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地域で楽しく過ごすためのゼミ 12月

2021年12月20日、地域で楽しく過ごすためのゼミが開かれました。

今回の課題図書は『大企業の誕生』(著:A.D.チャンドラー 訳:丸山 惠也2021年 筑摩書房)です。担当は渡辺です。
この文章では、実際にゼミで使用した要約文章を掲載します。

〈以下要約〉

選定の理由

地方創生は国が進める事業のためか、地方自治体とそれに準ずる組織がプレイヤーとして認識される傾向がある。しかし実際のところ地方を経済の側面から支えているのは企業に他ならない。この企業について考える良い切り口はないかと考えていた。しかし企業に関する著作は数多く、その中から精読に堪えるレベルものを探すのは一苦労である。そんな折、経営史の古典が復刊されたと聞き、読んでみようと考えた次第である。

本の主な主題

本書が明らかにしようとするのは「国家の力をもしのぐ大企業はいかにして成立したか」という事である。本書ではそれを明らかにするため、アメリカにおける企業の形態の歴史を追っていく。その過程の中で、企業が巨大化していくために必要な要素を洗い出していく。

論旨の展開

本書の章構成は以下のとおりである。

§0 近代企業の機能と構造
§1 伝統的企業の専門化─1790年代から1840年代
§2 近代企業の生成と展開─1840年代から第一次世界大戦まで
§3 第一次大戦以後の近代企業
§4 結び

筆者は、アメリカ経営史を企業形態の観点から大きく3つの時代に分けて考えている。本書ではこの3つの時代を順番に見ながら、企業の発展をつぶさに追っていく。
そのため本書の構成は序章で導入を行い、続く3つの章で、各時代を見ていき、4章で結論をまとめるという極めて明快な構成を取っている。

各節要約(150文字±10%)

§0 近代企業の機能と構造

大企業は20世紀を特徴づけるもので、その構造と機能の発達は世界中の都市・工業経済において中心的役割を果たしている。大企業は複数の事業体を持ち、官僚制的な組織設計、専門経営者による管理が特徴として挙げられる非人格的な存在である。合衆国における大企業の発展の歴史は大きく3つの時期に分けることが出来る。

§1 伝統的企業の専門化─1790年代から1840年代

1790年、合衆国産業は一部農林業や鉱業を除き、殆んど家族経営であり、それらを商人が結び付けることで成立していた。商人の活動は販売、流通、金融や輸出入など多岐に渡り、合衆国経済において重要な役割を果たした。しかし、合衆国の「独立による取引先の変化」と「人口増加と国土拡大」が、綿貿易を急成長させ、その事業形態は大きく変化した。

§1.1 市場拡大と企業の専門化

§1.1.1 商業の専門化

綿貿易の急成長は、それだけを専門に取り扱う専門商人を生み出した。また、主要産地の南部では、綿花の輸送機関を利用することで、それまで困難であった様々な商品を交易することが可能となり、新たに市場が形成されることとなった。そして、これらの商品を取り扱う業者もまた、一定の製品系列だけを専門に取り扱う専門商人が行うようになった。

§1.1.2 輸送業の発展

 取引量の増大は、輸送においても専門化をもたらした。一般運輸業者が登場したのである。それまでわずかにしかなかった馬車駅と荷馬車の路線は、道路の建設が進むにつれ増えていった。また、1812年の戦争後にはアメリカとヨーロッパの重要港を結ぶ小荷物航路が開通した。その後湾岸、海峡、河川などにも航路が開かれる事となった。

§1.1.3 金融業の専門化

 銀行や保険などの金融業はアメリカ独立後に登場したものであるが、これも同様に専門化が進んだ。銀行の登場により、商人は出資や預金などのサービスを受けられるようになり、結果として商人は銀行業務を専門家に任せるようになった。保険においては、海上保険、火災保険などが商人や海運会社などに提供された。

