創作学生百合短編小説 タイトル:恋なんてするものじゃない


 私、佐藤ユウカは同級生であるところの弓塚ミズキさんに告白しました。
 そしてフラれました。
 「ごめん、ユウカちゃんのことそういう目で見たことなくって……」という完璧なフラれ文句で完膚なきまでフラれた。「そっか、アハハ、ごめんね、変なこと言って! いいのいいの、一回言っておきたかっただけだから! アハハ!」笑顔で言った私の頬は攣りそうだった。「これからも友達としてよろしくね!」なんとかその場を切り抜けて、「うん、ありがとう」というミズキの声を背にして、気付いたら家に帰っていた。体調が悪いと言ってする約束だったお母さんの手伝いを休んでしまった。
 「……フラれたのかぁ」
 学校の制服を脱ぎもせずベッドに突っ伏して、出した声は湿っぽかった。
 「はぁーあ、イケると思ったんだけどなぁ……」
 なんとか自分の中で悪くない、悪くないと消化したくて、努めて明るい声音を目指す。でもそんなのは無駄な努力で、結局私は布団を握りしめながら嗚咽を漏らし始める。
 本気の本気で好きだった。「一回言っておきたかっただけ」なんて程度のものじゃない。人生初の、焦がれるような恋だった。
 華奢としてすらりとモデルみたいで憧れる。短髪で健康的な肌の上のそばかすがかわいい。笑うと目が線になったみたいで小動物みたい。歯並びが良くて、犬歯に野性味を感じる。バドミントン部のエースで、普段の大人しさから考えられないくらいパワフルでかっこいい。あと優しい。
 そんなミズキを好きになる以外考えられなかった。全身全霊で好きだった。
 その結果がこれだった。あれだけ想って、想って、想い続けて結果がこれだった。割に合わない。好きすぎて想いが反して憎いとすら思いそうだった。でも好きだ。やっぱり好きだった。
 「ううううううううう」
 歯を食いしばりすぎて吐きそうだった。気持ち悪くなってもっと涙が出た。惨めだなぁ、と思った。考えること全部に黒い靄がかかっていて、自分の行動全部が失恋の原因な気がした。最悪だ。死にたい。そんなことを考えているうちに夜が明けた。
 
2 
 「おはよう、ユウカ!」
 「ん、おはよ」
 教室に入ってきた私は、あくびを噛み殺しながら友人に返事する。出発する前に鏡を見てきたら案の上酷い顔だった。化粧禁止の学校ではないけれど、この顔を直すことができるくらいの元気は私に残ってなかった。
 「顔やばくない? どうしたの」
 「昨日寝れんかったんよ」
 「えやば。失恋?」
 友人が冗談交じりに聞いてくる。その瞬間、教室の扉が開かれる。そこにいたのはミズキだった。私と目が合ったミズキは気まずそうに顔を逸らす。私はそれに少しだけ、本当に少しだけムカついた。なんでそっちが気まずそうな顔するわけ? そっちはフッた側なんだから堂々としてよ。
 「そ、失恋」
 わざとちょっとだけボリュームを大きくした。ミズキに聞こえるようにしたわけじゃない……ということにしておく。友人は「えーっ! ユウカ恋してたんだ!? やばー!」とどういうわけか嬉しそうだった。能天気すぎて逆に救われる。
 「どんな人? かっこいい? それともワイルド系?」
 「どっちかっていうと可愛い系かな」
 「可愛い系?」
 「うん、そんで大きい。大きいけど笑ったら可愛いんだ」
 「犬系か! いいなぁ、うちもそんな恋人欲しい」
 「セイラならできるよ。いい子だし、かわいいし」
 私がそう言うと、セイラは一気に顔を赤くしてしどろもどろにありがとうだのでもユウカもかわいいしだのユウカがフラれるくらい恋愛が厳しいならうちなんてだの言ってきて面白かった。
 その日一日はいつもより気持ちが穏やかだった。頑張るための目標が無くなったからなのか、気を張らなくてもよくなったからなのかは分からない。
数日と経つにつれ、失恋の痛みは心の底に沈んでいって、あまりに深く沈んでいくものだから掬い上げることもできなくなっていった。世界が終わるかと思うくらいの辛さはあっという間に日常に溶けて無くなった。
