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2020/8/30〜9/5 日記(怒り悪態焦燥編)

8/30 日
朝、「ゴッドタン」見る。大して面白くない回。

昼、日記更新。
映画「グッド・ウィル・ハンティング 旅立ち」観る。実に感動的な映画。人はこうして分かり合っていくしかないのだということ。「思い切り血を流し泣かないと優しさが見えない」という豊田道倫の歌詞を思いながら観た。っていうか、エリオット・スミスを大々的に使う映画が悪いはずは無いのだ。

夕方、怒りが湧いて来る。ミュージシャンやライブハウスを敵扱いする奴等がたくさんいる。許せない。形を持たない物を、金に換算できない物を大事にしない奴等が許せない。
奴等は、音楽なんて無くたって人は生きていけると思っているんだろう。他人のために奉仕したり、自分のやりたいことを見つけて努力したりすることを曖昧に、偽善、とか、現実逃避、とか、無駄、とかなんとか言ってみせるのが正しくてクールだと思っているんだろう。ふざけるな。
ちょうどいい敵が欲しいんだろう。憎める相手が欲しいんだろう。安倍は辞める。SNSは荒廃していく。暴動も疫病もあるこの世界。今の世界は、お前等が無意識下で望んでいる世界じゃないか?平和を祈るような面して、本当は争いを続けたいんだろう。クソでも垂らしとけよ。平和のために戦おう、なんて、そりゃただの矛盾だ。

(このように、自分の中の攻撃性がだんだん巨大になっている。引きこもって、ツイッターばかりして、いいねやRTの数値の中でばかり物事を考えているせいだ。本当にくだらないのは俺だ。思考していないように見える人だって、実際は奥底で思考し続けているのかもしれない。俺は浅はかだ。)

夜、テレキャスターカスタムの弦交換。新しくフェンダーの弦を張った。
破壊的なハードコアパンクを集中的に聴く。頭は怒りで一杯。自分への怒り、大衆への怒り、総意への怒り、資本への怒り。人を騙す奴等が許せない。人を煽り、内心バカにしながら利用する奴等はクズだ。愛されたい癖に、人を愛さない。信頼が欲しい癖に、人を信頼する勇気を持とうとしない。世界中、そんな奴ばかりで吐き気がする。
(我を見失い始めているのが分かる。つらい。なんでこんなに腹が立ってしょうがないんだ?)

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積ん読


8/31 月
ついに8月も終わり。気が遠くなる。嫌だなあ。あと四回これを繰り返せば正月だなんて信じたくない。時間は朽ちていく。身を削る。嫌な予感ばかりが満ちる。傷付くぐらいなら何もしたくない、ベッドでずっと眠っていたいとすら思う。

しばらく聴いていなかったフランク・ザッパを聴いている。「Roxy & Elsewhere」。疲れているからか、実に陽気な、おもちゃ箱みたいなザッパ・メロディーが精神に良く沁みる。ザッパは小学生の頃よく聴いていたが(我ながら滅茶苦茶な小学生だ。そりゃこんなねじれた大人になる訳である。)、また時を経て再会した気分だ。ザッパの声は優しい。彼は世界を糾弾しながらも、大きな愛を持っていた人なのだろうと思う。

聴覚過敏のはずなのに、音楽だけは聴ける。音楽以外の音が物凄く不快。テレビや街の音が不快。でも音楽は聴ける。これはどういう病気なんだろうか?

昼、エレキギターを弾く。ブースターとしてアングリードライバーを追加。JHSモードが使える。ジョニーマー並みに巧くなるまでは弾く。どうせこれ以上は巧くならないだろうとも思ってはいるが。

動画編集。今日はMV製作。

8月が終わってしまうのが何か酷く悲しい。毎日いちいちセンチメンタルになるのは、何か色々なものを失いながら生きている感じが常にあるからだ。金、健康、行動の自由。
この時代に生まれ落ちたこと自体が試練だ。明日にはまた何かが終わっているのかもしれないのだから。
感性を研いでいる内に一生が終わってしまう予感すら漂っている。結局、何者かになれているという感触が無いから苦しい。日々楽しくないのは自分自身が退屈な存在だからだ。

