笙 * 声 大塚惇平

雅楽 笙 古代歌謡/Awakening voice - 魂のうた ヴォイスヒーラーの渡…

笙 * 声 大塚惇平

雅楽 笙 古代歌謡/Awakening voice - 魂のうた ヴォイスヒーラーの渡邊満喜子氏の元で声・身体について研鑽した経験と、古典雅楽の研究をベースに、「響き」の叡智を伝える活動を行う。東京藝術大学雅楽専攻卒。https://lit.link/ohtsukajumpei

最近の記事

"個"↔︎"全" 往還する響きの世界

いま、Awakening voiceのインターミディエイトクラスの卒業生たちと、"アドバンス準備室"というものを行なっている。 Awakening voice - 魂のうたについてはこちら。 いま、声のクラスで一般に行っているのはベーシック(初級)、インターミディエイト(中級)クラスまで。 そこから先の展開を、皆さんと一緒に探求しはじめている。 インターミディエイトクラスまでのテーマは "個"としての響きの確立 だ。自分の中にこそこの人生を主体的に生きる、根源的な

    • 個別的な知と原理的なひかりのあわいで

      たまたま私が昔から好きな現代アーティストの近藤聡乃さんの作品の表紙でジャケ買いした、翻訳者のくぼたのぞみと、斎藤真理子の往復書簡集「曇る眼鏡を拭きながら」集英社 久しぶりの専門外の読書に、なんだかとても久しぶりなような、早稲田の文学部生だった頃のような気楽さと、新鮮な喜びを覚えたのと同時に、こういう「喜び」から久しく離れていたのだなあということを少しさみしくも思った。 私の師匠であったヴォイスヒーラーの渡邊満喜子氏も、ヴォイスヒーリングとしての仕事をするうちに、「自分が広

      • 全体性を癒し、全体性を生きる−ほんとうの意味で響きの本質を理解するために

        現在行っている”Awakening voice – 魂のうた”のワークは、私を声の世界に導いてくれたヴォイスヒーラーの渡邊満喜子氏のメソッドを元にしてはいますが、そこには全く異なるレイヤーのコンセプトが加えられています。 ヒーラーがいて クライアントを癒すーこれが普通に多くの人がイメージするいわゆる「ヴォイスヒーリング」かもしれません。あるいは、スピリチュアルな「セッション」における「リーディング」のように、人生への具体的なアドバイスを求めるためのもの、など。 私も当初は

        • 私たちの裡に存在する地球を歌う

          先日、私たちの中心を貫いて流れるエネルギーラインについて書きました。 私たちには宇宙の源から、それぞれに全くオリジナルな固有の響き・エネルギー・情報が届けられていて、それはクラウンチャクラを中心に届き、私たちの身体をめぐり、地球の中心へと抜けていきます。 それと同様に、地球の中心からルートチャクラを通して、それぞれに全くオリジナルな固有の響き・エネルギー・情報が届けられています。 これら双方向のエネルギーの流れが統合される地点として、胸の中心に存在しているハートチャクラが

        "個"↔︎"全" 往還する響きの世界

          捨てる〜鬼子母神堂 満願会を経て

          一昨日、中目黒 正覚寺の鬼子母神堂の満願会へ、パートナーと行ってまいりました。 うまく書けるかわかりませんが、新月のこの日、自分への宣言として、大切なことなので書いておこうと思います。 正覚寺さんは、シルクロードジャパンの活動をはじめ、私たちを支えてくれた大切な場所。4月18日は鬼子母神の御縁日で、鬼子母神に感謝を捧げるご祈祷が毎年行われています。 木剣を用いた日蓮宗のご祈祷は本当に素晴らしいものです(これはぜひみなさんに一度体験していただきたいです)。 その日も来れ

          捨てる〜鬼子母神堂 満願会を経て

          透徹した意識の流れ - 私たちの中心を貫くエネルギーライン

          前々回の記事で、Awakening voice - 魂のうたで扱う10ヶ所のエネルギーポイントについて触れた。今回から少しずつ、それぞれのエネルギーポイントについて詳しく触れていきたいと思う。 まず、このヴォイスワークを行なっていく上で最初に重要になる、私たちの身体を貫き流れているエネルギーラインについて書いてみたいと思う。このエネルギーの流れを理解する際に重要な、宇宙の響き、ハートの響き、地球の響きのエネルギーポイントについても、触れていきたい。 これら宇宙の響き、ハー

          透徹した意識の流れ - 私たちの中心を貫くエネルギーライン

          "わからなさ"にひらかれるということ

          Awakening voice - 魂のうた の活動を続けていく中で、「この声のワークを行うことにどういう意味(効果)があるのか?」ということを、どう伝えるべきか、ということを迷ったことがあった。 普通のヴォイストレーニングであれば、ある特定の目的のために特定のレーニングを行っていく。たとえば、特定の種類の音楽(オペラでも、地歌でも、お能の謡でも)のための発声法や、講演会、演劇のための発声法など、それぞれのシーンに応じて、必要な声の在り方を習得するために、トレーニングを行っ

          "わからなさ"にひらかれるということ

          "魂のうた"をうたうということ

          "Awakening voice - 魂のうた"とはどういうヴォイスワークかについて、これから何回かに分けて書いていきたいと思います。 "魂のうた"をうたうーそれは、今ここに私たちが存在していること、その源に触れていこうとする行為、だと思っています。あるいは、「祈り」のようなもの、とも言えるかもしれません。 インドの高名なスーフィーの演奏家である、ハズラト・イナーヤト・ハーン氏は、「声は魂の乗りもの」であると語っています。私たちの身体には、目には見えないけれど精妙で多次元