 恋をすると目に映るものすべてがキラキラして見える。そして人を好きになれた自分も好きになる。確かにそうだった気がする。でもそれは私にだけそう見えてるだけで、世界も自分もそう変わってないのだ。そして、恋というフィルターが消えた後の世界も自分も、そんなに悪くないのかもしれないな、なんて思えた。
 


 ある日、家のお手伝い────うちでやってる喫茶店の手伝いをしている時。カランカランという呼び鈴が鳴って振り返ると、そこにはミズキがいた。
 「あっ……」
 また気まずそうな顔。友達と来ているようで、今日はバドミントン部活が休みの日だったな、と思い出す。友達の顔に見覚えがあった。同じクラスのハレちゃんという、女子バスケ部のエースだ。めちゃくちゃさわやかイケメンな顔で女子人気が凄まじい。
 「いらっしゃいませ。二名様ですか?」
 「いや、えっと」
 「そうですー」
 ミズキがまごついている間にハレちゃんが答えてしまった。私は二人を席に案内する。後ろからひそひそと「ハレ、ここじゃ……」「えー、でも入っちゃったし。雰囲気良いじゃん」というミズキとハレちゃんとの話が聞こえてくる。
 「こちらメニューです」
 「お。美味しそうじゃん、このパフェ。あ、サンデーか一日三十食限定だって」
 「はい、そちら大変おすすめになっております。こだわりの季節のフルーツに自家製生クリームを使っておりまして。オーガニックなので身体にもいいですよ」
 「これください。ミズキもそれでいいよね?」
 「う、うん……」
 ハレちゃんの言葉におずおずと頷くミズキ。ちらちら私を見てくる。
 「サンデー二つおねがいしまーす」
 「はーい」
 厨房にいるお母さんに注文を言う。私は厨房前に戻り、お客さんに呼ばれるのを待機した。小さい喫茶店で、席もまばらにしか埋まってない。そこでミズキはやけに際立って見えた。
 「お待たせしました。季節のサンデーお二つです。ご注文は以上でよろしかったでしょうか?」
 「ありがとうございまーす」
 「あ、ありがとう……」
 私は努めて『ウェイトレス』としてにこやかにサンデーをテーブルに置くとさっさと引っ込むことにした。
 「ねぇ、ユウカちゃんでしょ?」
 引っ込もうとした時、ハレちゃんに声を掛けられる。ハレちゃんとはそこまでしっかり話したことは無い。セイラと仲がいいからセイラを介して言葉を交わしたことはあれど二人きりは皆無だ。だから少し緊張した。
 「う、うん」
 「ほら、やっぱりそうだったじゃん!」
 「ダメだって、仕事中なんだから……」
 笑顔を見せるハレちゃんに対して困り顔のミズキ。私はどうしたらいいか分からずその場に佇む。ハレちゃんはさらに私に話しかけてきた。
 「バイト? ここいい雰囲気だよね。好きだ、あたし」
 「ありがとう。うちのお母さんがやってるところでさ。放課後はお手伝いに入ってるんだよ」
 「そうなんだ! 偉いねぇ」
 「そうかな? 褒めてたってお母さんに言っておくね」
 「通うよ」
 「やりぃ。常連さんゲットだ」
 私とハレちゃんが和やかに話していると、お母さんに呼ばれた。
 「ユウカ、お疲れ。お友達?」
 「うん。同じクラスのハレちゃんと、ミズキちゃん」
 お母さんは私が友達と仲良くしてる話を聞くといつも嬉しそうにする。
 「そうだ、今お客さんいないし、ユウカも休憩取っていいわよ。お友達と話してらっしゃい。コーヒー淹れてあげるから」
 「いいの?」
 「ええ。私は裏で仕込みに行ってくるから。後はよろしくね」
 カウンターにお盆とコーヒーを置くとお母さんは去っていった。ミズキたちの席に戻りその旨を話すと、「じゃあここ座りなよ」とハレちゃんは自分の隣をぽんぽんと叩いた。仕草一つ一つが絵になるなぁ、と感心しながらそこに腰を下ろした。
 「エプロンと三角巾かわいいね。似合う」