ツェッペリン「プレゼンス」を久々に聴いたら、格好良かった。「Tea For One」はやはり格好良い曲だ。


9/1 火
とうとう九月だ。悔いは無い。しかし満足も無い。
九月になったのに、いい事なんかありゃしない、と歌ったのは清志郎。RCはアコギで演ってた頃が最高だ。「悲しいことばっかり」というライブ盤を聴いた時は衝撃であった。そこには魂が震えて来るような叫びが在った。怒りがあった。悲哀も。孤絶も。不遜かもしれないが、俺は共鳴した。
ああ、音楽と言葉のことだけ考えて生きていたい。それ以外のことはなるべくなら考えたくない。こんな気持ちは愚かだろうか。狂気だろうか。怠惰だろうか。湿疹は治って来た。

午前中はエレキギター弾く。アングリードライバーをブルースドライバー技に入れ替える。何度エフェクターを入れ替えても最終的にはマルチストンプ→ダブルロック→ブルースドライバー技になる。ブルースドライバーが一番ギターソロに向いていることを再確認。例えるなら、騒がしい時のゆらゆら帝国みたいな音になる。

モリッシーの、「Hold On To Your Friends」聴きながら感じ入っていたら、怒りが満ちて来た。
(この世は嘘臭い言葉ばかりだ。ああ、正義なんかゴミだ。人が純粋な心を持てる、なんて嘘っぱちだ。人は不器用にしか生きられないのだ。いい加減それを社会が認めるべきだ。
みんなで頑張りましょう、とか、あの汚い政治家を許すな、とかそんな言葉は最早聞きたくない。そんな言葉で何が解決できるんだ?何を理解できると言うんだ?
ああ、見るもの、感じること全部が嘘臭い。臭すぎて、立ち込める嘘と嘘と嘘の臭気で吐きそうだ。もう、人のためにならないことしかしたくないわ。快楽だけを振り撒きたい。必死で音を鳴らしたり何かを描いたりして、脳にエクスタシーが現れたら、もうそれだけで満点。そういうことにしないか?
日本社会は快楽主義にシフトすべきだ。日本人は我慢強い。しかしそんな、辛抱とか、国への奉公を大事にするような精神性を美徳としてきたこの国の教育は、はっきりと失敗である。全くモダンでない、虚無の教育だ。日本。イコール、肥溜め。築き上げた文明なんて衰退してしまえばいい。日本は糞だ。もう俺は俺の世界で生きる。お前等に寄与してたまるか。)
冷静になるためにダニエルジョンストン聴く。オルガンをガチガチ押す音がパーカッシブである。スピーディング・モーターサイクル。ホッホウー、ホッホウー。

夕方、いおりさんとの新曲「Rush Hour」をYouTubeにアップ。

常に不安だ。今存在している交友関係や社会的立場が壊れることが怖い。だが、いつ何が起こってもおかしくないのが今の世の中だ。明日には何もかも失っているかもしれない。その可能性を思うと背筋が凍るような気持ちになる。でもそれが生きていくということの本質だ。俺はまだ腹を括れていない。そういう不安に駆られるのは覚悟と優しさが足りないからだ。

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三種の神器


9/2 水
水曜だ。何か成せたような、成せていないような、不安でナーバスな気持ち。嫌だなあ。時間が身を削る。苦い味が残るような毎日。砂を噛むように、泥を啜るように、毎日が苦くなって朽ちていく。働けば楽になるのか。働いても、また病んでいく可能性ばかり感じる。じゃあどうやって食っていくんだ?と悪魔が隣で尋ねている。答えは出ない。

今日は世界に対する怒りはあまり出て来ない。作品出してひとまず安心したからだろうか。やはりアウトプットしていくことでしか俺は救われないようだ。仕事すれば金は得られるが、明確に鬱になる。

