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親に反発しつづけていた俺の心の叫び声は、やっぱり、俺自身にとって優先すべきことは何か、を主張していた。

サンクスです。  

先日、友人に相談をした。

最近、noteを始めたんだけど、
・まずは、自分が書きたいと思ったことを、自分が思うように書くべき
なのか、
・巷に溢れているノウハウ本とかやり方を参考にして真似するべき
なのか、迷っているんだよね。って話を。

  友人は、
「お前はどうしたいの?」
と、聞いてきた。
俺は、
「いや、自分のやりたいようにやりたいに決まってるじゃん!でも、いざ書いてみると、自分の技術の未熟さを痛感して、やっぱり、言われたように真似して学んだ方がいいのなって思わなくもないんだよ。」
と、答えた。

  そこから、話は変わり、
「学生の頃、卒業したあと、働き始めることを想像できたか」
ということの話になった。

  友人は、
「私はイメージしてた。」
と言った。
  俺は、
「中学生の頃、漠然と、自分は大学生になるんだろうなって思ったことはあるけど、想像できたのはそこまでで、実際、高校生、大学生、ってなっても、卒業後に自分が働くっていうイメージは描けなかった。」
と答えた。高校生の頃からずっとアルバイトはしていたが、描けないままだった。

  そんな話のなか、俺はあることを思い出した。

  それは、就職活動が始まったとき、初めて、「自己分析」というワードに出会ったときのことだった。

はじめての自己分析

  その、自己分析というやつは、こう言ってきた。

あなたのこれまでの人生で興味をもったことはなんですか?

と。

この問いに出会ったとき、俺は、

「はああああああああああああ???????」

となった(笑)。どうしてなのかというと、

「興味もったこと、犠牲にして勉強しろ!ってなかで育ったんですけど!」

と、思ったのだ(笑)。

「え?なに?興味持って良かったの?実は。うちじゃ、興味持つ対象は、全て遊びの延長だと認識されて、やっちゃダメって言ってたゾ!」

「いい大学にいけば、目的達成じゃなかったのか?」

「勉強やれって言われたから、やりたいこと我慢してここまでやってきたのに、やりたいことなんですか?ってここで聞いてくるのかよ!そんなん聞いてないぜ!」

と、これまでの価値観を根底から覆されるほどの衝撃を受けました。

いやーショックでしたね。。。。

じぶんにとっては、ここまで来てふりだしにもどる。

くらいの感覚。

そこから、目覚めたかのように、日本で一番売れている漫画を出している某出版社を受けてみるも、あっけなく惨敗。。。

そのとき、Yahoo知恵袋で、

某出版社で編集者になりたい中学生です。夢を叶えるために、どんな大学に行って、どんなことを学ぶ方がいいか教えてください。

という質問を見て、

そっか、俺が受けた会社は、やりたいことが何かってことを、小さい時から追求できたやつが、こうやって準備して受かるものなんだ。」

「そりゃあ今の俺が、いきなり受けようとしたって無理な話だな。スタートが違いすぎる。」

と、思ったことを思い出したのである。

子供の、「遊びたいっ!」
は、のちのちの人生設計に関わる


そして思考は更にさかのぼり、じぶんの幼少時代に行き着いた。

そのころは、遊び盛りだ。

とにかく遊びたかった。

でも、親からは、
・ピアノの稽古
・習字
・そろばん
・英会話教室

などなどを強要され、親が口を開けば、

「勉強しなさい!」

の一択だった。実際、兄は言われすぎてノイローゼ気味になり(可哀想に目の前でゲームボーイを叩き壊されたのである。)、勉強に対して拒否反応が出て、さすがにこれ以上は言ってもダメだと親も悟ったのであろう、しわ寄せは俺1人にきた。

 でも、俺は反発した。

  読者には衝撃であろうエピソードを上げれば、親が俺を遊びに行かせないために、家のピアノの足に身体を縛りつけてきたこともある。小学3年生くらいのときだ。

それでも俺は反発した。暴れまくった。

それからは、忍び足で家を飛び出して友達の家に逃げ込む術を覚えた。
365日中、360日は逃げ回っていた。

友達の家でも好き勝手には出来なかったけれど、
逃げられればなんでも良かった。家よりマシだった。

流石に来過ぎだろうということで、友達にも疎まれた。

だから、気を使ってか、友達がやりたいことに渋々付き合った。

主体性を手放した。

当時の俺には、やりたいことを我慢してでも親に反発することを選ぶしかなかった。

 じぶんの過去を掘り下げると、こういう記憶ばかりだ。

残念ながら、過去のじぶんには、やりたいことを育てる土壌がなかった。

主体的に遊ばないと、興味関心は育っていかない。

でも仕方がない。それどころではなかったのだから。

自分自身を大事にするっていうのはこういうことか

そのあと、度重なる受験戦争に巻き込まれ、なんとか大学に入ったはいいもの、大学に入学することそのものが目的だった俺は、

自己分析でガーーーーーン!!!!

となったって訳だ。

その後、内定が決まるも、

「これまで考えられなかった、自身の興味関心について、もっと考えたい」

という考えから、内定を蹴って、さすらいの生き方を選んだ。

そこから、色んな挑戦をした。

でも、まとめると、やりたいようには、やらなかった。やれなかった。

色んなノウハウを学んでは試した。

しっくりこなかったけど、やった。

でも、結局、思うような結果は出なかった。

そこにいつも存在していたのは、

「やりたいようにやっては上手くいかない」という思い込みだった。

他人の、成功したからったら、こうした方がいい、ああした方がいい、ということに従ってやっていた。主体性をまたも、遠くに置きながら。

でも、そこになにか違和感を感じていた。

ずっとずっと、毎回毎回、感じていた。

俺の心は反発していた。叫んでいた。聞いてくれ!と。

他でもない、自分自身に向かって叫んでいた!

違う!人の言うことを聞くんじゃない!じぶんの思ったようにやれ!

。。

。。。

「答えは、出たかい?」

友人の一言で、我に返った。

「ああ。反発っていう俺の心の叫び声を、ちゃんと聞いてやる。それが自分自身を大事にするってことなんだな。だから、noteも、思ったようにやるよ。」

そう俺は答えた。





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