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026 ゆるキャン△は恐ろしい

 一月から一期からの再放送、二週見逃して放送で観たのは三週目からだけど、流行るのも尤もと納得。ゆるキャン△的なものがエンタメを席巻するとは思えないけど、このアニメが三期を迎えて地歩を固めたこと、少なくとも日本のアニメ業界は(『ヤマノススメ』がシリーズを重ねてきた以上に)よくよく警戒した方がいい。
 ここでは近年の私のお気に入りを例に、『ゆるキャン△』を解読してみたい。

ぼっち・ざ・ろっく!

 まず『ゆるキャン△』は『ぼっち・ざ・ろっく!』ではない。主人公のなでしこは陰キャじゃないし、ソロキャン主義のリンちゃんは孤独を楽しんでいる風がある。そもそもなでしこがキャンプに興味を示すのは、リンちゃんが誘ったからじゃないし。
 ここは『ヤマノススメ』とも関わってくる部分だけど、なでしこがキャンプをやろうとしたのは知り合いになったリンちゃんのキャンプ姿に興味を持ったからかと。つまりなでしこ、結構オープンマインドなキャラクター。
 またぼざろにはもう一つ、「なり上がり」という要素がある。この言葉は矢沢永吉の書名のお陰でいい印象になってるけど、要するにビッグになること。スポーツのようには固定されていない道筋だけど、それでも芸能界ものには成功と失敗が明確にある。

ヤマノススメ

 そして先走って書いたけど、『ゆるキャン△』は『ヤマノススメ』ではない。『ヤマノススメ』もぼざろに比べて勝利条件が曖昧ではある。しかしそもそもの始まり、「引っ張られる主人公」は共通。そして山があれば谷がありで、雪村あおいは倉上ひなたに山を誘われてから、起伏に富んだ人生を経験してる。

氷菓
君は放課後インソムニア

 また『ゆるキャン△』は『氷菓』でも『君は放課後インソムニア』でもない。比較する二作に共通なのは青春の一瞬の輝き。『氷菓』にはそれに加えてモラトリアムという要素がある。

宇宙よりも遠い場所

 さらに『ゆるキャン△』は『宇宙よりも遠い場所』ではない。初めて観た時はくどく感じて私の心理状態が悪くて気持ちよく観られませんでした。今もくどく感じつつも、青春ゆえの眩しい物語を楽しんでいます。
 つまり『ゆるキャン△』、成り上がりでも山あり谷ありでもなく、かといって青春の輝きや眩しい物語を売りにしてるわけでもない。では本作の最大の魅力は何か、私はお休みのひと時、としたい。
 考えてみれば『ゆるキャン△』の登場人物、野外活動サークルの部室や部活動としてのキャンプ以外の学園生活、ほとんど描かれてない。リンちゃんと恵那ちゃん、部員でない者同士の会話があったりそれぞれのバイトのシーンが描かれはしたけど、それぞれのクラスでの各キャラの立場は結構不明。しかし(アニメでも)学園ドラマはそれが出発点であり、主人公の課題ではなかったのか? 物語が薄いと思う君ソムでも、その点は明確にあるから。
 つまり『ゆるキャン△』、物語を排除して何が残るか、マンガとしてもアニメとしても結構実験的な作品と思うのです。それであfろさんが考えた「答え」が休息であり、マンガ/アニメとしての『ゆるキャン△』の意味と思うのです。しかも道具の扱い方を含め、現地取材は『ヤマノススメ』と同様に万全らしいし。
 だから物語がなくても人気のアニメになってる『ゆるキャン△』をアニメ屋はもっと警戒すべきと思うのですよ。『ヤマノススメ』同様、観た人を外に連れ出す契機になってるから。
 今期は能登半島地震で現実の方に興味がいってるけど、今でも物語を楽しむ心はあるつもり。しかし作家が作る物語はその作家の記憶と思想と人生の賜物であり、個人の能力を超えたものはなかなか作れない。それを超える一つの手が体験を元にしたお話しであり、『ゆるキャン△』はゆるい作風の一方で現実や実際に根差した強固な土台を持つ、アニメ史から見ても画期のアニメと思うのです。
 以下は参考にした記事です。


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