 「ほんと?」
 「うん。なんだろう、下町純喫茶看板娘感っぽくていいと思う」
 多分褒められてるんだろうな、と思った。私の仕事着は制服の上にお店の名前が入ったえんじ色のエプロンと三角巾に髪をおさげにしている。私はどちらかと言うと童顔なのでどうしても小さい子のお手伝い感が出てしまうのがちょっとだけコンプレックスだった。でもこんなかっこいい子に言われるなら悪くないかもしれない。
 「ちっちゃい頃からやってるの?」
 「中学入ってからだから五年目かな。お小遣い貰ってるしバイトみたいなもんだけど」
 「バイトいいなぁ。あたしたちずーっと部活ばっかだからバイトとか憧れるよ。ねぇ、ミズキ」
 「そ、そうだね……」
 ミズキは急に話を振られて、ちびちび食べていたサンデーでむせながら応える。
 「……ミズキ、さっきからなんかおかしくない?」
 ハレちゃんは不審げな目を向けた。ミズキはそんなハレちゃんではなく、私を伺うように見つめてくる。私の顔に答えは書いてないんだけどな。
 「そう? いつも通りじゃない?」
 「あ、そういや二人って仲良かったよね。一緒に帰ったりデートしてたりしてたじゃん」
 「デっ!?」
 ミズキは急激に顔を赤くさせた。よく見ると耳まで赤い。
 「で、デ、デートじゃなくて、その、えっと、ただ一緒に喫茶店行って話したりライブ行ったりしただけで何もやましい事なんかしてないっていうかだからその」
 「慌てすぎだよ」
 私は思わずぼそっと突っ込むと、ミズキはもっともっと顔を赤くして俯いてしまった。なんというか、意識しすぎてちょっと引く。告白した私が言うのもアレだけれど。そしてフラれたのも私だ。
 「もしかして、二人なんかあった?」
 ハレちゃんがちょっと聞きずらそうな顔をしながら尋ねる。私は何でもないように首を振った。
 「ううん。ただ私がミズキに告白してフラれただけ」
 ハレちゃんは飲みかけていた水を吹き出した。そして私とミズキの顔を交互に見る。
 「えっ……ほんとに?」
 「ほんとほんと。こっぴどくフラれたんだからぁー」
 わざとらしく恨みがましそうにミズキを見る。その視線にハレちゃんが頷いた気がした。
 「えー、ミズキひっどーい。こんなかわいい子をフるなんてー」
 「でしょー? 勇気出して告ったんだけどナー」
 「勇気出したよねぇ。えらい、えらいなぁユウカちゃん」
 「私もそう思うんだよねぇハレちゃん」
 私とハレちゃんのコンビプレイに顔を赤くしたり青くしたりするミズキは、見ていてとても面白かった。からかいすぎたかもしれないが、私みたいな『イイオンナ』をフッたんだからこれくらいは受忍してもらいたいものだと思った。八割冗談で、二割本気だ。
 それと同時に、からかえてしまえる自分に驚いた。少なくとも、相手の反応を楽しめるくらいには、この話題はもう『他人事』になってしまっているんだ。辛かったことなのにその感覚がまるっきり無くなってしまうことは楽だと思ったけど、同時に……少しだけ、本当に少しだけ寂しかった。
 「じゃあ、また来るね。学校でまた」
 「はい、またのお越しをお待ちしております」
 小一時間ほど話したら解散となった。というのも新しいお客さんが来たからだ。扉の前まで二人を見送る。ハレちゃんは気を遣ってか、私に微笑むと先に出て行ってしまった。ミズキは話していくうちに緊張は解けたらしいが、それでも二人っきりになるとまだ気まずそうだった。
 「ミズキ」
 「な、なぁに」
 「いいって、そんなに。居づらそうにしないで。私は平気だから」
 それに、と私はミズキに近づいて見上げた。百五十センチほどしか無い私からするとミズキは真上を見上げるほど大きい。
 「私とミズキは、『友達』でしょ?」
 ミズキはハッと目を見開いた。
 「友達として、さっきみたいな態度は、ちょっと傷つくかもなぁ、なんて……」
 頬を掻きながら、クサいこと言ったかな……とちょっと照れると、ミズキから「ごめん」という声が聞こえてきた。
