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"個"↔︎"全" 往還する響きの世界

いま、Awakening voiceのインターミディエイトクラスの卒業生たちと、"アドバンス準備室"というものを行なっている。

Awakening voice - 魂のうたについてはこちら。

いま、声のクラスで一般に行っているのはベーシック(初級)、インターミディエイト(中級)クラスまで。

そこから先の展開を、皆さんと一緒に探求しはじめている。

インターミディエイトクラスまでのテーマは

"個"としての響きの確立

だ。自分の中にこそこの人生を主体的に生きる、根源的なパワーがあるということ。自分が決めた人生の目的を生き切るための土台を取り戻すこと、たましいの輝きと喜びと共に生きることそのものを取り戻すこと。いわば「自己実現」までがインターミディエイトクラスまでのテーマだ。

それは、自主独立した個人という在り方を取り戻すということでもある。

そういった、何かを「確立」する、自主独立するというと、何か確固としたものを感じさせるけれど、一方で、実際には私たちは「響き」としてこの世界にひらかれている存在であり、刻一刻と移り変わっている。

けれど、そんな中に、抽象的なレベルでの「中心」というものは存在している。それは、個人の「中心」でもあり、宇宙の「中心」でもある、根源的感覚だ。だから、"個"としての響きの確立、とは、少し難しいけれど的確に表現すると、"自己の中心"を把握し続ける能力とでもいうべきものを、身体感覚を通して体得していくことであると言える。

そして、そのようにして確立された「"個"としての響き」からこそ、本当の意味でのこの世界とのreconnect=再接続が始まる。それは、全てがバラバラに存在していると感じられる世界から、全てがつながり合いながらダイナミックに動き続けている世界に入っていくということだと強く感じている。それは、すべてが分離している世界から、すべてが統合している世界へと入っていくということだ。それこそが、根源的な喜びをもってこの個人の生を生きていくということに他ならないと思う。

インターミディエイトクラスの卒業生たちと

そのような世界に入っていくということは、逆説的だけれど、まず"個"の確立が必須となってくる。自分のバイブレーションが覚知することが、万物とのコラボレーションのために必須になる。

そうなった時に、人は個人の人生を目的意識を持って生き生きと主体的に生きていくことが可能になるのだと思う。本来、私たちの身体はそのようにデザインされているし、私たちの生も、そのようにデザインされている。けれど、この人間社会の中で生きていく中、様々な要因によって、そのことが見えにくくなってしまう。そこから本来の自己を取り戻す、目覚めることが、「たましいの目覚め」であると私は思っている。

その、自己の中心という根源的な感覚は、「たましい」「いのち」といった、この個人の一回きりの人生を超えたレイヤーの視点を持ち込まないと、見えてきにくい感覚なのだと思う。かつては、その役割を「宗教」が負っていたのだろうけれど、今という時代、私たちは私たちのやり方でそことの接続を取り戻さなくてはいけないフェーズを生きているのだと思う。

そのために有効なメディアが、「声」なのだ、ということは、私の経験上、そのように感じている。

金剛界曼荼羅

長くなってしまったけれど、アドバンス準備室では、「その先」を探求している。"個"として確立の先に入っていく"全"なる世界は、いわば「曼荼羅」の世界なのだと思う。全てが一つの、お互いがお互いに交わりあいながらダイナミックに事象が生成している世界の中で、私たちが何を感じて、生きるのか。そんなことを、探求している。

そして、そのような"個"と"全"の関係も、人生のフェーズの中で、大小様々な渦を描きながら、進んでいく。もしかしたら時間を超えて、過去に戻ったり、未来に進むこともあるかもしれない。分離↔︎統合のフェーズは人生の中に様々に散りばめられている。それがこの曼荼羅の世界の生成流転の秘密なのだろう。個人的には、金剛界曼荼羅の運動性に、そのようなものを感じる。

東寺・金堂前でのコンサートのリハーサル時に

昨年は、京都の東寺にご縁をいただき、何回か通わせていただいた。19歳の頃に四国遍路をしてから、空海は個人的なマスターだ。彼が教えた真言密教のイニシエートたちが、イニシエーションの先に進んだ曼荼羅の世界。その神秘的な世界は、今の時代、普通に生きる我々にも、開示されてきているように感じている。今年は、そのような"イニシエートたち"の道に私自身も進んでいくような気がしている。

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