を納めた箱を抱えて駐車場まで来てくださり、深く頭を下げて私たちの車を見送ってくださった。

 その後、3人家族と1匹の生活が静かに始まった。
 リボンの死を知ってか知らいでか、ココはマイペースに食べて寝て食べて寝て飄々としてそこにいる。一番懐き、甘えて擦り寄っていく夫にさえ抱かれることを嫌うココ。同じ猫でも個体差が180度違っていて可笑しいくらいだ。ご多分に漏れず、このココも保護猫だ。

 さて、私は前に「月の雫さん」というタイトルで、リボンを貰い受けた経緯をモチーフにした小説を同人誌「峠」で発表している。最初は72号でテーマ「拝啓」の掌編競作として。その後、74号で50枚ほどに改稿し再び発表した。そしてさらにその後も、どうしても足したいエピソードが二つ三つあったので80枚ほどに書き直し何処だかの公募に出したが、結果はみごとに撃沈だった。

 「月の雫」というのは、小説の中に登場する元親のハンドルネームである。保護猫をとおして、元親「月の雫」と里親「私」の交流。その後、「月の雫」と音信が途絶えていたが、数年経って保護猫活動を始めていた「私」が、アニマルホーダー(多頭飼育者)となっていた「月の雫」と再会するというストーリーだ。

 念のため、実在のリボンの元親「月の〇〇さん」の名誉のために申し添える。猫を譲り受けたエピソードはほぼそのままではあるが、中盤から後半にかけての設定やストーリー、エピソードは全てフィクションであることを申し添える。

 リボンの元親とは初めに契約書を交わしたとおり、完全室内飼、避妊手術を受けさせること、3年にわたる写真での近況報告をもって了とした。
 その後の通信は、しばらくは元親のホームページの掲示板で繋がっていた。私がリボンの近況を伝えた時「あなたには感謝しています」と、改めて月の〇〇さんから告げられたのを思い出す。

 しかし、数年ほど経つうちにいつのまにかホームページは閉鎖していた。通信の手段を失ってしまったのである。リボンが亡くなったことを元親に伝えたいが、今はその術がない。

 拝啓、月の〇〇さん。
 この文章があなたの目に触れることは恐らくないでしょう。けれど、リボンの最期を書き留めることで、元親のあなたへのご報告とさせてください。  
 あなたには心から感謝しています。

 (追記)
  *私には、同じハンドルネームをお持ちの、大切なフォロワーさんが 
  おられます。
   私の書いた小説や、このエッセーに登場する人物とは全くの別人で、   
  関わりのない方です。偶然、同じ名前(ハンドリネーム)でしたので、  
  誤解のありませんように念のために申し添えます。


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