          "魂のうた"をうたうということ

          "Awakening voice - 魂のうた"への思い

          2022年からモニターを行ってきた、生の全体性を生きるヴォイスワーク "Awakening voice - 魂のうた" 新たにWebサイトを(手作りながら)開設させていただいた。これから少しずつ、このヴォイスワークについての文章を重ねていきたいとおもう。まずは、このヴォイスワークを始めるにあたっての思い、を書いてみようと思う。 * 2021年の2月、ほんとうに久しぶりに、一対一で向き合った方のバイブレーションを声にして歌うということをした。 その時に感じたのは、人は

          "Awakening voice - 魂のうた"への思い

          My Story 4 - 「笙」という伝承の流れの中で

          実は何才のいつから笙を始めたのか、覚えていない。前述の宮田まゆみ氏の演奏を聴いた音楽祭が2005年だったので、そのころだと思うのだがよく覚えていない。別に物語りめかしたいわけではないのだが。けれど、最初に田島和枝氏のお宅で最初のレッスンを受けたときのことはよく覚えている。とてもおいしいマクロビの料理をいただいたのも覚えている。 たぶん、僕は田島和枝氏と、宮田まゆみ氏に出会っていなければ、笙を始めていないと思う。ふつうに宮内庁楽部の演奏会を聴いたり、民間の雅楽団体の演奏を聴い

          My Story 4 - 「笙」という伝承の流れの中で

          My Story 3 - 「笙」との出会い

          笙という楽器に初めて触れたのは、前述のAma voicesの公演で、雅楽演奏のユニット「むすびひめ」のお二人とご一緒する機会を得たことがきっかけだった。「むすびひめ」は今は活動していないが、笛奏者の中村香奈子さんと、笙奏者の田島和枝さんのユニットだ。お二人とは今も懇意にさせていただいている。 稽古で初めて笙の音を聞いたとき、ふつふつとお腹から笑いが込み上げてきた。お二人の楽の音が、床にきらきらと散らばっているように見えた。その感覚は夜になっても消えず、当時はこういうことって

          My Story 3 - 「笙」との出会い

          My Story 2 - 「声」から「響き」の世界へ

          渡邊氏のもとでの経験は、二十歳からの多感な時期に、その後の自分を動機付けてしまうような多くの要素があった。それは祝福でもあり呪いでもあった・・・ように思う。実際、笙との出会いはここでの活動に関わっていなければありえなかっただろうし、またそれ故の生きづらさに苦しむこともなかっただろう。 当時の私としては、渡邊氏の活動に共感しつつも、違和感を感じる部分が多々あった。「身体」にまつわる負の部分をたくさん見たし、また「スピリチュアル」な事柄に関しての歪みも多く体験したように思う。勿

          My Story 2 - 「声」から「響き」の世界へ

          My Story 1 - 「声」との出会い

          19歳の春に四国八十八ヶ所を歩いて巡礼した。45日間かけて、一度で歩き通した。自分がもう一度「ゼロ」に戻ることのできた貴重な経験だった。それと同時に、自分のその後の関心の道筋も、その時に形作られていたように思う。 四国遍路を終え、さあこれから何をはじめよう・・・と考えていたときに、たまたま実家の本棚に差さっていた田口ランディ氏のエッセイ集を手に取った。「できればムカつかずに生きたい」はじめ、高校生の頃はよく田口氏のエッセイ等を読んでいたが、そのエッセイ集を読むのは初めてだっ

          My Story 1 - 「声」との出会い

          Gift Music プロジェクト / 紀尾井ホール re-connetするシルクロード 公演を終えて。

          怒涛の12月が終わります。 今年、このコロナの状況の中で、SILKROAD JAPANとして「Gift Musicプロジェクト」、そして12/21の「re-connectするシルクロード」公演のためにひた走ってきた日々でした。
 今回、企画、制作、音楽監修、演出、出演、全部やるという笑、初めての経験でしたが、ほんとうに素晴らしい出演者、スタッフ、たくさんの方々のご助力のもと、成し遂げられたことだと思います。ほんとうにみなさん、ありがとうございました。そして、共に走り抜けて

          Gift Music プロジェクト / 紀尾井ホール re-connetするシルクロード 公演を終えて。

          少しだけ、齋藤徹さんのこと

          (不遜ということはないと思うけれども)夕方、早めのお風呂を浴びて、ビールを飲みながら、お盆の季節だからだろうか、コントラバス奏者の齋藤徹さんのことを思い出していた。 昨年亡くなられてから、何か書こう、書こうと思いながら書けずに時がたってしまった。 僕はおそらく齋藤徹さんとの出会いがなければ笙という楽器を続けてはこなかったろう。 静岡からあらためて東京に拠点を移すべく引っ越したその日の夜に、初めての共演のオファーをしてくださったことをとても鮮明に覚えている。 僕自身も、

          少しだけ、齋藤徹さんのこと

          笙にまつわる、鳳凰のイメージ

          笙という楽器は、「鳳笙(ほうしょう)」とも言う。これは、笙という楽器の起源が鳳凰と共に語られているからだ。江戸時代の雅楽事典とも言うべき大著「楽家録」には、 頖宮礼楽疏曰、列管為簫聚管笙、鳳凰於飛簫則象之、鳳凰戻止、笙則象之。 頖宮礼楽疏によると、竹管を並べたものを簫(しょう)とし、竹管を丸く束ねたものを笙とする。簫は鳳凰が飛んでいるのを象ったものであり、笙は鳳凰が戻って止まっているのを象っている。(著者訳) 楽家録 巻十 鳳笙 とある。簫というのは、「笙」と同じ読

          笙にまつわる、鳳凰のイメージ