§1.1.4 工業生産の発展

1790年代の市場拡大は、工業に対しては増産という形の影響を与えた。増産方法は主に3つあった。

①労働力の拡大(年季明け職人や徒弟の追加)
②家内工業製や前貸問屋制度の導入・拡張
③機械の利用

合衆国においては主に③の方法が採用された。ただし、この時期の工場は、農閑期のみ操業、報酬は現物、従業員も多くて50名と小規模なものが多かった。

§1.1.5 工業生産の新しい形態─工場

この時期の工業において繊維工場は例外的であった。そこでは300人程度の従業員が現金報酬により日常的に勤務していた。これは、繊維類が既存の手段で十分に輸送が可能で、生産機械も木製で製造が容易だったためである。様々な工場がこのように大規模化するのは1840年代以降だが、合衆国が大企業を生み出す下地(専門化と非人格化)はこの時代に作られた。

§1.2 近代的管理の先駆

 この時期、企業内における業務管理はほとんど行われていなかった。当時大規模に運営されていた繊維工場やプランテーションでも同様である。企業は市場経済において非人格的な存在となりつつあったが、内部においては属人的な手法において業務が遂行されており、管理という点において、この時期の企業は近代企業の形成には何ら寄与していない。

§2 近代企業の生成と展開─1840年代から第一次世界大戦まで

 近代企業は1840年代から第一次世界大戦の間に発生し、その起こりには市場拡大と工業技術の高度化に影響されている。1840年以降、合衆国には大量の移民が渡り急速に人口が増加した。農地はほとんど塞がり、都市人口は急速に増加したが、生産性もそれと同様に増加し、国民一人当たりの所得は増加する結果となった。

§2.0.1 技術革新の影響

 この時代、合衆国企業に大きな影響を与えたのは工業技術(蒸気機関)である。蒸気機関は工場で産出される財やサービスの量と速度を増大させた。1770年に英国で実用化された蒸気機関の採用が合衆国で遅れたのは、燃料となる石炭の不足によるものである。合衆国の工場で蒸気機関が実用化に至るのは、1830年代に工業地帯に輸送用の水路が完成して以降である。

§2.0.2 交通と通信の革新

 蒸気機関と石炭の普及により、1870年代には西部未開拓地域を除き、合衆国全体に現在同様の鉄道網が行きわたることとなった。1847年に実用化された電信が、鉄道に加わることで、鉄道の安全性と効率的操業がより確実となった。当時の人口増による需要増という情勢に、安価で安定した輸送技術が加わる事で、合衆国内の生産の大半を大規模工場が担うこととなった。

§2.0.3 経営者の生成

 工場の大規模化は、仕事の細分化や生産過程の複雑化をもたらした。企業はこれに対応するため、予定や計画を立てられる経営者という新しい経済人種と、それらを遂行するための整然とした内部組織を必要とした。当初、経営者の養成は仕事上で行われていたが、後に専門学校や大学で行われるようになった。経営者はそれまでの商人とは全く異なる存在であった。

§2.1 鉄道─この国最初のビッグ・ビジネス

 鉄道会社は資本金、運転資金、従業員数、職務の種類などあらゆる分野において、当時の他の工業企業とはけた違いの規模を有していた。そのため鉄道会社は大規模企業が持つ財務上、管理上のすべての問題に対処しなければならなかった。結果的に鉄道会社は近代的経営の先駆者にならざるを得なかった。

§2.1.1 金融・証券市場の形成と企業財務

 鉄道会社の大規模化は、金融・財務に重要な変化を二つもたらした。一つが金融市場の制度化である。鉄道会社の巨額資金の需要に応えて、専門の投資銀行が現れ、有価証券や投機などの標準的な取扱手法が作り出された。もう一つが企業内における会計検査員の登場である。複雑化する財務(取引、賃金、原価計算、価格決定等)を専門家が必要となったのである。

§2.1.2 鉄道会社の組織と管理

 業務監督は財務以上に複雑化し、一人で出来る規模ではなくなっていた。そのため、鉄道会社の経営者たちは職員(と職務内容)の関係を明確にしたうえで、権限と責任を移譲し、相互のコミュニケーション体系を明確化した組織設計と機構を考案した。組織上部への報告、下部への命令、業務情報の共有、業績評価用の統計情報利用などのための手法が開発された。