 「だよね。その、今まで告白とかされたこと、無かったから……戸惑って、ユウカちゃんのこと考えてなかったかも」
 「ミズキ……」
 「これからも、その、友達として、一緒に居ていいですか?」
 あまりにもミズキの真剣な表情に笑ってしまう。それじゃ告白だよ。
 「うん、友達」
 そう言って握手した。ミズキの晴れやかな笑顔はやっぱり素敵で、ああ、好きだったなぁ、とほろ苦さが胸に広がった。
 

 「お母さんが再婚するって言ったらどうする?」
 お母さんから不意にそんなことを聞かされたのは、喫茶店の閉店片づけをしている時だった。
 「はぇ?」
 青天の霹靂すぎて変な声が出る。お父さんは私が幼い時に病気で亡くなってしまった。そこから十数年、お母さんは女手一つで私を育ててくれている。そんなかっこいいお母さんが、まさか。
 「お母さん好きな人いるの?」
 私がそう尋ねると、お母さんは顔を赤くさせながら「ま、まぁあくまで仮定の話だから」と咳払いする。それはもう答えを言っているようなものだ。
 「別に反対しないけど、相手次第かなぁ。変な人がお父さんになるの嫌だし。でもまともな人でお母さんがほんとに結婚したい人ならいいんじゃない?」
 「そ、そう?」
 お母さんはなんだかもじもじしている。私はピンときた。最近しょっちゅう来ている穏やかな雰囲気のおじさまといい感じに話しているのを目撃しているのだ。晩御飯の時もよく彼の話になる。まさかまさか母子同時期に恋をしていたなんて。一方は成就しそうでもう一方は破れてしまったけど。
 「ま、お母さんなら大丈夫だよ」
 根拠は何一つないサムズアップとともに布巾を畳んで掃除を終了する。なんだかんだ恋する女の子は可愛いな、と思った。もしかしたら私もあんなだったかもしれない。
 数日後、私に紹介された人はやはりそのおじさまで、どうやらお母さんは私に相談した直後にアタックしたらしい。今は結婚を前提にお付き合いしているそうだ。おじさまは優しくて、私とも仲良くしてくれそうだから特に反対はしなかった。
 反対はしなかったけれど、目の当たりにしてしまったことがあった。
 私の向かい側、おじさまの隣にいるお母さんは別人かと思うくらいだった。まるで線引きがしてあるみたいで、ああ、どうして私もそっち側じゃないんだろう、どうしてお母さんが成功して私が失敗したんだろうって思った。思ってしまった。素直に祝福できない自分を恨んだ。幸せそうな二人から飛んでくる私たち幸せなんですオーラが痛かった。見えなくなるくらい深く沈んでいったはずの失恋の痛みが刺激されて、海底火山みたいに噴火した。
 そこで初めて、恋は世界にあるべき姿を望むことで、その願望は自分が勝手に押し付けたものであるくせに、叶えられなかった時裏切られたと思うことを身をもって知った。
 恋はエゴに過ぎなかった。私があなたを好きなんだからあなたも私を好きになってよ。そんな醜い気持ちに過ぎなかった。恋をしたら目に映るものすべてがキラキラするなんて、人を好きになれた自分を好きになるなんて、結局はまがい物の感覚に過ぎなかった。恋という醜いエゴを醜いと自覚しないようにするための都合のいい思い込みだった。
 そして今、その醜さを自覚してしまった。少女漫画のキラキラトーンが剥がされたむきだしの『恋』は見るに堪えないものだった。
恋なんてするものじゃない。そう思ってしまう私は、恋に向いていなかった。

5 
 おじさまは私の同い年の娘さんがいるらしい。そして次来る時は娘を連れてくるよ、と言われたらしい。『らしい』が続いているのは、私が笑顔を作るのに必死でおじさまの話していた内容を覚えていなかったからだ。
 私はそのことに後悔した。連れてきた娘というのがミズキだったからだ。
 「ユウカちゃん!?」
 「……………………こんにちは」
