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2021/2/14「ゆるふわアンビエント」無事終了、によせて一筆。

朝から眠り続けて、これじゃだめだとパソコンを点け、DTMに齧り付いたが結局何の成果も得られなかった。どうやら、昨日のイベント「ゆるふわアンビエント」でメロディーもビートも絞り尽くしてしまったようだ。何も出ない。何も考えられない。

「ゆるふわアンビエント」は、ライブではない、というコンセプトのイベントだった。しかし音楽を生で聴けるのだからそれは一種のライブとも言えたはずで、アンビエントとは何なのか。というか、そもそも音楽を奏で、他人に聴いてもらう意味とは何なのか、という、永劫のクエスチョンがそこには現出していたと思う。

当たり前だが、ライブをする時にはそれなりの意味が無くてはならない。ただ楽しいからやる、とか、仲間に聴かせたいからやる、だけなら、カラオケなどに行けばいいのだ。必然性なくライブをひたすらやるだけの音楽活動では、自分たちの音楽を自ずから、いたずらに消費しているだけになってしまう。
だが、ライブをする意味とは何なのか、と頭でっかちに考えているだけでも、自分の動きに瞬発力が出ない。では、どうすればいいのか。
こんなに混乱した世の中では、誰も無思考ではいられない。生きる意味を誰もがどこかで問い、問われ続けているような緊張感から誰も逃れられない2021年2月に、演奏した。狂った季節が、熱っぽく辺りを飲み込んで、人をのっぺらぼうにしようとする中で。

会場はmado.という洋服屋で、打ち合わせに出向くと、そこは9万円の服が普通に置いてある木造の、まるで店中がビンテージギターの一部であるかのような場所だった。これはいいぞ、と思った。洋服屋で生演奏とは、相当良い。誰もが出来ることじゃない。スペシャルな経験だ。ここでライブをすれば、その行為自体がひとつの、画一化された社会のムードへの問いになる。
誘って下さったChu Makinoさんは鹿児島で活動するボイス・パフォーマーで、まあ不思議な音楽をやる方である。あのサウンドに類する音楽は他に思い付かないけれども、もう何をやってもChuさんの音楽になるくらいの個性を持ったパフォーマーであると言えよう。
そして、Chuさんは言った。「1時間半ぶっ続けで演奏せよ」と。1時間半?そんなに長く演奏したら身体が溶けて、音楽になって、二度と戻れなくなるのではないか。ああ、でも三時間くらいワンマンでやるミュージシャンもいるにはいるしな、など色々考えて、まずはギターの練習量を増やした。部屋で、エフェクターを何度も変えた。リバーブと小さなディレイが決め手となり音が決まった。途中、ものもらいが出来て眼科に行き、目薬を差して治すなどをしていたら、当日になった。

日曜の昼間から荷物をmado.の二階に運び、セッティングをして、ゆっくりとアンビエントが始まる。
Chuさんが先に演奏された。何があってもぶれない、あのボイスがルーパーで色とりどりに重なっていく。ゴトンゴトン...ゴトンゴトン...電車の音だ。ポータブル・キーボードから出力される電車の音に気が遠くなる。今自分がどこにいるのか分からない。
宗教音楽の如きボイスの重なりが店内を漂い、集まりし人々は聴いたり、聴かなかったりを繰り返す。聴いてもよいし、聴かなくてもよい音楽。それがアンビエントなのだ。理屈でしかないがそれは確実で、そういう意味においてChuさんのソウルは完璧にアンビエントとなっていた。素晴らしかった。

Chuさんによる1時間半の演奏が終わり、今度は自分の演奏。気を引き締めてアコギを弾き始めたら勝手にメロディーが降り注いで来て、ああ、これをとにかく魂の純度を100%にして出力せねば、という気持ちで、ギリギリ理性を保ってエフェクターを操作しながら演奏し続けた。カポも使い、家にあった金属類も使った。60年代の古めかしいジャパンビンテージ、ヤマハダイナミックギターはダダリオのフォスファーブロンズを張られて甘く響く。
ああ、ギターが弾けて良かった。10年弾いて、速弾きもスラップもまったく出来ないけど、弾ける。奏でられる。紡げる。何かを紡げることが重要だ。ひどく鬱いだブルーな気持ちから、小さな幸せをなんとか紡ぎ出すために音を鳴らす。それが営為として深遠に磨かれて、アンビエントが出来上がる。最高の景色が見えて来る。今、わたしは、紅葉に満ちた山々の上を、ゆるやかに、快楽的に、浮遊している!
声が出た。最近使えるようになったファルセット。これによって更なるエクスタシーが魂の中に生み出され、赤いリバーブと青いディレイが気流を揺らし、美しいオーロラを現像してみせた。これがやりたかったんだよ、と思った。10年前から、自分は、この音を出したかったのだ、この音しか出したくなかったのだ、と気付いた。ありがとう、ギター。ありがとう、エフェクター。ありがとう、ありがとう、みんな......。