§2.1.3 鉄道会計の形成

 次に2つの財務的問題が関心事となった。一つが減価償却計算である。原価計算において、既存企業にはない高い固定資本投資の評価法が問題となったのである。もう一つが営業費計算である。こちらも、既存企業よりもずっと多くの計算法が必要となり高度な技術を要するものとなった。結果、貨物乗客に関する業務は、運賃制定と管理とで別れて組織された。

§2.1.4 直通輸送網の拡大

 次いで貨物乗客の管理業務が激増した。その原因は路線距離延長にともなう貨物量の増加、既存の運送会社の業務を鉄道会社が引き受けたことによる。これらは、橋や線路の建設、鉄道組織を超えた設備及び手続の規格化、そして、複数の鉄道組織にまたがっても全国どこへでも積み替えなしで車両を移動させられるという企業間協定により可能となった。

§2.1.5 鉄道業の生産性増加

 19世紀後半の合衆国の鉄道サービス業の生産性は、他のいかなる産業部門よりも急速に成長したことが指摘されている。これは技術改善、産業レベルでの規格化、専業化、そして労働者の熟練によると考えられているが、これらの取り組みを確立させてきた経営者の熟練があると考えらえる。この生産性向上は貨物料金や旅客料金の低減に見て取れる。

§2.1.6 鉄道会社間のカルテル形成

 企業間協力は鉄道サービスの生産性を急成長させたが、それは各社の巨大な資本設備の維持運用を賄える輸送量を保証するものではなかった。そのため鉄道会社は他社から仕事を奪うため運賃の値下げに踏み切った。不況時にはカルテルも形成されたが料金競争を止めることは出来なかった。結果として鉄道会社は更なる組織拡大を取らざるを得なくなった。

§2.1.7 管理者の役割

 さらに巨大になった輸送網を管理するため、組織内に中間管理層と上級管理層という新たな管理単位が形づくられた。それまで複数の支配人が管理していた領域を、総括経営層とそのスタッフで構成された組織が管理するようになった。総括経営層は相当の自律性と利益責任を持たされていた。一方本社幹部は各事業部の業績評価と資源分配に専念することになった。

§2.1.8 通信事業の発展

 当時の電信・電話会社も鉄道会社と類似した点が多かった。企業は電信を長距離で運用するために各社間での調整を必要としたが、それは結果として各企業の合併整理を招いた。そして鉄道と同様大規模な企業が生まれることとなった。当初短距離運用がメインであった電話も次第に長距離運用となり、電信会社と同様の経過をたどった。

§2.2 大量消費市場の生成

 1850-1880年代の間に発展した交通・通信機関がベースとなり、それまでの商品流通を担っていた商人は、近代的な大量消費市場企業にとって代わることとなった。1840年代までに商人はひとつの系列の商品や生産物を扱うように専門化していた。この当時で生産者から購入者の手に商品が渡るまでに、3~4人の商人(問屋、仲買人)を経る形になっていた。

§2.2.1 新しい卸売商の生成

 鉄道と電信という全天候型の交通・通信が急速に整備されることで、それまでの商人は新たな販売会社にとってかわられる事となった。新たな販売会社は、生産者(農場・工場)から購入者(加工業者・小売店)までの流通を単独で行う事が出来た。またこれらの業者は商標化、宣伝などの近代市場取引技術を開発した先駆者だった。

§2.2.2 近代的大型小売商の登場

 これらの販売業者はやがて近代的大型小売商(百貨店、通信販売会社、チェーン店)にとってかわられる。大型小売商は広範な購買と販売組織を有していたからである。この広範な組織が実現できたのは、技術や投資によるものではなく純粋に組織上のもので、彼らは流通過程を組織化することで、既存の交通・通信をより効率的に利用できるようにしたためである。

§2.2.3 流通コストの低減

 大型小売商の登場による大量消費市場の到来は、取引のスピードと量を激増させた。これは同時に流通コストや、流通にかかわる金融コストも低減させることとなった。これは新しい企業の組織設計と管理の質の向上が流通費用を低減し、合衆国の商品流通過程の生産性を高めたという事が推測できる。