 やっと出てきた言葉は棒読みの挨拶だった。お母さんとおじさまはまさか私たちがクラスメートだったとは知らなかったらしく驚いていたが、私たちはそんなの比べ物にならないくらい驚いていた。ミズキは佐藤なんてありふれた名前だからまさか私だったなんて思わなかったらしい。ミズキたちがうちの喫茶に来た時にはお母さんは会っていないのだった。言ってよ、という目をされたが私は覚えてないのだから仕方ない。いや、仕方ないなんて言葉で割り切れないくらい後悔している。
 まさか二人は知らないだろう。私がミズキに告白していることに。そしてミズキが私をフッていることに。言えるわけが無かった。幸せそうな二人に少しでも水を差すようなマネをすることは大罪に思えたからだ。
 やがて二人は結婚し、マンションに住んでいたミズキたちは四人家族用にリフォームした私たちの家に引っ越してきた。私とミズキは義理の姉妹になり、部屋が隣同士になり、おはようからおやすみまで一緒になった。
 私は家に帰りたくなくなった。家にいても部屋に引きこもるようになった。頑張って家に馴染もうとしてくれているお父さんやミズキのために意図的な笑顔が増えた。家に帰るとミズキがいる。ミズキはもう友達という『通常』の状態に戻っている。恋の醜さを自覚してしまった私は、ミズキに相対するのが途端に怖くなった。
 私は、まだ、ミズキが好きだった。距離が近くなって、好きだった人のもっと近くにいて、素敵な部分に気付けないわけが無かった。しかしそれと同時に、『好き』という気持ちは、私自身を醜くさせてしまうものであると気づいてしまっていた。私は、自分可愛さのために恋心を抱けなかった。
 もう裏切られたくない。もう傷つきたくない。もう自らの醜さを直視したくない。そんな浅学理論武装でちっぽけな自分を守った。
 「え? 喫茶店の手伝い?」
 「うん、私もお母さんとユウカちゃんの役に立ちたいからさ」
 うちでやってる喫茶店を手伝いたい、とミズキが突然言い出してきた。
 「ミズキ、部活忙しいでしょ?」
 「部活の休みの日なら大丈夫だよ」
 「勉強とかはいいの?」
 「うっ……うん、まぁ、頑張るつもりではいるよ。とにかく、どうかな」
 「……どうして、私に聞くの? お母さんがオーケーしたらそれでいいじゃん」
 「一緒に働くのはユウカちゃんもなんだから言うに決まってるでしょ?」 
 やめてほしい。私に近づかないでほしい。そんな綺麗な笑顔で私を見ないで。
 「……そっか」
 肯定も否定もせず、ただ発しただけの言葉はミズキに引っかかってしまったらしい。ミズキの眉が顰められる。
 「最近、ユウカちゃんおかしくない?」
 「……おかしいって?」
 「私が話しかけてもなんか距離感じるっていうか……もしかして、私何かした?」
 「何もしてないよ」
 「なら────なんでそんな泣きそうな顔してるの?」
 私はそう言われて、自分の顔が強張ってることを自覚した。強く歯を噛み、目じりに力を入れている。涙を耐えているようだった。
 「何かあったんでしょ? 私でよかったら話聞くから……」
 「どうして……?」
 「家族で友達じゃん、だって」
 ミズキに肩を揺さぶられて、反動で涙が零れ落ちていく。その涙は私の醜さを凝縮したものだった。雫がミズキの手の甲に着地する。
 「言いたくない……ミズキにだけは……」
 「私じゃダメなの?」
 「ダメなの……」
 「どうして!?」
 「好きだから!」
 ミズキがハッとした顔をする。今更思い出したのか? どうかしてる。私はずっと、ずっとずっとずっとずっとずっとあなたのことを想って、悩んで、苦しんでいるのに。
 恋が怒りに転じてくる。醜い。でも好きだ。好きは醜さだ。
 「なんでよ! なんでミズキなの!? なんでお母さんと結婚した人の娘がミズキなんだよ! ミズキじゃなかったら誰でも良かったのに! ミズキ以外だったら誰だって!」
 脆くもちっぽけな自分を守っていた理論武装が容易く剥がされていく。むき出しになった私は、ただ喚き散らすことしかできなかった。
