2024.5.18

毎週末、親にご飯を奢ってもらっている。奢ってもらってると言っても焼き肉とかちょっと豪華な寿司とかではなく、炊き込みご飯とかハムトーストエッグといった家庭的な炭水化物だ。親がそれを「奢る」と謳っているから、郷に従えの精神で、そう言わせてもらってる。だけど今回はちょっと特別。2000円を自由に使える権利をもらった。俺は本当に地球が大好きだ。せっかくお金を授けられたことだしなにか新しいことに使いたいと思い、初めてオリジナルスイーツを作ることにした。そもそもスイーツを作ること自体経験したことがなかったので、買い物をする前に料理のおおまかな材料を決めることにした。最近業務用サイズのバニラアイスに砕いたカントリーマームを入れている動画を見たので、それを参考にしてホットケーキの中に高野豆腐を入れてみようと考えた。乾燥した高野豆腐は硬いのでホットケーキに新たな食感を生み出してくれると予想してのことだった。まず、料理の軸は定まった。あとはなにを付け足せば美味しくなるかだ。スーパーに行き様々な食材を目にして、それを混ぜたときの味を想像して美味しくなるか何度も検討を重ねた。生温いことはできないのでナッツだとかチョコソースだとかありきたりなものは入れられない。自分の中で設計図を作り、どうなるか想像する。これは創作と一緒だ。料理とはネタでありアートであり縫い物であり粘土遊びであり数学の未解決問題を解く1つの仮説なんだ。元号だって創作なんだから、料理は、元号だ。今年は料理元年だ。このように料理には様々な解釈があり正解なんて存在しないのかもしれない。だけど、これが自分なりに向き合って出した俺の解答。ホットケーキミックス、卵、牛乳、高野豆腐、サルサソース、チーズ、あんドーナツ。(バターは使わなかった)

購入した商品


こいつらが俺の答えだ。さあ「料理」はこれをどう受けとる?

ぶつ切りの高野豆腐とちぎったあんドーナツをホットケーキの液体に混ぜた。

長方形のフライパンで焼いた。

チーズを乗せてオーブンで焦がした。

サルサを乗せて、できた。

ピザトーストの完成ではない。オリジナルスイーツの誕生だ。高野豆腐が硬くてナイフで切りづらい。だけど人間は小麦粉の前では誰だって怪力だ。

断面に光を差す

食べてみる。初めて作ったオリジナルスイーツの味は悪くないし良くもない。もしこのデザートを友達に出されたら「うん、」としか言いたくない味。食感は、真夏日に冷房をつけていない部屋に放置されて柔らかくなったプロテインバーみたいだ。失敗とも成功とも言えない微妙な結果に終わった。だけど、作り手の立場になったことで、次からお店で出てくる料理に、どんな背景や試行錯誤があったのか、想像して楽しめそうだと、新たな発見があった。それに、食材を考えているときは頭を使えて面白かったし、何回か繰り返して修正していけばきっと「おいしい」にたどり着けるはず。だからまた作りたいと思った。その矢先ハッとした。同じネタを何度もやって修正しながら完成形に近づけるやり方と一緒だと。いつも俺はそのやり方を選ぶ人たちに対して、創作に携わる者がPDCAサイクル回してサラリーマンみたいなことしてんじゃねぇぞ、一発で生み出せよと憤っていた。だけど、その過程は創作に必要なことだったんだ。こうやって自分のバカさに気づかされる度に間違った視点が減り、社会的には良しとされることなんだけど、お笑い的にはどうなんだろうかと考えたりする。わかっていながらわざと間違うのと、わかってなくて間違えるのとでは、後者の方が圧倒的に化物で、本物で、その化物から少しずつ人間に近づいていくことを悲しむ人もいるんじゃないだろうかと思ったりする。そんな方々にひとこと言わせてほしいことがある。お前のために生きてるんじゃねえんだよバッカァ!不味くなるのが、それほどおいしくないスイーツでよかった。

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銭ズラ