§2.3 大量生産の到来

 一方、大量生産に至るには技術革新と資本設備への投資が必要だった。技術革新とは工場や制作現場が連続して大量生産出来るようになることである。生産量増加は、簡単な機械だけを利用し、労働者数への依存度が大きい分野では小さかった。逆に金属製造・加工業においては著しく、この二つの工業において工場管理が完成された。

§2.3.1 金属製造業の生産性増加

 金属製造業は、生産能力増大により、資本・エネルギー集約型となった。また監督統制の必要性も高まり、労働者に対する管理者の割合が高まった。最初に大量生産が可能な製造法を採用した鉄鋼企業は、鉄道会社の出資によるもので、その組織設計や作業工程は鉄道会社に由来している。鉄鋼で培われた技術は、他の金属やガラス、紙などの製造業にも適用された。

§2.3.2 金属加工業と労働分化

 最も生産性の改善が進んだのは金属加工業であった。金属は他の材料に比べて加工難易度が高い分、技術改良による恩恵が大きかったためである。金属加工業は他分野にくらべ生産工程の細分化が著しく進んでいたため、安定した生産維持のためにとくに精密な組織設計と管理技能が必要とされた。

§2.3.3 科学的管理法と職長

 金属加工企業は1870年代の不況の影響を受け、設備以外に組織設計の改善も始めた。そ改善方法─「科学的」方法は、部門ごとの費用や原料、労働力を把握するものであった。これら情報により物資の流れや在庫を調整し、また各部門の業績を評価することが可能となり、工場管理と工場会計が改善された。これ以後の生産性増加は原料移動に関わる技術発展による。

§2.3.4 フォード工場の生産方式

 原料移動の技術とは、フォードとその仲間が携わった、原材料の移動に動力を使用するというものであった。1913年に完成し、移動式組立ラインとして知られるこの技術は、その後の工場の生産性を飛躍的に向上させ、近代大量生産の象徴となった。そして、この大量生産と大量流通を結び付けた企業が巨大な富を得ることとなった。

§2.4 近代産業企業の発生

§2.4.1 大規模統合企業の生成

 大規模近代産業企業の特徴は、大量生産と大量流通の統合である。このような企業は1880年代に合衆国に現れ、1900年までに大規模な多機能統合企業となり比較的少数で合衆国産業の多くを支配した。この20年間で多機能統合企業となった製造企業には2タイプあった。それは自社商品を扱う大量取引業者の流通販売能力に不満があったものと、満足していたものである。

§2.4.2 大量生産と大量流通の結合─三つの型

 前者の企業は、自社で国内外に広範な売買組織を形成した。後者の企業は、各社の生産過剰による価格の下落に対応するためカルテルを形成し、後に合併したものである。これらの企業はいずれも、十分な大量流通技術を持ち、設備を少数の工場に集中させることで、規模の経済性を可能としていた。そして大量生産と大量流通の利点を結びつけることに成功していた。

§2.4.3 起業の合同運動

 その後1890年に全ての産業で合併が進んだ。不況や法規制などの理由もあるが、工場主が大量生産と大量販売の統合により成功した企業を模倣したことが最も重要である。しかし一部の統合に利点の無い産業では成功しなかった。これは企業が用いる技術とマーケティングが、企業の規模と産業の構造を決定する上での主要な要因であったことを意味する。

§2.5 組織の形成

§2.5.1 大規模統合企業の管理組織

 どちらの企業も最終的に同じ組織設計となったが、後者は合併の組織再編に費用が必要となり外部資金を頼ることとなった。結果、株式は分散し、また多くの経営・管理者が外部から雇われることとなった。創業者等が株式を保持する前者と比べ、後者は所有と管理が分離している。このことから前者を「企業家企業」、後者を「経営者企業」と呼ぶことにする。

§2.5.2 経営者企業の形成

 経営者企業内の急務は、統合された資産を管理できる組織設計であり、全体の生産性向上であった。しかし、合併による経済的利益は、鉄道会社同様、内部組織と統計資料に注意を払わないと発生しないものであった。そして鉄道と異なり、管理対象の事業内容は広く分散していた。これら企業の再建は産業構造だけでなく、経済構造をも新しくするものであった。