夜、「あちこちオードリー」観る。パンサー回ほどじゃないが面白い回。まあこないだは半分笑いというより狂気的だったし、平常運転に戻った感がある。

ストゥージズのライブ盤「Sadistic Summer Live 2011」聴いて滾る。全てが無茶苦茶でワイルドで肉厚で格好良い。


9/3 木
9月3日。ドラえもんの誕生日。だからどうということもないが。
朝、二度寝したら中学の時の友達が夢に出てきた。

ダフトパンク「Discovery」は色褪せない。もう誰もこのアルバムの話してないと思うけど、かじり付くように聴いていたこのアルバムは俺にとって特別だ。

本も読まず、曲も作らず、音楽だけ耳に詰め込む日。でも、こういう日が後々活きてくる。

夕方、どんどん気持ちが空っぽになっていって怖かった。怒りも悲しみもなく、ただただ漠然な不安がまとわりつく。今生きているこの世界や人との関係が壊れてしまうことを恐れ過ぎている。ふとした瞬間に誰か/または自分が死んでしまって、二度と帰って来なくなったっておかしくない世の中だ。というか、それが生きていく上での、ひとつの定かなルールだ。ああ、こんなこと気にしてもしょうがない。別れる時は別れるし、出会う時は出会う。ただ世界をふらふらと漂うしかない。いざ老いぼれて死ぬ時に、何を成し遂げられた訳でもないと認識して悔しがるのは嫌だから、あの手この手やっていくしかない。

ああ、皆の疲れや悲しみが少しでも快癒しますように。皆が苦しまず生きられますように。と思いながら、寝る。


9/4 金
金曜。今日は新しいラップの曲をネットに上げないといけない。タイトルは「Safe From Harm」。夕方上げることにする。
独りで自立しているミュージシャンにならなければという焦りがある。独りで多くのことが出来て、豊かで濃い創作物を作れることが大事だ。そして人間としての評価、信頼を早く定めないといけない。身を削るようなつらさはあるが、それだけはちゃんとやらないといけない。
もう、人間として生きることがつらい。犬や猫みたいになれたらいいのに、と思う。犬や猫はやりたいことに一直線で、欲望に正直だ。人間は欲望を抑制することで世間体を保とうとするが、そういう人間の自粛的な在り方がひっくり返るような事象が起こって欲しいと思う。
もう早く正月になって欲しい。毎日焦燥感、無力感でつらくてたまらない。

午前中から昼は録音、ミックス、マスタリング、ファイル交換。
夕方、新曲「Safe From Harm」YouTubeにアップ。
夜は寝る。


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楽しいことだけを楽しみたい


9/5 土
早くに目が覚めたが、それがどうしたというのか。二度寝を繰り返す。まったく良い御身分だ。良い気なものだ。愚かだ。アイヘイトマイセルフな気分でダラダラと生きるだけ。負けること、悲しいことから逃げているだけのたやすい生き方。これが俺の理想だったんだろうか。社会的にはダメだろう。しかし芸術的には努力している方だとは思いたい。思いたいが、どうなんだろうか。まだまだ自分の人間性の明確さに自信が持てない。これでいい、こうやって生きていくしかないということは数々の経験から分かり始めている。

ロバートグラスパーを聴いて気分を盛り上げる。ああ、部屋にばかりこもっていると狂いそうになる。だが、街に出ても沢山の監視する目を感じて狂いそうになる。結論、全部ダメ。
マジで、なまじっか良心や正義感みたいな意識を山のように持ってるからつらい。別に生き様なんか適当でいいじゃん!悩むだけバカじゃん!と開き直れたらどんなに楽だろうか。誠実であろうとするほど、真面目に生きようと努力するほど病んでしまうのが人間の性分で、それはとてもつらいことだと思う。

明日から大型の台風が来る。世界にじわじわと、今一度の裁きがもたらされるのだ。もう、分かり切っているのは、世界がどれだけ変わっても歪んでも、人生はそのままズルズルと続いていくということだけだ。
しばらく動画の更新はストップしようと思う。ここまで作ってきた曲を浸透させる時間を取りたい。過去作品の宣伝を定期的に行い、新曲は一旦出さないことにする。



来週に続きます。

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