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本の魅力は、本筋だけではない部分の描写と、作者の引き出しの多さなんだと改めて思わされた。

変な天気だ。
少し雨が降ったかと思うとお日様が出てきたり、お日様が出たかと思うと雲隠れしたりしている。気分屋さん。

「呪いを解く者」フランシス・ハーディング読了。
ファンタジー作品。そうファンタジーだ。
でも、精神論や表面的な善悪なんかを書いた風に見せてる、それらしい体をしたしかめつらしい本を読むよりよほど考えさせられた。

ケレンという少年とネトルという少女の冒険。
そう言ってしまえばそれだけのこと。
ファンタジー作品なんて大筋はそんなもの。

冒険が始まった理由、その冒険の旅の途中がどんな世界で、どんな出来事が起こって、どんな人に会って、行き着く先はどこなのか、旅の途中、何を感じ、その旅が終わった時、主人公やその周りの世界がどんな風に変わるのか、変わらないのか。

読み終えた時深く心に残るのは、たった一行の言葉だったり、想像すらした事がない景色の描写だったり、旅に関わった人達の心の動きだったり、少年と少女だからこその必死でやりきれなくて、それでも旅をやめなかったからこそ得られる純粋な成長だったり。

旅が終わった時、ふと考えた。
「怒り」と「憎しみ」の違い。
「怒り」を覚える事を良くないことだとは思わない。人の感情を表現する言葉の中では悪い種類のように思われがちな気もするけれど「怒り」は外に向かうエネルギーだと思うから、心に「怒り」が生まれたら発散させればいい。

発散の仕方は人それぞれで構わない。
経験上「怒り」は長く溜め込む事はできないし、ずっと怒り続けていることは難しいと思っている。

自分のものだったら、皿を割ったっていいし、1人で車を飛ばしながらこれ以上出せないっていうくらいの大声で叫んだっていい。悪態をついたって構わない。
他の人に迷惑をかけないやり方を見つけて「怒り」をエネルギーに変えて出しちゃっても悪いとは思わない。

「怒り」は、その矛先を「怒り」を覚えたものや人に直接ぶつけなくても外に出せるエネルギーだと思うから、何かに置き換える事で上手に付き合えば、やり過ごせる気がする。

でも「憎しみ」は外に向いているようで、内に向かうエネルギーだと思う。
池に少しづつ溜まっていく澱のように、流れのない水中に積み重なって、気がついた時にはあまりに重くて簡単には取り除けなくなってしまう。

もちろん池にも小さい池や大きい池があるように、人のそれにも大きさの違いがあるんだと思う。

積み重なった澱が水面を超えてこなければ、その池はキラキラと太陽を反射し、風が吹いたら水面が揺れて、外から見たら表面的にはその下にそんな澱を抱えているようには見えないかもしれない。
それでもその澱を抱えた池の水は確実に澱んでしまう。

人間らしさってなんなんだろうと思う時、色々な感情が生まれるのもそのうちの一つなんだろうなと思う。
その中には簡単に言い表せる感情もあれば、自分の中から出てきたものなのに、それがなぜ、どうして湧いてきたのかわからない感情もある。

ある感情が生まれた時、どうして?なぜ?それで?としつこく考えるようにしている。そのわけのわからない感情をそのままにしておくと、何か大切なことを見落としてしまう気がするから。

そうやって、色々と生まれてくる感情を自分なりに濾過してから、外に出すなり、心にしまうなりしようと思っている。

でも「憎しみ」という感情は、ただの普通の人間として平凡に生きてきた私には、ありがたい事にあまり覚えのない感情ではある。
「憎しみ」を覚えるほどの出来事にも遭遇したこともないし、時々心の澱になりそうな思いがあるとしたら、自分を責めてしまいそうな気持ちが生まれた時だ。

「あの時、ああしておけばよかった」とか「あの時、ああ言えばよかった」とかそんな感じ。でもそれは自分に対してではなく相手があること。
「ああしてあげればよかった」とか「ああ言ってあげればよかった」の方が表現としてはしっくりくる。

人間である以上、感情に左右されないことなんて難しいと思うから、自分に生まれた感情は全てきちんと抱えて、自分なりに整理して、客観的に見れるように引き出しにしまおうと思っている。
誰かに渡すこともできないし、誰かに盗まれることもない。
どんな感情でも大切な自分のもの。

使われる言葉の一つ一つ、風景の描写、不可思議な生き物たちとその生き物が存在する理由、タイトルが「呪いを解く者」だから、読み始めは「呪いを解く者」のケレンと、一緒に旅を進めるネトルが主人公で、そちら側が善だと思って読み始める。

読み進めると当然「解く者」がいれば「解かれる者」がいると気づく。
そして、その呪いがなぜ生まれたのか、なぜ、その人にかけられてしまったのかを知る事になる。

「善と悪なんて、立ち位置によって変わるんだよ」なんて使い古された言葉だし、訳知り顔で言われても「そうですね」としか思わないが、この本を読み終わった時、その訳知の顔の人間に「だとしたら、そういう言葉すら必要ないですよね、それにもしそれが当たり前の事実だとするなら、それをもっと他の言葉で私に納得できるように説明してくれますか?」と言える気がする。

訳あってケレンに寄り添いながら旅を続けるネトル。
持ちたくもない秘密を抱えながら度重なる不安に晒されても、自分で考えることを忘れず、冷静な判断で言葉を選んでいく。

ネトルの心で一度濾過された感情から発せられる多くはない彼女の言葉の中に、善悪を超えたその世界での真実が見える気がした。

多分、いつかまた、もう一度読むと思います。



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