§2.5.3 中央本社と職能部の設立

 この仕事には、職能部門と中央本社の設立が含まれていた。職能部門の設立では、製造、購買、輸送、販売、財務、研究開発など、様々な部門の業務内容を近代化するため、設備や業務内容の新規追加、既存のものの改善などを行った。中央本社の設立では、各部門・支部の報告、会計、統計資料などを系統立て、部門の実績評価や部門間の業務調整を行った。

§2.5.4 トップ・マネジメント─機能と構造

 このようにして近代的な総合管理手法が確立されていった。この手法は、第一次世界大戦までには製造工業だけでなく大規模小売業にも採用されていた。大戦後の不況では、需要の長期低下による過剰在庫の発生が、この方式の弱点として露呈したため、ほとんどの企業で日常業務から投資決定までを、短期及び長期の需要予測と結び付けて行うようになった。

§2.5.5 大規模統合企業の支配

 1920年代までには近代アメリカ経済において、高速・大量生産化が可能な産業は、大規模統合企業が統制するようになっていた。大規模化出来ないいくつかの産業では、小規模な業者が旧来の方法で製造売買を行っていたが、これら工業も大企業の影響からは逃れられなかった。大企業は主要産業を支配するだけでなく、小規模な企業とも売買があったためである。

§3 第一次大戦以後の近代企業

 第一次世界大戦後も大規模な統合企業は、大型化を続け影響力を強めていった。また他分野でもこの形態が用いられるようになった。この成長は生産に関してほとんど影響を与えなかったが、トップ・マネジメントの仕事の遂行方法に影響を与えた。新たに労働関係、広報、株主関係の部門などが作られたが、その中で最も重要なのが研究開発部門の発展であった。

§3.1 生産と流通における企業の進歩

§3.1.1 分権性管理組織の形成

 第一次世界大戦後の企業の主な進歩は、技術と市場の変化の相互作用によってもたらされた。1920~30年代の国民所得と需要の落込みに対して、企業は研究所を利用し市場に適応した新製品を開発することで対応した。結果として企業は新しいタイプの分権構造─自律的機能を統合した事業部と、事業部や企業全体を評価し計画する総合本社から成り立つ構造─を採用した。

§3.1.2 研究開発と多角化戦略

 研究開発に最大の資源を投資していた企業は継続的多角化戦略により最も急速に成長した。この企業がとった分権構造では、各事業部の内部組織は大規模企業と同等で、総合本社は少数の最高幹部と多数の諮問と財務スタッフから成り立った。この企業の成立は、旧来の商人・小売を衰えさせ、会計、労働関係、広報、などの新領域に専門分化した企業を登場させた。

§3.2 金融業、運輸業、通信業における企業の発展

§3.2.1 市場と技術の変化のインパクト

 市場と技術の変化は、以下の副次的分野の企業構造と機能も変化させた。金融業は近代的階層性組織が拡大し支店が増加した。通信関連企業では映画とラジオが登場し、その技術と放送の観点から大規模化が促された。輸送業では、内燃機関の発明により、大規模な航空会社が登場した。電力公共事業は、地域の複数企業と結合し、19世紀の鉄道と同形態となった。

§3.2.2 第二次世界大戦と統合多角化企業

 第二次世界大戦による軍需品への需要は、科学的・技術的な知識を蓄積させ、アメリカ産業に科学の体系的応用を広めた。また、経済を稼働させる必要から、大手企業のもつ管理・統制手法が小規模な企業にも広がった。1946年、雇用法により、雇用と生産と購買力の促進が政府の義務となり、そこで実現される大量消費市場は、大規模な企業に利用されることなった。

§3.3 第二次世界大戦後の近代今日の発展方向

§3.3.1 階層性企業の支配

 戦後アメリカ企業の方向性はいくつかにまとめられる。まず、市場と技術の変化はほぼすべての近代産業で大企業の継続的成長を促した。次に、近代階層制企業が多くの市場で勝利した。そして、開発への科学技術の応用法が確立されたことで多角化が容易となり、複数事業部組織制企業の成長を促された。それは政府や海外市場の需要にも応えられるほどであった。

