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面倒くさいと思っていた決まり事や古くからの慣習はなんだかんだでスムーズにコトが運ぶためにあるんだと気がついた日

どーもサンクスです。

今日はですね、改めてビジネスマナーの本を読んでいたのですが、

まぁ、文書関連が「めんどくせぇな」と思ったわけです。

「拝啓、早春の候、貴社の益々の繁栄をお祈り申し上げます。〜中略〜 敬具」

みたいなアレね。

ダルくない?ぶっちゃっけ。

実際どれくらいの企業さんが今でもやっているのか、

というか、部署によっては、そういう書類仕事に全く関わらない現場の人とかいるから、どこまでがやってるのかは知らないのですが。

みんなやってるの?アレ。

サンクスは、しっかりとやったコトないので、「大変そー」と思って眺めていました。

でも、なんだかんだ出来た方がスムーズなんだよなぁ

そうなんです。

ホントは、面倒くさくて、「こんなの未だにある意味が分からん」って考える派で、習得も何もボイコットしてきたんです。

あなたにもこんなようなことってありません?

たとえば、使ったモノを元の位置に戻すかどうか。みたいな細かいこと。

あーゆーのって、別に一人で暮らしていたら、後で自分が、「あれ?どこ置いたんだっけ?」と困るかもだけど、人には迷惑かけてないからいっかみたいなやつですよね。

でも、誰かと暮らしていたら、迷惑になるわけです。

でも、癖とは恐ろしいもので、知らぬうちにそういう、他の人から見たら、「これ、片付けろよ」って思われそうなことをやっちゃったりするわけです。

でも、これまでは、

「気が付いた人が片付けてくれれば良いんじゃね?なんでそんな怒ってるん?」っていう派でした笑

「というか、俺も気が付いたら片付けたりしてるし。多めに見てくれても」とか言って笑

【お互いさま】という言葉を自ら出すときは、実際は相手に負担がかかっているということを知らない状態。

実際は、面倒くさかったからやらなかった。という自分を正当化してるってやつですね。

正当化になっている場合は、ぶっちゃけ人に迷惑かけているんだなと、サンクスは最近になってわかりました。

つまり、片付ける側になったとき。

イメージ的には、子供から親になったみたいな。

ンマー、親側にも言い分があるんだなと言うのを、自分が親になって初めて実感する。

または、親のやっていた家事を代行するようになって知るんですよね。

そして、なんだかんだ、片付けがちゃんとされている方が、家事を手伝ったりする方が、そして冒頭のしっかりした文書を書けるようになっておいた方が、よかったりするんですよねぇ。

なんていうか、社会の共通点というか、常識というか、

昨今では、「常識を疑え!前例なんて無視してやろうぜ!」って波もあって、それがなんかカッコいいからサンクスもそっち派をきどっていたんですが、すみませんニワカでした。

というか、そーいう、面倒なことや、周りがやっていること、決まり事、慣習っていうのは、【秩序の維持】という観点から大事なんだと知りました。

もちろん、要らないものもあると思いますが、

なんでもかんでも前例なんて!となるのも違うんですよね。

これは、色々と経験したから、今ではそう思えるって話なんですが、

そういう、「みんながちゃんとやっとくべきもの」がちゃんとされていると、スムーズに進むんですよね。物事が。

そこで、あーだこーだいうと、いつまで経っても本題に辿り着けないんです。

でも、これまでのサンクスは、気になったことを片っ端から、「こんなの早くなくなればいいのに」と、それぞれの存在理由や意義を軽んじていました。

でも、最近では、逆の立場になって考えが変わりました。

「あー、みんながちゃんとやるべきことをやらない人は周りにストレスを与える可能性があるんだ」と。

サンクス、反省しました。

面倒くさいやつでした。

なのでね、まぁ、これからは変に軽んじたりせずに、まずは無難にこなせるようにしておく。

当たり前のことを当たり前にやって、話したいこと、やるべきことに集中する。

これをブラさずにいきたいと思います。

それではまた!明日!

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