70分過ぎ辺りから、徐々に滑空が損なわれていった。ああ、地面が見えて来てしまう、エクスタシーも、紅葉の山々も、撹拌されて消えてしまう......。当たり前に、飛んでいる人は落ちる。落ちる時は落ちる。
それでも飛ぼうとした。ブルースドライバーを踏み、音の渦を作ろうとした。しかし悲しいかな快楽の時は既に終わりを告げていて、自分は行き場を失ったシンデレラのような者になっていた。そして、時間は18時になった。演奏時間は終わりだ。拍手が聞こえて、夢から覚めたように辺りを見回すとそこは、ビンテージな木の板に囲まれた洋服屋の中だった。そうだった、自分は鹿児島に住んでいて、これから家に帰らなきゃならない。

荷物を片付けて、御挨拶をして、店を出る。雨が降り始めていた。
Chuさんたちに車で運ばれ、ふく福で、みんなとカツ丼を喰らう。ノイズキャンセリングイヤホンからアタリ・ティーンエイジ・ライオットが流れている。これが無いと正気が保てないのだ。あまり会話が出来ない。でも、都市の喧騒は耳に痛くてきつい。皆様、あまりお話が出来なくてごめんなさい、という気持ちで米と肉と卵と玉葱を掻き込む。店内では子供たちがはしゃいでいる。子供たちよ、その声を枯らさず、保ち続けなよ。この世には抜け目なく、哀しい呪いが組み上げられているから。

雨はどんどんと強さを増し、家に帰り着く頃には土砂降りだった。まるで現実社会の暗い痛みを克明に知らせるかのような雨粒が肩に食い込んで、冷たくて。さっきまでの興奮や紅潮が嘘のように、街はコールドだった。
そんなもんか。やっぱり街はそんなもんか。畜生。負けないつもりだ。勝てる。勝てる。なぜか?アンビエントがあるからだ。ギターがあり、エフェクターがあり、共に演奏する仲間がいるからだ。孤独や嘘や真実や焦燥を音楽に変えていく。その果ては虚無では無いと、今なら信じられる。今日味わうことが出来た、あの舞い上がるように幸せな演奏体験は幻ではない。

風呂に入り、夜を眠る。夢を見た。紅葉の山々を飛んでいく夢だ。目の前に広がるのは美しい紅の葉のひとつひとつだけで、空は真っ青で、どこまでも行けてしまいそうだ。
おもむろに地上に降り、歩く。すると老婆たちが声をかけて来た。

これ以上行くと、帰れなくなってしまうよ。

声を聞いた瞬間、恐怖を感じ、早く目覚めようともがいて、目が覚めた。いつもの部屋。スピーカー。携帯。布団。助かったようだ。
いつもの朝食。いつものように二度寝する。いつものようにDTM。ここで文章の最初に戻るわけだ。
アンビエントが産むエクスタシーの危うさを知った自分は、これからをどう生きていくのだろう。とりあえず、ライブをする、しないは置いておこう。人前で何かを示すとか、誇りを探すとかより、まずは、音楽の中にいることが大事なのだから。今はイヤホンでオリジナル・ラブを聴いている。上々だ。勝ちだ。
Chuさんの「ゆるふわアンビエント」は意義のあるイベントだ。これは、何かを問いたいと願う人間がいる限り、何があっても続くだろう。街の混迷のさなかで。社会の清濁を誠実に呑み込みながら。音楽の中で。そこには、誰かに捧げるものとしてでなく、ただ、終わりなき営為がある。そのマインドの一部に成れたことが、とても嬉しい。

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