§3.3.2 海外事業活動の発展

 近代企業の海外拡大は、多角化した企業構造にインパクトを与えた。最終的に海外での事業展開は、製造事業部が海外も合わせて管理するか、海外も地域別事業部の一地域となるかのどちらかの方法が採用されることとなった。複数事業部の形態は国内的なものから、そのまま世界的なものとなり、引き続き投資業務は本社が、日常業務は事業部が行う形態となった。

§3.3.3 コングロマリットの形成

 1960年代コングロマリットが現れた。それは多角化企業のように自社生産物の関連産業への投資で成長せず、既存企業を吸収し拡大した。本社幹部は投資参入・撤退にのみ専念し、事業部の監視・評価・改善能力は持たなかった。コングロマリットに限らず、近年の大企業では、経営トップ集団は他業務から解放され、長期投資戦略に集中するようになった。

§3.3.4 アメリカの挑戦

 大企業が長期的な投資決定をするようになる事で3つの傾向が強まった。ひとつが、企業内外から得られる情報にもとづいた資本予算や予測の手順の合理化。もう一つが、上級幹部の手による投資決定の専門分業化。そして3つ目が、民間企業の投資の対象が拡大したことである。この結果巨大企業はより巨大化し、合衆国内で大きな役割を果たすようになった。

§4 結び

 アメリカ企業の発展は、拡大する市場と複雑化する技術に対する組織的な対応と言える。新しい組織設計と、それに対応できる人間の募集と訓練がなければ、拡大する市場も大企業も実現していなかっただろう。新しい経営者企業・経営者階級が新技術の成功を実現させるのに絶対必要だったのである。組織改革は技術変革に似て、近代化への過程のかなめであった。

感想・批判

 本書は、アルフレッド・デュポン・チャンドラーの1978年の論文“The United States : Evolution of Enterprise”の全訳である。そして、この論文は著者の代表的著作『ビジブル・ハンド─アメリカのビジネスにおける経営者革命』(1977)の要約・再構成したものである。

要約・再構成という事で、本書の本文は150ページ程度と短めながらも、その内容はかなり濃密であり、かつ整理が行き届いているように感じた。読み応えは充分であった。

 さて、本書において筆者が最も重要だと考えているのは以下のとおりである。

『アメリカ合衆国の民間企業の小規模で個人的なパートナーシップから、巨大で非人格的、他業種にまたがるグローバルな株式会社への発展は、変化し拡大する市場と常に複雑化する技術に対する組織的な対応であるといえる』

課題図書/p.151

平たく言えば、単に工業技術の進歩や市場の拡大のみが企業を巨大化させたのではなく、それを使いこなすための組織設計の技術が無ければ巨大化はあり得なかった、という事である。そして本書で組織設計の技術として筆者が最も重要視しているのは『事業部制組織』である。

そもそもの話をすると、経営学が始まったのが1920年代であり、学問として市民権を得られるようになったのが第二次世界大戦後であるから、経営学は学問としてかなり新しい。よって事業部制組織という概念も比較的新しいものである。その起こりは先の要約の通り鉄道会社であり、制度的に確立されるのが1920年代と言われているが、経営学的な概念として学問的歴史的に位置づけられたのは、1962年『経営戦略と組織』という著作であり、その著者こそが本書の著者でもあるA.D.チャンドラー氏なのである。彼はこの概念の発明を以ってして、アメリカの経営史を描いたのである。

つまり本書の特筆すべき点とは、彼の『事業部制組織』に代表されるような組織設計の技術を以って、経営史を単にハード面からだけでなく、ソフト面からも照らし、両面から描いたという点にあると思われる。実際ハード面からのみ歴史を理解するという態度は現在でも多く見られる。歴史の授業などで、蒸気機関や内燃機関、原子力技術など、工業技術面などの発明は多く取り上げられるのに対し、複式簿記や株式会社などの発明が取り上げられていないのを考えると、技術的側面からのみ歴史を語る態度が現代においても支配的ある事は否定しようがなく、筆者がそこに疑問を持ったのが十分に理解できる。