 「どうしてフラれた人と一緒に暮らさなきゃいけないの!? どうしてもっと好きなところをみつけちゃうの!? どうしてフッたくせに私が好きなあなたのままでいるの!?」
 「ユウカ……」
 「どうしても好きなの! 私はミズキが好きなんだよ! 友達に戻るなんて無理だよ! 好きなままなんだよ……」
 ミズキの胸を力なく叩き、私の拳は脱力していく。しゃくり上げながら私は涙をぬぐうけれど、ぬぐえどぬぐえど溢れ出てくる。何かに包まれた。暖かくていいにおいだった。ミズキが私を抱きしめたのだ。
 「抱きしめんな、バカ……」
 「ごめん」
 「離れてよ、好きになっちゃうじゃない……」
 「ごめん、無理だ」
 「離れてってばぁ……!」
 ミズキはもっともっと強く私を抱きしめた。痛いくらいだ。
 「わたし、ユウカちゃんのこと考えてなかったね。ごめんね」
 耳元でささやいてくる。私を安心させようとしてくれてるんだろうけど、逆効果だ。もっと涙が出てきた。一緒にへたれた悪態もついてくる。
 「優しくしないでよぉ……」
 

 私の部屋まで連れてこられる。ベッドの上に座らせてくれて、ホットココアとタオルを持ってきてくれて、私は涙が収まるまで甲斐甲斐しく世話された。
 「どう、落ち着いた?」
 「……だいぶ」
 目が腫れあがりながらもしゃっくりは落ち着いてきた。しかしまだミズキの顔を見れない。
 「ごめん。みっともないところ見せて……」
 ぼそりと謝ると、ミズキの首が横に振られた気配がする。
 「そんなことないよ」
 「さっき言ったこと、忘れてくれていいから」
 「どうして?」
 「私のこと、そういう目で見てないんでしょ……?」
 ミズキが急に黙る。怖くなって恐る恐る見てみると、口を抑えて顔を赤くしている。
 「……友達に戻るなんて無理って、ユウカちゃん、言ってたじゃない?」
 「う、うん」
 「わたしだってそうだったよ」
 目が飛び出そうになる。
 「告白されたら誰だって……意識するなって方が逆に……」
 「…………」
 「かと思ったら友達に戻ろうなんてあっさり言われるし、告白した後も妙に笑ってたし……でもからかわれてる雰囲気でもなかったから、なんていうかよく分かんなくて」
 私は、ミズキのことを見ていなかった。ミズキに恋している自分しか見ていなかった。
 私がミズキに告白してからのミズキのことを見ていなかった。
 「ユウカちゃん、良い子だし、かわいいし……エプロン姿にグッと来たというか……わたしほんとにこんな子に告白されたの? って、信じられなくなったりしたよ」
 ミズキは自嘲した。
 「告白されて、自分からフッたのにこんなに意識してる。わたしの方がよっぽどみっともないよ」
 私は信じられなくて、まさかミズキがそんなことを思っていたなんて夢みたいで、目の前のミズキが本当に現実のものか気になって、ミズキの頬に手を重ねた。
 「私、良い子?」
 「うん」
 「私、かわいい?」
 「うん」
 「そっか……へへ……」
 ミズキも私の頬に手を重ね返してくる。
 「だから……もっとちゃんと返事考えればよかった。ユウカちゃんのこと苦しめたね。ごめんね」
 それはもう素敵な、本当に私に刺さる笑顔でほほ笑んでくるから、もう何も考えられなかった。
 「……許します」
 「あと、やっぱり好きだよ。ユウカちゃんのこと」
 「本当に?」
 「今更はダサいけど、言わせてほしい」
 「ダッサいなぁ……」
 ミズキの方に倒れる。力が入らなくなったから。ミズキは受け止めてくれた。やはり暖かかった。
 「ダサい者同士、お似合いだね」
 恋なんてするものじゃない。自分の醜さを浮き彫りにしてしまうから。
 その醜さを一緒に受け入れてくれるような人に、じゃないと。
 恋なんてするものじゃない。


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