本書の構成は、アメリカの経営史を3つの時代に分けて描いてはいるが、実際の所はひたすら時系列になるべく沿う形で企業発展上の出来事とその因果関係を、現代の大企業に至るまで描き続けている。批判をするとすれば、因果関係の誤りを正すか、事実関係の誤りを正すかの2択である。どちらも専門家でないと指摘できない芸当であろうと思う。

ただ僕の知っている知識からいえば、筆者は政府の影響を過小に評価しているのではなかろうかという点は指摘できそうである。筆者の政府に対する認識は以下のとおりである。

『アメリカ企業の発展において、市場と技術は常に関税、税制、補助金、反トラスト法その他の政府の立法や規制以上に大きな役割を果たしてきた』

課題図書/p.152

実際の所、規制は何かしらの行動を制限し、流れを阻害するものであるから、発展という観点からすれば阻害要因としか見えないだろう。ただ法律が現に存在している以上、法規制が与える影響というのは無視できないものであるのも確かである。

例えばアメリカの会社法は州政府の管轄であるため、州毎に内容が異なっており、それにより企業の行動が誘導されている側面はある。例えばデラウエア州は州法が企業にとって有利と言われており、いまなお大企業の主要登記先となっている。カリフォルニア州のシリコンバレーの成立も、州が投資に有利な税制を制定したことが大きな要因だと言われている。法制度をたんなる阻害要因とみることも出来るが、法制度の違いが集積をもたらし、新しい企業の発生を加速させたという考え方は出来なくもない。どのように捉えるかはその人次第ではあるが、こういった考え方が出来るという事は胸に留めておきたい。法律の規制がポジティブに働くのではないかという議論は、『法のデザイン』(2017,水野佑,フィルムアート社)でなされていたので一読してみるのもありかもしれない。

 さて、本書選定の理由は先に挙げた通り、地方創生のプレイヤーとしての企業の存在を捉えてみるという事であったが、本書においてその疑問に応えてくれそうな部分は、先に挙げた部分─政府の存在が企業の発展にとって取るに足らないものであるという所くらいであろう。無論、これが当てはまるのは大きな企業だけなのかもしれないが、仮にそうだとすると、国家が地方創生を掲げることは、経済的発展の面においては邪魔になりこそすれ本質的には無意味なのかもしれない。無論地方創生は経済にのみ関わっていることでないのは承知の上だが、そもそも地方創生が、どんなフィールドで、誰が、何を目指しているのか、そしてその目的において各プレイヤーはどういった役割を担いうるのか、そういったことをつぶさに仮定・定義しなければ議論不可能という事を改めて思う次第である。

選定理由から述べれば、そもそも企業の存在自体が自明としている本書においては、企業そのものの解像度を上げる事はかなわなかったが、企業と政府の関係に対して一つの視点が提示されたことには少々は意義があったように思う。個人的には経済の側面だけでいえば、政府は企業活動を弱めていないとは言い切れないと思っている。なぜなら、デラウエアにしろ、カリフォルニアにせよ、結局の所、政府が行ったのは、邪魔をしないという事なのであるからである。無論、規制を減らし企業活動を強めることが公正であるとは限らない。それは企業活動が社会に対して不利益をもたらすことケースも、これまでに指摘されてきた事実であるからである。公共の福祉に反する企業活動は規制の対象となって然るべきではあるが、何を以って公共の福祉に反するのかという点も当然議論されるべきことであろうし、この内容はどちらかというと政治および政治哲学の範疇であろうから今回は深く触れない。

ただ企業の発展において政府の行動が阻害要因でしかないとすれば、政府が地方創生において行動すべきは経済発展以外の分野であるか、もしくは先に触れたクリエイティブな法律デザインを行う事であると言えるかもしれない。ただ、本書の議論も、当時の市場が拡大し続けていたアメリカにのみ当てはまる議論であり、人口が縮小し始めている日本において同様の事が言えるとは限らない点にも留意しなければならない。

〈以上要約〉

本ゼミ、なんと今回で12回目を迎えました!コロナで中断しながらもなんとか1年分の回数を終えられました。今まで参加してくだ去った方に感謝です。

※ヘッダーの画像はゼミの後に食べた鍋です。

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